食べることをめぐって

福祉は生活です。福祉職を目指す人は「生活の支援をめざす」ことになります。
生活はつきつめてみれば食べること、排泄すること、寝ること、人とかかわりを持つことです。これらの質を高めていくことが支援者の仕事ということになります。

・医療現場では

最前線の医療現場では生活の基本である「食」に大きな関心が集まっています。
エヌ・エス・ティーということばがあります。栄養サポートチームの頭文字です。エヌ・エス・ティーを作り、患者の栄養管理を行うことが病院において盛んになってきました。
昔から滋養(栄養)をしっかりとることが病気の治療や手術の回復を早めることはわかっていました。医療改革で入院時間が長引けば長引くほど病院が儲からない仕組みにしたところ、エヌ・エス・ティーが劇的に進みました。最初からそうすればよかったのにという気持ちです。

コストが下がり、患者に喜ばれ、医療の効果もあがるということで、最近では医療現場も高級ホテルのようなサービスを提供しようとする動きがでてきました。
愛知県の海南病院は全国トップを走る調理システムを保有している病院として有名です。
1階にはクックチルやクックフリーズなどを組み合わせた最新の新調理システムが導入され、各フロアーには見晴らしのいい食堂がユニットごとに配置されています。患者ごとに料理メニューが細分化され、調理と栄養剤と薬品が院内レストランで患者に提供されます。

・高齢者福祉現場では

高齢者の死因でトップは食べるときに食物を肺の中に入れてしまって死亡することがトップです。年をとると食べるのも命がけでなのです。

そこで、食べ物を食べる機能が衰え、誤飲の危険性が高まるとすぐに入院し「イロウ」をつけます。イロウとは胃につける流動食や栄養剤を流し込むための注入口のことです。ゴム風船のように胃をふくらませ、パチンとボタンのホックをつけるように簡単な手術でイロウをつけることができます。これを装着して栄養を入れれば安全かつ簡単に食事完了となります。
食べ物はのどを通らず直接胃に入りますから、間違っても肺に飲み込んだりはしません。どんなにまずい栄養剤でも入れるのは簡単です。でも、この装置をつけるとその人の人生の質は瞬く間に落ちてしまいます。

なんせ、味もにおいも感じない、熱くも冷たくもない、噛むこともすり合わせることも舌も使わない。脳への刺激が少ないのか、脳をつかわなくなるからかよく分かりませんが、認知能力は急激に下がり、手足の筋肉も連動して落ちてゆきます。長生きはしますけれど。でも、そういう対策が安全で低コスト。事故死の心配だけはなくなります。

今から7年ほど前、福祉施設経営者だけが集まるある会合でのできごとです。私はつぎのように発言しました。
「日本の高齢者福祉現場では半数以上の人が栄養失調状態になっているそうです。もっと個人に合わせた栄養ケアマネジメントが必要だと思うのですが・・。」
その発言をした直後、近くにいた施設長からこっぴどくしかられました。なんという侮辱だというわけです。
「私は職員が適切な食事を与えていないといっているのではありません。現在の福祉制度のもとでは栄養管理ができないといいたかっただけ」といいわけをしました。

その後日本栄養士会が総力をあげて栄養管理が大切であることを国に働きかけたのですが、簡単な栄養管理報告書で点数をつけるというところに落ち着き、結果的にはほとんど何もかわりませんでした。

ところがここへ来て、別の視点から大きな議論が始まっています。終末医療の見直し論です。
現在、ほとんどの人は病院で一生を終えます。自宅や施設で人生を終える人はわずかです。その結果、終末医療費は膨大なものになりました。
人は無理に病院で生かされているのではないかという疑問も大きくなっています。

終末医療の見直し論は、終末医療の体制やあり方を見直し、できるだけその人が暮らしてきた生活の場で人生を終えることを大切にしようというところから出ています。まったくそのとおりです。

ただ、高齢者福祉現場で終末の人生を支援するならば、難しい課題が山積しています。
最大の問題は本人の意思確認の問題ですが、福祉施設で対応するとなると多くの現実的な課題があります。
介護技術を飛躍的に高めるという課題や、施設で行う医療行為への規制緩和、技術をもった人員の確保、事故の際の責任や保障などをめぐる家族の意見の確認方法など、様々なハードルを越えなければなりません。イロウをパッチンで問題解決の現状の介護とは格段の差の支援体制が必要となるからです。

国のことばはいつも美しい。美しい言葉だけが先行し、現実には医療も福祉も受けられずに死んでいく人が増えなければ良いのですが。

・知的障害者の福祉現場では

一方、知的障害者の福祉の現場の「食」はどうでしょうか。最近の福祉の政策を振り返ると障害がある人の現実の生活から離れた場所で政策が立案されたり対策が行われてしまうようになっている気がします。

障害者自立支援法はまさに障害者の生活を支援するための法律のはず。現実には障害者の生活を厳しいものにしているため、昨年度は激しい反発を招きました。障害者自立支援法ができ、食事は自己負担となりました。

全国的な話ですが、福祉作業所の利用者は作業所に働きに来ているという意識があります。そのわりには全国平均で工賃(給料)は15000円です。その結果、「お金がかかるんだったら食べない、弁当でいい」という施設利用者が増えました。働いて得られる給料よりも、そこで支給される食事代の方が高かいということはたいへんな違和感があります。

激変緩和措置により自己負担の上限は下がってきましたが、福祉施設も利用者もやりきれなさだけは残りました。

・食べることはすべての福祉現場の基本

この日本は世界でもっとも豊かな食を享受している国でしょう。でも、この日本の福祉現場や医療現場は食べることはほんとうに世界一満たされているのでしょうか。
糖尿病などの生活習慣病の予防が医療費でも障害者福祉においても最も大きな目標である一方で、福祉現場の食はなかなか改善されません。

施設の生活において最大の楽しみは食であり、最大の苦しみもまた食です。毎日提供する食事によって利用者のみなさんは喜び、それと同時に食べることを支援することに苦しみ、食べることにまつわる問題行動と戦い、食の後始末をしながら次の食事へ時間は流れます。

「制度が悪い」といっているだけでは、目の前の利用者の今日の生活はよくなりません。人が足りないからといって問題を解決しなければ利用者の健康が蝕まれます。

食事の内容から食事の提供の仕方や食環境、食事の場面における食の学習など食事全体を管理するマネジメントなど課題はつきません。食べることは生活の基本中の基本。福祉が生活であるとすれば、施設が提供する食事は制度、施設経営の双方の視点から改善する努力が必要です。