障害者自立支援法の施行に伴い、ある企業がその企業が運営するネットワーク販売の勧誘を障害者に進めるという話を聞きました。ネットワーク販売とは無限連鎖販売、いわゆるネズミ講です。

扱っている製品は化粧品と水。特に一本数万円のボトルに入った水を販売したいとのことです。

事業主は「障害者の収入の確保に役立ちたい」とのこと。障害者が福祉施設で安い工賃で働かされていることを批判して立ち上がったそうです。

今後、大きな経済事件や障害者の権利問題にならなければいいのですが。

新法への事業移行の補助

名東福祉会は2つの授産施設を運営しています。
「どんなに重い人でも通える施設」をモットーに、どんなに障害が重い人でも受け入れてきました。
今年は最初の授産施設「メイトウ・ワークス」が開所して26年。
就職できる人は就職して行き、地域から施設を利用したいという人を受け入れ続ければ当然の帰結として障害は重度化します。

名東福祉会の障害の程度は重いといわれています。
従来の程度区分で申し上げますと、145名のうち、A判定106名、B判定35名、C判定4名です。
授産施設に限れば、80名のうち、障害が重い人からA判定は33名、B判定は25名、C判定は3名となります。
A判定の人が40%以上となるわけですから、障害者自立支援法へ移行する場合にはこの2つの授産施設は生活介護施設に転換する予定です。

生活介護事業は比較的重い障害がある人を対象とします。程度区分認定は知的障害者の場合、
1 問題行動があるか
2 身体障害があるか
が判定のポイント。問題行動に対する対処方法と重症心身障害に対する対処技術は生活介護事業のサービスを考える上で極めて重要な技術となるはずです。

先に愛知県との協議がもたれた席上、事業移行の際に必要となる人的な相談や助言に対して助成を行うとのこと。
「事業移行に必要な助言や指導」はともすると売上や工賃を上げるための技術コンサルタントと考えられがちですが、生活介護事業への転換についてのコンサルテーションについても助成を考えていただきたいものです。

名東福祉会ではこの4月より、中京大学臨床心理相談前室長の久野先生に名東福祉会に参加いただき、問題行動への対処技術や重症心身障害の人の言語行動の強化について研修を進めていただいているところです。

久しぶりに地下鉄に乗りました。
女性専用口から入り、老人専用座席に座って、やおらあたりを見廻すと女性専用者は比較的すいています。

そのせいか、前の座席の若い女性がお化粧を始めました。
空いているとはいえ、人がいっぱいいるのにましてやまん前に私のようなものがいて、マジマジと見ています。
やおらまつ毛の化粧が始まりました。それあそれは丁寧に一本一本上向きになるようマスカラをつけるのです。
ゆれる電車の中でよくもまあ慣れた手つきで・・・。
新聞などでよくこの後継をけなしているのを読んで知ってはいましたが、実際にお目にかかることができました。

あたりをきょろきょろ観察している私の横は座席がひとり分空いていましたが、
そこへ音を立ててドカッと座った人があります。
見ると70歳前後かと見られる女性でした。

にこやかに私に話しかけてきます。
「私は毎日のようにこうやって地下鉄や市バスに乗って好きなところに出かけている。世の中はいろいろなことがあって楽しい。
今日は勉強に行く。歴史の話を聞かせてもらえる。」
と、こちらが聞きもしないのに一方的に話される。
私は心の中で、「老人が増え、ひまな人が増え、町に出かける人が増えてもお金を使わないのだ」と妙に感心しました。

さて、名古屋駅へ着くと新幹線まで送ってあげるといいます。
「階段を登るのたいへんでしょう。こう行くと楽です。」と手をとって導いてくれます。
私は少し用心深くなってきました。新幹線の入り口で別れようとすると、
「お昼ごはんどうするの?」
と聞かれる。
「時間があるので、うどんでも食べてホームへ行きますわ。」
というと、
「美味しいうどん屋さんがあるから一緒に行こう」
と言ってくれます。ままよ、なんでも経験しようと思って導かれるままに店に行きました。

ざるうどん550円を彼女が注文し、私はおろしうどんを注文しました。とても美味しいうどんでした。
食べながら彼女は一方的に自分のことばかり話して私には何も聞きませんでした。それが私は一番ありがたく、
ついうどんをおごる気持ちになってしまいました。
うどんを食べ終わると、また新幹線乗り場まで送ってくれました。

彼女の歳はちょうど私より10歳若く、亡き夫の年金で暮らし、勉強が大好きで筆記したノートも見せてくれました。
そして暇さえあれば町を歩いているとのこと。
こんな人が今はいっぱいいるのだ・・・と考えていると、
「今日はお年寄りのために役立って、こんな嬉しいことはない。おまけにうどんまでごちそうになって
私は今日は良い日でした。サヨウナラ」
といって別れて行きました。

私は私で老人席に座ったばっかりに、思わぬ体験をすることができ、何事も無く無事にお別れできてほっとした気分です。
そして、やりたいことがいっぱいあって、毎日忙しく動けるしあわせをかみしめました。

2007年5月24日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

5月21日の午後6時より、レジデンス日進の見学と私の話を聞く会が催されました。
来所された皆さんはそれぞれ企業の社長さんばかり12名です。
ちょうど、名東福祉会の理事長と同年か少し若いかな・・・と思われる方々ばかりです。

始めに自己紹介を兼ねて福祉の道を歩いた40年の歩みをさせていただきました。
そして、メイトウワークスからはじまり、名東福祉会が経営する施設の生い立ちと歩みを話させていただきました。
最後に知的障害者の就労に関して具体的な経験の中から話をさせていただきました。

それから次々と質問を受けましたが、その中で名東福祉会の工賃が月2000円~5000円というと
「エッ! 月ですか?」
と念を押されました。企業の社長さんがたにとって驚きの額であり、その上利用料を払い、給食費を払うという説明に、
「施設はもっと払わなければいけないのでは」
とはみなさんおっしゃいませんでした。逆に、
「利用者の人たちはそれでも生き甲斐として通ってくるのか・・・」
と、想像外の話を聞き、驚きで一瞬絶句した後、かえって感動を呼んだようです。

我々は自分たちが何とか競争に勝ちたい、大企業になりたいと夢を描き努力をしてきたがそういう人たちが
自分たちとは違う夢をもって努力していることを始めて聞いて感動したとおっしゃってくださいました。

その中のおひとりは
「うちの会社でできることがあったら言ってください。無料でやらせていただきます。」
とまでみんなの前で言ってくださり、今度は私のほうが感動で絶句してしまいました。

へたな話でも一生懸命聞いてくださったことを心から感謝した集いでございました。

2007年5月23日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

食べることをめぐって

福祉は生活です。福祉職を目指す人は「生活の支援をめざす」ことになります。
生活はつきつめてみれば食べること、排泄すること、寝ること、人とかかわりを持つことです。これらの質を高めていくことが支援者の仕事ということになります。

・医療現場では

最前線の医療現場では生活の基本である「食」に大きな関心が集まっています。
エヌ・エス・ティーということばがあります。栄養サポートチームの頭文字です。エヌ・エス・ティーを作り、患者の栄養管理を行うことが病院において盛んになってきました。
昔から滋養(栄養)をしっかりとることが病気の治療や手術の回復を早めることはわかっていました。医療改革で入院時間が長引けば長引くほど病院が儲からない仕組みにしたところ、エヌ・エス・ティーが劇的に進みました。最初からそうすればよかったのにという気持ちです。

コストが下がり、患者に喜ばれ、医療の効果もあがるということで、最近では医療現場も高級ホテルのようなサービスを提供しようとする動きがでてきました。
愛知県の海南病院は全国トップを走る調理システムを保有している病院として有名です。
1階にはクックチルやクックフリーズなどを組み合わせた最新の新調理システムが導入され、各フロアーには見晴らしのいい食堂がユニットごとに配置されています。患者ごとに料理メニューが細分化され、調理と栄養剤と薬品が院内レストランで患者に提供されます。

・高齢者福祉現場では

高齢者の死因でトップは食べるときに食物を肺の中に入れてしまって死亡することがトップです。年をとると食べるのも命がけでなのです。

そこで、食べ物を食べる機能が衰え、誤飲の危険性が高まるとすぐに入院し「イロウ」をつけます。イロウとは胃につける流動食や栄養剤を流し込むための注入口のことです。ゴム風船のように胃をふくらませ、パチンとボタンのホックをつけるように簡単な手術でイロウをつけることができます。これを装着して栄養を入れれば安全かつ簡単に食事完了となります。
食べ物はのどを通らず直接胃に入りますから、間違っても肺に飲み込んだりはしません。どんなにまずい栄養剤でも入れるのは簡単です。でも、この装置をつけるとその人の人生の質は瞬く間に落ちてしまいます。

なんせ、味もにおいも感じない、熱くも冷たくもない、噛むこともすり合わせることも舌も使わない。脳への刺激が少ないのか、脳をつかわなくなるからかよく分かりませんが、認知能力は急激に下がり、手足の筋肉も連動して落ちてゆきます。長生きはしますけれど。でも、そういう対策が安全で低コスト。事故死の心配だけはなくなります。

今から7年ほど前、福祉施設経営者だけが集まるある会合でのできごとです。私はつぎのように発言しました。
「日本の高齢者福祉現場では半数以上の人が栄養失調状態になっているそうです。もっと個人に合わせた栄養ケアマネジメントが必要だと思うのですが・・。」
その発言をした直後、近くにいた施設長からこっぴどくしかられました。なんという侮辱だというわけです。
「私は職員が適切な食事を与えていないといっているのではありません。現在の福祉制度のもとでは栄養管理ができないといいたかっただけ」といいわけをしました。

その後日本栄養士会が総力をあげて栄養管理が大切であることを国に働きかけたのですが、簡単な栄養管理報告書で点数をつけるというところに落ち着き、結果的にはほとんど何もかわりませんでした。

ところがここへ来て、別の視点から大きな議論が始まっています。終末医療の見直し論です。
現在、ほとんどの人は病院で一生を終えます。自宅や施設で人生を終える人はわずかです。その結果、終末医療費は膨大なものになりました。
人は無理に病院で生かされているのではないかという疑問も大きくなっています。

終末医療の見直し論は、終末医療の体制やあり方を見直し、できるだけその人が暮らしてきた生活の場で人生を終えることを大切にしようというところから出ています。まったくそのとおりです。

ただ、高齢者福祉現場で終末の人生を支援するならば、難しい課題が山積しています。
最大の問題は本人の意思確認の問題ですが、福祉施設で対応するとなると多くの現実的な課題があります。
介護技術を飛躍的に高めるという課題や、施設で行う医療行為への規制緩和、技術をもった人員の確保、事故の際の責任や保障などをめぐる家族の意見の確認方法など、様々なハードルを越えなければなりません。イロウをパッチンで問題解決の現状の介護とは格段の差の支援体制が必要となるからです。

国のことばはいつも美しい。美しい言葉だけが先行し、現実には医療も福祉も受けられずに死んでいく人が増えなければ良いのですが。

・知的障害者の福祉現場では

一方、知的障害者の福祉の現場の「食」はどうでしょうか。最近の福祉の政策を振り返ると障害がある人の現実の生活から離れた場所で政策が立案されたり対策が行われてしまうようになっている気がします。

障害者自立支援法はまさに障害者の生活を支援するための法律のはず。現実には障害者の生活を厳しいものにしているため、昨年度は激しい反発を招きました。障害者自立支援法ができ、食事は自己負担となりました。

全国的な話ですが、福祉作業所の利用者は作業所に働きに来ているという意識があります。そのわりには全国平均で工賃(給料)は15000円です。その結果、「お金がかかるんだったら食べない、弁当でいい」という施設利用者が増えました。働いて得られる給料よりも、そこで支給される食事代の方が高かいということはたいへんな違和感があります。

激変緩和措置により自己負担の上限は下がってきましたが、福祉施設も利用者もやりきれなさだけは残りました。

・食べることはすべての福祉現場の基本

この日本は世界でもっとも豊かな食を享受している国でしょう。でも、この日本の福祉現場や医療現場は食べることはほんとうに世界一満たされているのでしょうか。
糖尿病などの生活習慣病の予防が医療費でも障害者福祉においても最も大きな目標である一方で、福祉現場の食はなかなか改善されません。

施設の生活において最大の楽しみは食であり、最大の苦しみもまた食です。毎日提供する食事によって利用者のみなさんは喜び、それと同時に食べることを支援することに苦しみ、食べることにまつわる問題行動と戦い、食の後始末をしながら次の食事へ時間は流れます。

「制度が悪い」といっているだけでは、目の前の利用者の今日の生活はよくなりません。人が足りないからといって問題を解決しなければ利用者の健康が蝕まれます。

食事の内容から食事の提供の仕方や食環境、食事の場面における食の学習など食事全体を管理するマネジメントなど課題はつきません。食べることは生活の基本中の基本。福祉が生活であるとすれば、施設が提供する食事は制度、施設経営の双方の視点から改善する努力が必要です。

久しぶりに安曇野へ行ってきました。
新緑の野や山はどこへ行っても私たちを優しく迎えてくれました。
白雪がまぶしく残るアルプスの霊峰。
はなみずきやりんごの花が今を盛りと咲きそろい、満々と水をはったたんぼが逆さアルプスを映し出し、
私たちは名画の中を走るかのようでした。

おいしかったおそばや山菜やつけもの
温泉に心ゆくまでつかり、みんなと歓談し、もろもろの悩み事はすっかり忘れ、
美術館のはしごも年を忘れ、疲れを忘れさせてくれました。

この景色、この空気、私にとっては今日が最後かもしれませんが、
何も思い残すことはないくらい、私は安曇野に満たされました。

知的障害の人と共に生かされ、みなさんに支えていただいた幸せを
いまさらながらに深く感じることができた旅でした。

2007年5月16日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

天白ワークスの南側に今は2階建ての作業所が建っていますが、そこは以前は畑として使っていました。
ボランティアのNさんが大根、じゃがいもをつくれば、私はハーブ類を植えて楽しみました。

農作業の知識もないのに苗を買ってきてはやたらと植える私は、この小さな畑で、あるときカボチャのおばけのように大きくなったものができました。
苗を買って植えたのに名前が風で飛んだのか、まるでどうやって食べるのかも分かりません。
みんなに「これなあに?」と聞いても、「知らない」「知らない」といいます。
本をかたっぱしから探して、やっとズッキーニとわかりました。これを煮てみようと包丁を入れたところ、刃がたちません。今度は柄でたたいてもびくともしません。
何だ?これ!???

料理の本をいろいろ調べてみてそれでわかったことはズッキーニは10cmから15cmくらいのときに食すものだとわかり、80cmくらいになったものは包丁の刃がたつはずもありません。
野菜類は食べごろや食べ方というものを大事にしなくてはなりません。

畑で栽培するものは料理を楽しむもの、色を楽しむもの、香りを楽しむもの、果ては薬草とするものなど楽しみは多彩で、その利用方法をよく知った上できちんと栽培しないととんだことになります。その後も、フェンネルをはびこらせてみなんに「魚と煮ると美味しいよ」と配ったことがありますが、どうも皆さんには敬遠されたみたいです。

私はハーブ熱がさめやりません。

そのころ、天白ワークスから少し離れた400坪ばかりの空き地をお借りしていました。福祉施設に土地を無償貸与して実際に福祉用に使用されれば土地の固定資産税がそれなりに免除されます。
もちろん貸主にとって収益はありませんが、福祉にも役に立つし固定資産税の負担もなくなるということでお貸しいただいたものです。

お借りした土地は利用者のみなさんが農作業をするための土地としてお借りしました。
ところが農作業はなかなかたいへんな作業です。そこでこの畑をハーブ園にしていこうとなりました。
家族会が中心になってラベンダー、ミント、レモンバームを植えました。そのころ経営していたイタリアンレストランの「あざみ亭」に朝摘みのハーブを届けるほどになりました。

その後、私は入院をしました。私の入院中に、長年畑を貸してくださっていた貸主の方が病院にまでわざわざ来られ、事情があって土地を返してほしいとお願いされました。もとより申し出があればいつでもお返しするお約束で借り上げた土地です。長年お借りしていたことを感謝してお返しすることになりました。

退院後、畑を見に行くとすでに整地されて駐車上になっており、家族会が植えたラベンダーはあとかたもなくありません。
「どこへ移植したの?」と聞くと
「ブルドーザーがならしていった」というのです。
私は言葉もありませんでした。3年くらい経っているラベンダーは大株になっているはずだし、鉢植えにして売れば1株3000円。最低50株としても・・・。
私は病気になったことを申し訳なく思うのみです。

そんな思いをしたので、家族会の方々も二度とハーブは作らないだろうと思ったのですが、さにあらず。レジデンス日進の屋上にはまたチョコチョコとハーブが芽を出しています。、またもや家族会の人がいろいろ手入れしてくださり、立派なラベンダーを始めとしていろいろとあります。やがてターシャ・チューダーの絵本の世界にあるような花園にして利用者のみなさんとガーデンパーティがやれるのを夢見ているところです。

2007年5月7日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝