昨日は教育センターで名古屋手をつなぐ育成会の創立60周年記念大会・名古屋市知的障害者福祉大会が開催されました。
式典で、名古屋市長より援護功労の表彰をしていただきました。あつく御礼申し上げます。
大会では、この4月から試行されている「障害者総合支援法」を題材に、厚生労働の福祉人材対策室長補佐の関口彰氏と全日本手をつなぐ育成会常務理事の田中正博氏の対談がありました。
対談を聴講していて、印象に残ったのは次の3点です。
1 グループホーム、ケアホーム、小規模入所施設が一元化される
2 障害者と一般の人たちの間に立ちはだかる社会的な壁を取り除く研修や自主的な活動が必須事業化される
3 自治体の物品は障害者施設から優先的に購入する法律ができる
名東福祉会では、ナイトケアとして、すでにレジデンス日進と上ノ山ケアホームを一体的に運営しています。障害者総合支援法が名東福祉会の実態に近くなります。これからはさらにグループホームを数多く設置していかなければなりません。障害者総合支援法によって、旧来の施設の壁を越え、地域の中で本人の希望にそう形で多様な形態の生活の場を作っていく事が今までよりもやりやすくなると思います。
地域住民の理解は障害がある人たちが地域の中で自立した生活を送る上で必須の事柄です。2は理解を広げるために自治体が必ずやらなければならない事業になっていくことを意味します。もちろん、自治体が直接やるのではなく、地域の住民や団体の活動を応援する形になります。
名東福祉会ではボランティア推進事業として独自通貨制度である「メイトの実践」が始まりました。この事業が名古屋市や日進市の必須事業として位置づけられた啓発事業とリンクしつつて広がっていく事を目標としなければならないと思いました。
障害者総合支援法になって、就労継続支援B型(いわゆる「生き甲斐的な作業活動」)がややもすると脇役的な存在になりつつありました。昨年来、全国の施設から「作業は知的障害者にとって大切な活動」であることが指摘されています。今後、自治体の物品が施設が生産した物品を優先的に購入していただいたり、清掃作業などの委託作業を発注していただけるようになると、施設に活気がでてくると思います。やはり人の役に立ち、喜ばれる活動をすることが生きていく上では大切です。この分野の充実は引き続き追い求めていきたいと思います。
現在は厚生労働省のホームページに総合支援法関連の資料が公表されていて、誰でも読む事ができます。しかし、重要なポイントや法律の背景にある施策のねらいのようなところはやはり担当者の「個人的な意見」でしか聞く事ができません。厚生労働省の担当官の生の声を聞けたのは大きな収穫でした。手をつなぐ親の会の方々には舞台裏でたいへんお骨折りいただいたと思います。ほんとうにありがとうございました。
カテゴリーアーカイブ: 名東福祉会の主張
ボランティア
施設の経営を安定させ利用者の人たちの生活をより質の高いものにするためにはボランティアが必要となります。
・ボランティアひとりひとりの強みをよく知り
・ボランティアの強みに合わせた業務を企画し
・ボランティアが働けるよう施設の環境を整え
・ボランティアに対する指示を具体的で明確なものにし、
・ボランティア活動内容と成果を把握し、
・ボランティアのスキルアップを支援し、
・ボランティア間の連携を促進する
こうしたことがボランティアの振興には不可欠です。
ボランティアの行為に依存し、まかせっきりのボランティア活動では、ボランティアをするにしても、はりあいもありません。
ボランティアの働きの成果について、施設職員が詳細に知らないようでは情けがありません。
「無償でやっていただいているのだから、もっとやり方を変えてほしいけど言いにくい。」では失礼です。
ボランティアの方も施設に要望や意見をしっかり述べるべきです。
すべてが利用者の幸せにつながります。
ボランティアの方が清々しい気持ちで施設に協力することができるかどうかは、私たちの心がけ次第です。
施設プログラムの活動内容をうまく構成するには
チクセントミハイの「フロー体験入門」はとてもわかりやすくていいですね。
日常生活のなかで人生をより良いものにしていくために、心理学がどのように役立てるのかがテーマですから、私たちの施設のプログラムを構想する上でもたいへん有益です。ほんとうにありがたいです。
その中に、「毎日の活動における体験の質」を表にした物がありました。
幸福 モチベーション 集中 フロー
生産的活動 ー ーー ++ +
食事 ++ ++ ○ ー
レジャー活動
テレビ ++ ++ ー ー
趣味、スポーツ + ++ + ++
ーはネガティブ、つまり効果がない
+はポジティブ、つまり効果的
++は非常にポジティブ。
ーーは非常にネガティブ。
○はどちらでもないです。
実際はもうちょっと詳細に項目が列記してありますが抜粋させていただきました。
「生産的な活動」は幸福感とモチベーションがネガティブですが、「集中」と「フロー」をもたらしてくれます。
「食事」は幸福感とモチベーションについてはとてもポジティブですが、フローには関係がない。
次にレジャー活動です。
「テレビ」を見る事は、幸福でモチベーションも高いけれど、集中するわけでもないし、フローももたらさない。
「趣味やスポーツ」は幸福感、モチベーション、集中、フローともにポジティブです。
利用者の人たちにプログラムを「選択」してもらうと、次第にレジャー活動のウエイトが増えて行きます。これはポジティブ心理学が教えるところから見ても、おそらく本当だと思います。
今、福祉施設では、もっぱら、利用者が自らプログラムを選択できることを重視します。固い言葉で表現すると「自己権利擁護」なんていいます。大切なことですが、これはくせものでもあり、危険でもあります。使い方を誤ると、利用者のチャレンジや健康を阻害することもあるからです。
趣味の活動は幸福感をもたらしてくれるし、モチベーションも高く保てるし、ものによっては集中力も鍛えられるし、フローだって体験することができます。
でも、レジャー活動だけに生活を限定してしまうと、失う物が多いとチクセントミハイは警告しています。まあ、チクセントミハイにいわれなくてもそりゃそうだと思いますけど。
レジャー活動は、常に積極的に関わるものばかりではありません。例えばテレビを見るなどの受け身的なレジャーの場合は、集中もフローもありません。
受け身的レジャーの例としては
・好きな場所を見つけてたむろす
・日がなベンチに座って想いでにひたって過ごす
・好きなカフェで時間をつぶす
・好きな漫画や雑誌を読む
・テレビに向かう
などなど。
こうした活動は、幸福感をもたらしてくれるかもしれませんが、人生において交流する人を失い、目標も失いかねません。新しい知識、技能やチャレンジの機会など、失うものも多いと思います。
「ひとりでいて何もする事がないときに、人々はより多く病気の兆候を訴える」
というのが保健衛生の知見が教えるところでもあります。人生の質とかいうレベルだけではなく、健康そのものに影響がでてしまうというわけです。逆に、目標に集中すると、身体的健康さえ増進するそうです。
昔から、「楽あれば苦ある浮き世の習ひ」といいます。楽しているだけでは一般の生活者であれば破綻は免れません。度がすぎれば「依存症」とよばれてしまいます。
受動的レジャーに対して、積極的レジャーもあります。
・踊りやダンスを覚える
・太鼓を叩く
・歌を歌う
・絵や陶芸作品、木工品などの美術作品をつくる
こうしたものは幸福感やモチベーション、集中やフローも同時にもたらしてくれます。
ただ、積極的レジャーは最初はだれしもうまくできなくて「苦痛」であったりするから難しいです。へたをすると利用者に選択をしてもらえないかもしれません。まあ、本人にあった活動の場をセッティングし、難易度を調整して、本人の力となるようコーチングしながらスキルとチャレンジを高めていくしかないのですけどね。
こうして考えると、生活の質を高めるためには、生産活動や趣味の活動、食事や休息などいろいろなバランスを保つことが大切であることがわかります。
その上、それぞれの体験の質が問題です。
生産活動もできれば収入のためだけではなく、趣味に近づけるような活動であると幸せです。
趣味の活動も集中やフローをもたらすような、チャレンジ溢れる活動が望ましいと思います。
福祉施設の支援員は自己を律してかかる必要があります。
その上、利用者の人にとって未知の活動を提案しなければならないときは多くの場合挫折を繰り返します。
やっぱり支援員はたいへんな職業だなあと思います
ポジティブな施設について
利用者の良い人生をいかに実現するのかにいつも心がけ、気を配り、エネルギーを費やしている施設はいい施設だと思います。
利用者の「個別の支援計画」を考えることは絶対に必要な作業です。
利用者にも、職員にも、家族にも、日々の活動に満足と充足感が起こるよう、明確な目標が必要です。
利用者本人、職員、家族がそれぞれ協力し合って、利用者の強みを生かす個別計画を立案することが肝心です。
やはり利用者の個別支援計画を大切にする施設が良い施設です。
利用者だけではなく、職員ひとりひとりにも強みがあります。
職員一人一人の満足感や充足感も微妙に違いがあると思います。
職員のひとりひとりの強みを生かし、ひとりひとりの個別目標を大切にし、それを全体の活動に反映するよう努力できる施設が良い施設だと思います。
同じように、家族にもひとりひとり強みがあります。
名東福祉会は家族会や後援会がその強みを生かしてきた歴史があります。
ただ、家族の場合は愛情の強さ故に時として個々の目標がぶつかり合うことがあります。
それでも、なんとかそれぞれの個別目標をすり合わせて全体の目標とすることができる施設が良い施設だと思います。
さらに、地域の独特の強みがあります。
農村地帯、工業地帯、住宅街、商店街・・・いろいろな地域ごとに強みがあります。
その強みを生かしてこそ、良い施設です。
メンバーの強みを生かすわけですから、ポジティブな施設です。
もちろん、手間がかかりますしなかなかいい答えが見つからないかもしれません。
もたついた感じがしますから、策定に時間がかかり、リーダーシップの不足というご批判を受けるかもしれません。
それでも、矛盾を克服し、お互いが歩み寄って、それぞれの人生をより良いものにするにはどうしたらいいのかを常に考え、少しでも共通の目標を見つけ出して全体の目標に昇華しようと努力する施設が、
障害がある人の幸せを実現するためには、やっぱりいい施設なんだと思います。
そういう施設と法人に私たちは成りたいと思います。
作業プログラムでフローを体験する
ポジティブ心理学には「フロー」という概念があります。
フローとは直訳すれば流水のことですが、心理学のフローは誤解と偏見を恐れずに簡単にのべてしまうと、心頭滅却して何事かに取り組んでいる状態のことです。幸福な生活をしている人はこうした「流れる水に身を任せたごとく、何ものかに動かされてしまう」ような時間を持っています。
ポジティブ心理学によると、こうしたフローが起こるときは、
・具体的な目標がある
・瞬間ごとに正しい動きをしたかどうかがわかる
・行動能力(スキル)と活動の難易度のバランスがとれている
・スキルも難易度も、本人にとって高いレベルが要求される
という条件があるそうです。
施設には黙々と作業を続ける人がいます。私たちの法人がとりくんできた陶芸の作業では、何度も受賞している人がいます。
この人たちが陶芸作業に取り組んでいるときがまさに「フロー」の中にいるときといえます。
自分自身も、こうした「フロー」を経験します。自分は職業的にはプログラマーですが、体にスイッチが入って、ソフトを設計や工夫が必要なプログラムをやっているときは時間を忘れてしまいます。
人間誰しも、目標がないことをするのは苦痛です。
やっていることが正しいかどうかがわからないと不安です。
あまりに難しいことになると、すぐに休憩が必要になります。
あまりにも簡単な事になると、たいくつで、なかなか苦痛です。
もちろん仕事ですから、いやでもやらなければならないときも多いのですが。
フローの最中は、我を忘れていますから、幸せであるとか楽しいといった事は感じませんが、一定の目標を達成して一段落すると、実に清々しい気分になります。
施設の作業では、陶芸作業に関わらず、利用者の人たちが作業に黙々と取り組んでいるときは、利用者の方々は「フロー」の中にいるようです。
名東福祉会の昨年度の作業活動の売上で見ると、
天白ワークスは499万円の売上でした。多い方から集計すると、
クッキー作業が190万円
下請け作業が122万円
陶芸作業が40万円
お米の作業が28万円
でした。
メイトウ・ワークスは317万円。同じように多い方から集計すると
縫製作業が200万円
下請け作業が69万円
陶芸作業が28万円
でした。
確かに少ないです。陶芸作業はかっては名東福祉会の一番の作業でした。陶芸製品の売上が激減したのは100円ショップ等の影響だと思います。でも、売上を度外視すれば陶芸作業はとてもいい作業です。「フロー」が起こりやすい作業だと思います。
「これをつくる」という具体的な目標がはっきりしています。
土に何か加工するたびに土が形を変え、結果が良かったかどうかすぐにわかります。
作陶は焼くまでは何度でもやり直しができ、スキルを高めることができます。
作業をパーツに分けることができるので、利用者ごとに難易度とスキルを最適なものに計画できます。
フローを起こす条件が全て整っているのが陶芸作業です。
かって名東福祉会では名古屋市内の民生委員大会などから手作り植木鉢や湯のみなどの数千個の大量注文をいただき、活気に溢れていたときもありました。
もちろん、現在行われている縫製作業や下請け作業も同様です。売上の多寡はさておき、作業プログラムは利用者のフローを生み出すことができるため、とても価値のあるものだと思います。
私たち支援者の使命は、利用者の日々の生活を幸福なものにするため、
利用者のスキルとバランスのとれた作業活動を多数生み出し、
目標が明確になる形で利用者の作業環境を整え、
結果を常に最適な形でフィードバックし続けることで
利用者の生活時間の中にフローを生み出していく
ために、利用者が利用できる作業プログラムを企画から製品の販売まで含めて常に改善していくことが事が極めて重要だと思います。
施設活動は利用者も職員も「楽しいこと」を集める
●利用者の「強み」を集めると楽しい生活になる
利用者の「強み」を知る事がアセスメントの第一歩です。先にも書きましたが、「本人の希望している生活のありよう」に本人が持っている「強み」があると考えられます。
利用者の強みには「個人的な強み」と「生活環境の強み」があります。
●本人の強みの具体的な例
笑顔で人を和ませることができる
踊ったり歌ったりして人を楽しませることができる
介助など、手伝ってほしいときにはしっかりと意志を伝えることができる
好き嫌いなくよく食べて健康である
人には真似できない芸術的な作品をつくることができる
与えられた役割を必ず実行する
根気づよく作業を続けることができる
いつも人に感謝することができる
いつまでも疲れを知らない
利用者の日常について、職員同士で雑談をする時間は大切だと思います。
「今日のカラオケ大会で○○さんがめっちゃ盛り上がって・・・」
「今日、陶芸の作品が焼けたとき、○○さんが『これ持っていっていいぞ』って私にくれたんだわ。」
「ソフトボール大会でエラーしっちゃったとき、○○さんがなぐさめてくれてさあ」
こういう会話の中に、本人の強みがあります。
●利用者の希望が引き出される行動
利用者の希望が引き出されるようにするには、雑談も大切ですが、利用者とのかかわりが大切なのはいうまでもありません。
話を良く聴いてもらえる
楽しい事を利用者の仲間、職員、家族といっしょにやる
選択を尊重してもらえる
うまくできたことについて褒めてもらえる
成功を祝ってもらえる
目標を職員や他の利用者といっしょに考える
人の役に立つ活動を実行して自信がつく
いつもと違う選択肢が他にもみつかる
こうした事柄が、利用者の希望を引き出します。
反対に、本人のやる気を失わせることがらがあります。
・子どもあつかいされる
・大声で怒鳴られて怖い思いをする
・失敗したことやこだわっていることを厳しく非難される
・職員に失礼な態度をとられる
・ケースワーカーに約束したことが実行されない
・選択ができない
●施設の強みが利用者の強みを生かすことに結びついている
利用者の強みには「利用者が生活している環境の強みが」あります。利用者が生活している環境として、施設は今利用者に選ばれています。とすれば、私たちには環境の強みを増やすようにする責務があります。
利用者の強みを知っていて、
いつも利用者の強みをさらに生かしていくような目標設定を考え、
環境を常に改善している施設
は利用者の強みをさらに高めるように、新しい目標や新しい選択肢を提案することができます。施設の運営で、特に大切なのが利用者の強みを引き出すような資源や活動が施設活用のレパートリーに用意されていることです。
そして、利用者の「強み」を生かす活動を選び、実践することを中心に施設の「次の活動計画」を練り上げていく事が望ましいと思います。
具体的には
・利用者の今の強みを知るために努力を惜しまない。そのために、ケース会議を時間を見つけて頻繁に行っている
・利用者の新しい目標の実現に真剣に取り組むことを重要視している。そのために、利用者ごとにキーパーソンを配置している
・生活空間をより快適なものに改善する(利用者の意見を聴いて)
・利用者に合った作業を見つける努力をする
などなど、施設の活動が利用者の強みを大切にして組み立てている環境です。
本人の強み(ストレングス)に着目してケアプランを立てる
障害者のケアプランのアセスメントでは本人の「強み」や「ポジティブな特性」を見つけ出し、その強みを中心にしてケアプランを築き上げるように規定されています。
ネガティブな面に焦点をあててケアプランを立てると、どうしてもその人がもっている「強み」を見逃しまいやすくなります。これが障害者ケアプランの質を決定的に左右してしまいます。
チャールズ・A ・ラップが自身の精神障害者としての体験をもとに記述した「ストレングスモデル」に本人の強みをもとにアセスメントを行う歴史的背景、理論、アセスメントの実際の記述方法等、詳しく解説されています。
わが国の障害者アセスメントでは、これまで中心だった「医療モデル」にかわってストレングスモデルが正当な考え方になっています。医療モデルは問題や疾病の改善を中心としたケアプランです。
ケアプランのモデルでは、他に、「ブローカーモデル」というものがあります。障害者の生活相談を皮肉った表現です。これは社会資源を紹介するだけという不満を批判したものかもしれません。
ケアプランは高齢者で先行して導入されました。高齢者ケアにおいては当初、相談支援機関が相談支援機関と関連が深い施設(系列施設)を利用するように誘導してしまう傾向がまったくなかったとはいえません。実際に、厚生労働省の担当者は障害者ケアの相談支援においてはケアプランの策定については、高齢者ケアのようにはせず、本人の幸せの実現のために本人のまわりにいる誰にもできる仕組みを導入したかったと述べています。
「ストレングスモデル」は「医療モデル」や「ブローカーモデル」の反省の上に立っていて、厚生労働省の専門官たちの肝いりで導入されたチャレンジングなモデルだとも思います。
本人の個人的ストレングス
・願望 生活がうまくいっている人は、目標と夢がある
・能力 生活がうまくいっている人は、彼等の願望を達成するために、彼等の得意なことを用いている
・自信 生活がうまくいっている人は、目標にむかって次のステップに移る自信をもっている
本人が生活している環境のストレングス
・資源 生活がうまくいっている人は、目標を達成するために必要な資源にアクセスできる
・資源 生活がうまくいっている人は、少なくとも一人とは意味のある人間関係を構築している
・資源 生活がうまくいっている人は、目標達成のチャンスがある
・資源 生活がうまくいっている人は、目標達成に関する資源と人間関係が相互に響き合う機会に恵まれている
障害者ケアのアセスメントでは対象となる人を<部分に分けて>診断しないで、できるだけ<ホリスティック>に見ようとします。ホリスティック(全体的)というとちょっと宗教的なニュアンスが入ってきますが、もともと日本では人間を部分にわけて考えませんし、家族や郷土との結びつきも大切にしていますからむしろ日本的な考え方なのかもしれません。ホリスティックな見方を大切にするのは、人間は部分を集めてきたもの以上の存在であるという考え方が基本にあります。
・本人が大切にしている人やものや活動は何だろう
・本人が興味を持っていることは何だろう
・本人がやっていると楽しいと感じる事は何だろう
・本人が実現したいと願っている夢や目標は何だろう
・本人が得意としていること、才能、特技は何だろう
・本人が自信があることは何だろう
・本人の支援者は誰だろう
・支援者が本人といっしょにやると楽しめる活動は何だろう
ストレングスモデルでは肖像画のジグソーパズルを完成させるように、まっさらな台紙に、その人の生の生活のワンピースを貼付けていきます。最初は絵にならないかもしれませんがとにかくポジティブなところを記述していきます。施設の日常生活における記録も、利用者本人が楽しんで取り組んだことを記録していくべきだと思います。そうして集められたジグソーバズルのワンピースで本人の肖像画を組み上げていくと、本人がポジティブに生きて行くために必要なケアプランが見えてくると考えます。
「ストレングス」という言葉を聞いて、ポジティブ心理学を思い出される方は多いのではないでしょうか。ラップらはポジティブ心理学が開始されたといわれる1998年よりもっと前からストレングスモデルを提唱しているので、いわゆるポジティブ心理学学派とは直接関係があるわけではなさそうです。
でも、ラップの「ストレングスモデル」を読んでみるとポジティブ心理学を提唱してきたセグリマンやクリストファー・ピーターソンの論文も引用しているため、ポジティブ心理学と全く無関係とはいえません。むしろ、ストレングスに注目する事が本人の生活の質を高め人生において幸せを実現する近道であるという主張はまったくセリグマンらと同じ哲学を感じます。
仮想通貨「メイト」の実践
名東福祉会に対するボランティア活動の報酬にメイトという仮想通貨を導入する事になりました。ボランティアをしていただいたら、「メイト」という仮想通貨でお礼をしようというものです。
メイトで購入できる商品は、地域の人たちから寄贈していただいた雑貨や、利用者が日常生活で消費するものです。施設で制作した陶芸製品などもメイトで「購入」できるようにしたいと思います。
もちろん、無償で行うのがボランティアですし、ボランティア活動によって得られる満足感や充足感がそもそも報酬であるというのは私自身もボランティア活動をした経験から感じるところです。
でも、ボランティアを受ける側からすれば、ささやかであっても、なんらかのお礼をしたいというのが本当のところです。もしボランティアさんの活動に対する感謝が、これまで以上に法人職員間で共有できれば、ボランティアの方にもよりいっそうのやりがいにもつながるのではないかと期待しています。
仮想通貨「メイト」を構想しているなかで、利用者の社会貢献活動にもメイトを支払うことが検討されています。
就労支援施設では収益を目標とした作業を行っていますが、なかなか「やりがい」を感じるだけの収入にはつながっていないのが現状です。名東福祉会の場合、30年に及ぶ工賃作業の歴史がありますが、その生産性は低く、利用者の収入になかなかつながっていないという現状があります。
これまでどおり、利用者の収入を上げることに努力を続ける事は当然としても、なかなか打開策が見いだせません。特に、海外で清算する低価格の製品が容易に手に入る現状では、競争に勝ちうる自主製品を知的障害者施設で製作していく事はこれからも困難を伴うと思います。
一方、工賃作業にはもうひとつの側面である「人の役に立つ喜び」があります。
人の役に立って感謝されたり、ボランティア活動に感謝することが人々の生活の質を高めるのであるとすれば、私たちは単純に「利益がある・なし」ではなく、「地域社会への貢献」という観点から施設活動を見直す必要があるように思います。
人への貢献によって仮想通貨を得て、また人から奉仕していただくために仮想通貨を使用していきたいと思います。そして、その貢献活動の輪が徐々に施設と地域の間に広がっていけば、本当の通貨である「円」は稼げなくともそれ以上に利用者の生活の質は高まっていくのではないでしょうか。
まずはボランティアのみなさんに喜んでいただけるような商品構成、利用者の方に楽しんでいただけるような商品構成は何かを、利用者、家族、職員、ボランティアのみなさんが知恵を出し合って考えていただければと思います。
人の役に立つ事をプログラムに取り入れる
ポジティブ心理学という心理学があります。認知心理学の一種で、アメリカ心理学ではかなりメジャーです。
アメリカ心理学は、はじめはフロイトを起点とする精神分析から始まり、その後スキナーらの行動主義が全盛期を向かえ、その限界を克服する形で、近年では認知心理学や認知行動療法にその中心が移っています。
1998年からアメリカ心理学会会長を勤めたペンシルバニア大学のマーティン・セリグマンはこのポジティブ心理学の創設者です。
ポジティブ心理学を応用したうつ病の治療は、薬物療法以上の効果をあげているというエビデンスが多数あります。
セリグマンやクリストファー・ピーターソンの本を読むと(翻訳本ですが)、幸せになるために必要な条件について研究を行っています。
どこかへ行きたいとか、楽しい事をしたいとか、
面白い映画を見るとか、何か欲しい物を手に入れるとか・・・も、確かに幸せにはなるのですが、
その幸せは長続きしません。
それに比べ、
楽観的であること
前向きであること
人に感謝すること
他の人に親切にすること
自分の強みを生かすこと
他の人に多くを与えること
家族や友人と一緒に過ごすこと
何か没頭できることを持つこと
といった事が幸福感には極めて重要なんだそうです。健康で長生きするそうです。
ボランティア活動も、利用者にとってとても助かるだけではなく、ボランティアをすること自体が幸せで、満たされるあることから長続きします。
障害がある人のQOLを考えるとき、生活介護施設のプログラムも「その人の強みを生かして人の役に立つ事」による幸福感をもとに、考え直していく必要があると思います。
マイケル・サンデルの白熱授業
ハーバード大学の教授のマイケル・サンデルという人がいます。この人が行う事業は、「ハーバード白熱事業」という形でNHKでも放映されたそうです。
この授業では、サンデルが正義に関する究極の質問を学生に投げかけるという手法で、正義の在るべき姿に迫っていきます。
個人的には
「随分荒っぽくて日本人には違和感のある無理筋の質問の投げかけ方だなあ」と思うのは別として、共同体の成員が迷うような具体的な事象を例に挙げ、共同体として意思決定すべき内容を取り上げ、あらかじめ成員同士で考え、話し合うことは正しいことだと思います。たとえ結論は出なくとも。
サンデルが取り上げた殺人のような極端な話はだけではなく、福祉施設の実践では全ての支援内容についてそれが「正義」なのか「悪」なのかを考える題材にすることができます。
例えば
・ひとりになりたがる利用者を個人の選択としてそのままにする事は正義か
・職員1対利用者1の散歩に出かける事は正義か
・散歩にでかけ、利用者の年金を使って利用者がコーヒーを飲む事は正義か
・工賃を稼ぐために職員が代わりに働いて利用者の収入を稼ぐ事は正義か
・障害の重い人を受け入れたため、全体としてケアの効率が下がり、既存の利用者がそれまで普通に受けることができたサービスが受けられなくなったとしても、それは正義か
逆に悪についても
・一人暮らしの知的障害がある人について個人情報の利用に関して本人の許可が取れないまま、地域ケア会議に資料提供したことは個人情報保護の観点から悪となるか
・重篤な糖尿病の患者である知的障害者に求められるまま施設のフェスティバルで提供された焼き肉を大量に食べてもらった事は悪かはたまた正義か。
・利用者が道路に飛び出す事を防ぐためにドアに鍵をかける事は悪か
・自傷が激しく、生命の危機を感じるほど頭を打ち付けてしまう利用者に対して頭を打ち付けても安全な部屋に入ってもらう事は拘束か(つまり虐待か)
サンデル自身はなかなか正義とは何か、その事例はどっちが正しいのかについて答えません。しかし、実際には障害者施設では毎日こうした問題が生じていて、私たちは常になんらかの答えを出さなければなりません。
知的障害者の福祉施設に限って考えると、職員、家族、利用者、地域の人々という地域共同体の成員を成す人がともに考え、合意し、さらにその地域の風習をも加味して考え、選択し、さらにいい方法を見つけるために不断に議論と模索を続ける法人が正義の法人なのでしょう。実際のところ、間違えてもしょうがないような事ばかりなのですから。少なくとも、疑問を持ったまま職員として悶々と悩むのは体に悪いのではないかと思います。
人知らずしてうらまず、また君子ならずや
論語が流行っているのだそうです。
「子曰く、学びて時に之を習う、またよろこばしからずや」
これを知的障害者の福祉的の世界に置き換えると
「本人にいいものは、これまで学んだことがあってもどんどん積極的に学びましょう。」
となります。
「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」
というのは
「考え方が違う人が法人の外から来て、その人が紹介してくれたいいものを取り入れると、これまでにはなかったいい事が利用者に起こる。」
となります。
「人知らずしてうらまず、また君子ならずや」
これは
「人知れずこつこつと利用者を支えることが本物の福祉マン」
ということなのかと。
福祉の方法論について上記のように柔軟に学び、効果のある実用的な技法を取り入れ改善を続けると、技法の開発者としては有名になれないかもしれません。でも利用者のために研鑽を続けているとそんなことはどうでもよくなり、最後には利用者が生活する地域が利用者にとって住みやすい地域になったかどうかだけが問題になります。
福祉サービスでは「陰」の支援時間が大半です。こつこつと利用者の傍らで支援作業を行っているとき、他のスタッフは誰も見ていないことが常です。しかし、そんなときでも利用者は誰が君子であるのか知っているのです。
福祉サービス従事者の心得としても論語は現代にも生きているのだと思います。
アメリカのプラグマティズム
最近、日経や正論等の言論誌でプラグマティズム(実用主義)という言葉を目にするようになりました。
この言葉はあまり気にもとめず気軽に使ってきましたが、ほんとうのところはどうなのかと思いアメリカの歴史的な背景から調べてみる事にしました。
それで、アメリカの建国の思想を自分なりにまとめると
1国は個人を幸せにするために存在している
2多民族が集まってできた国なのでひとつの価値観を押し付けられてもうまくいくはずがない
3個人が幸せかどうかは、理論ではなく実際に諸問題を解決した実践の結果で判断する
というところに行きつくのではないでかと思います。
アメリカはイギリスの植民地でしたから砂糖税とか茶税とか全てのパンフレットなどに貼らなければならない印紙とかで随分苦しめられました。その苦しい経験から国家の役割は個人を幸せな生活に導く事であると強く意識したといいます。
アメリカには黒人奴隷、南米からのヒスパニック、アジア系移民、ユダヤ人、イギリス人などいろんな人たちが存在していて、その上、トウモロコシで命を助けてもらったのにもかかわらず迫害をしてしまったインディアンの人たちもいます。それらの人たちは決して混合することなくそれぞれの宗教を持った多民族国家を形成しています。
それゆえ国として超越的な道徳や理念を与えられて実践するような事は不可能で、具体的な解決策は地域共同体のなかでいい結果を生みだす実用的な結論を模索するしかなかったといえます。そもそもイギリスから脱出してきた人たちは宗教的な迫害から逃れてきた人たちですし。
もともとの地域福祉の出発であった欧州のノーマライゼーションは「脱施設」ですが日本では「脱施設」というよりはアメリカのプラグマティズムの影響を強く受けていると考えられます。つまり
1個人の幸せを実践する方法に焦点を当てて考える(できる事探し)
2地域の福祉実践のキーマンが集まって解決策を模索する
3結果がでなければ方法を変える
ということで、前記のアメリカの建国の思想とよく符合します。
ところが、理論や難しい戒律ではなく、実際に幸せにつながる行動を郷土の人間が協力し合って実践しようという事に限っていうならば、日本では2000年も前から、もっといえば縄文時代からそうしてきたのではないかと、そんな風にかえって日本の福祉思想を見直すべきだと思えもします。
アメリカの思想を勉強すると、かえって日本の凄さのようなものを感じてしまうのは私だけでしょうか。
まずできる事から始める
計画、モニタリング、いわゆるPDCAサイクルの重要性が指摘されています。地域における協議会を作る事も重要です。
そこで、一般の人たちが誤解するといけないので、あえて言っておきますが、福祉サービスでは「まずできる事から始める」という大前提があります。とりあえず必要な事をするために動き出したうえで、それからよりよい計画を練ったり、環境を改善したり、チームで組織対応をしたり、地域の連携を作ったりして改善を繰り返します。それは今困難を抱えている眼の前の人が、一刻の猶予もない事があるからです。
地域の福祉計画を専門家が協議して、それから予算がついて、さらに施設が建設され、組織ができ、担当者の配置があって・・・・
という順番ではありません。大きな災害が起こったときも同じです。
有能な福祉サービスマンの場合、「まずはできる事から」が功を奏し眼の前の問題解決がうまく行きすぎて、その背景にある構造的な問題に切り込んでいく事ができないということが往々にしてあり得ます。上記の計画相談や地域の協議会は、それを防ぐという意味があります。
福祉サービスでは迷ったらまずはできる事を探す。これが原則だと思います。実践主義です。
目的を形成する際に、学習者が参加する事の重要性が強調されてよい(デューイ)
アメリカの障害者政策や医療政策を単純に日本に導入する事については、私は批判的立場です。それでも、デューイやスキナーなどの実践主義者の考え方は、学生時代に深く感銘を受け、今でも強く影響を受けている事を認めざるを得ません。
実践主義(プラグマティズム)の潮流をずっと遡るとプラトンに行きつきます。プラトンはかって奴隷を他人の欲望を実行させられている人であると定義しました。自分自身の盲目的な欲望のとりこになった者もまた奴隷であるとデューイは考えます。
デューイはその著書「経験と教育」の中で、生徒自身がこれから何を学ぶのかを取り決める活動に参加する事の重要性を説きました。目的をもって行動することの重要性といいかえてもいいと思います。現在では「利用者本人が福祉サービス計画立案に参加すること」が重視されていますが、私はこれらの福祉活動の原理は、もともとはデューイらの実践主義の流れであると考えています。
そうした考え方に影響されたこともあって、成人の「授産施設」の授産活動でも「自分自身で活動内容を決める」ことを重視したいと思いました。名東福祉会の第一の施設であるメイトウ・ワークスでは陶芸の作業が授産科目に選ばれました。そこで、私たち現場職員は
「どんなものをつくるのかを利用者とともに考え、利用者とともに実践する」
という基本的なスタイルを取りました。そして現在でも名東福祉会の諸活動には、こうした利用者と一緒に活動内容を決めるという空気が流れていると思います。
先日、私が勤務する会社の沖縄の事務所の屋根に守り神であるシーサーを飾りたくなり、天白ワークスに特注のシーサーを作ってほしい旨発注させていただきました。
しばらくたって、注文の品が焼きあがったと連絡がありましたので見に行きましたら、とても見事な、どこか愛らしいシーサーが仕上がっていました。失礼ですが、思っていたよりずっとできが良くとても満足しました。
その後、担当者がなにやら見た事もないような魔物の素焼きの大型の焼き物を奥から引っ張り出してきました。これはシーサーを製作した陶芸家(実は施設利用者の方ですが)がシーサーづくりをしていて突然閃いてあっという間に製作したものだそうです。おどろおどろしくもあり、どこかひょうきんなところもあり、それでいて異次元の煉獄の世界からワープしてきたような力を感じる芸術作品でした。これ、何の指示もなく土台の上に作り上げてしまったものなんだそうです。見事です、はい。
就労支援であろうと、生活介護であろうと、あるいはグループホームであろうと、障害者の福祉サービスにおいて大切なのは、本人が主体的に活動できる環境を作る事だと改めて思った次第です。
人は作業をこなすことで健康になれる
今日は書籍の紹介です。
◎日本作業療法士協会「作業のとらえ方と評価・支援技術」生活行為の自律に向けたマネジメント(医歯薬出版)
2012年の四月、認定調査、ケアマネジメントの研修、新制度への完全移行、利用者への説明、契約とばたつく障害福祉関係をしり目に、高齢者福祉現場では介護保険への移行から10年を経て、上記のことばに端的に表現されるような理念を持った実践主義の福祉技術が花開いています。
現在、障害者福祉が高齢者福祉に大きく水を開けられてしまっているという感があるのは私だけではないと思います。私たち障害者福祉の「デイサービス」現場はかねてから授産施設として作業をたいへん重んじて来ました。特に名古屋はその先進地として、障害が重い人でもなんらかの「意味のある(meaningful)」作業に従事し、単に工賃を稼ぐだけではなく、作業活動に伴って、様々なレベルで地域活動に参加してきました。
「意味がある」活動の方が単なる機能回復訓練よりも効果があるというエビデンスがあります。この本は利用者の主体性や実生活に焦点をあてたクライアント中心の作業療法が必要だと説きます。紹介されている作業の分野は
・日常の身の回りの作業
・家事などのIADLを維持するための作業
・趣味などの余暇的作業
・仕事などの生産的作業
・地域活動などの作業
などあくまでも実践の中に人生の質を問い直すという姿勢が貫かれています。自己決定と言うことばも随所で使用されていますが、要は、実生活を送るクライアントにどのように寄り添いながら作業活動を支援できるのかということだと。
実践事例も秀逸で、孫に手紙を気書きたいという思いを大切にした作業ではじまり、家事練習、編み物、洗濯、アクリルたわしづくり、日曜大工など、施設利用者が大切にしてきた日常に立って作業療法を展開しています。
ポイントは評価・支援技術をコンパクトにまとめていてすぐに使える様式が豊富に掲載されていること。障害者の生活介護施設のマネージャーは必見の書です。
作業療法
作業療法は成人の授産施設では死語になっていて、今ではほとんど振り返って見られることはない言葉です。他の分野の高齢者福祉、精神障害者福祉の現場では現在でも、作業療法士(OT)が配置され、「作業療法」が積極的に取り組まれていますが、知的障害者福祉分野では「作業療法」について考える人はほとんどいないのが現状です。でも、私は障害がある人の日常生活、特に新しく始まった「生活介護施設における日常のプログラム」の課題を考えるときに、もういちど注目してもいいのではないかと思います。
授産施設(現在ではセルプといいます)では、より社会参加や自立が目的となっているために、現実的な収入の糧につながるような経済活動を展開することが重視されるようになっています。例えば、大規模に印刷やクリーニング、縫製等、伝統工芸品、織物、陶磁器、家具製造等の職人的作業やパンやクッキー等の食品を作る作業、ポーチ類等の手作り布製品を作ったり、木工パズルなどを作るなどの活動が展開されるようになってきています(これは全国社会就労センター協議会(セルプ協)の情報です)。しかし、障害が重くなったり、年齢が高齢になったりすると、こうした作業に従事することは難しい人が多くなります。だいたい、知的障害者にも定年のようなものがあってもいいと思うのですがいかがでしょうか。
これから就労支援事業が就労作業によって収益を上げて行くことは難しいと思います。現在世界を重苦しく覆っている不況や、日本国内の仕事が海外にシフトしていく現状では、資本もノウハウも販売ルートももたない知的障害者施設が収益を上げ続ける事はなかなか難しいのが正直なところです。とりわけ、生活介護施設と就労支援B型施設というようにただでさえ小さな集団である施設を、施設の内部で複数の部門に分化せざるを得ないような制度設計のもとでは、作業収益を効率よく上げて行くことはこれから困難になっていくことが予想されます。また、企業の下請けとして、特例子会社ができてくると、今後、生活介護施設の魅力がじり貧になるのではないかと危惧しているところです。就労支援事業よりも作業能力の点で「下位」に位置付けられてしまっている生活介護では、職員が作業に意味を見出す事は難しいのかもしれません。
そこで原点に帰って「作業療法」です。
日本の知的障害者施設でも、1980年代以前は施設の作業は「作業療法」としての位置づけがなされていたとように思います。作業療法における作業はペグ棒を穴に差し込むだけの身体機能の改善に着目したものから、クリーニングや厨房作業など非常に実生活に近い形式で実践されるものまで幅広く展開されています。
作業は利用者の安定に結びつきます。休日を充実したものにしてくれます。旅行やレクリエーションも作業があってこそ楽しいものになります。毎日、人のために動き(これは働くという漢字の本来の字義ですが)、喜ばれる活動をする事は、生きがいや満足にもつながります。
「収益」を上げる施設が良質な施設であるとは限りません。売り上げや収益は指標としてはわかりやすいと思いますが、収益や消費などお金という指標ではとらえられない経済活動が世の中にはあります。
生活介護施設は作業しなくても良いというのは誤った理解です。私たちは作業の原点に帰って良質な生活の実現のためにもういちど作業をとらえなおす必要があるように思います。
施設利用者の高齢化が進んでいる
私ごとで恐縮ですが、私の兄は今年で62才となります。後数年で正真正銘の介護保険の被保険者となります。もともと左半身に麻痺がありましたが、最近では車椅子での生活になりました。レジデンス日進では定期的にリハビリに通院してくれています。しかしもともと医療施設ではありませんから、通院等、職員の負担も大きいと思います。最近では足に腫瘍も見つかっています。今年で名東福祉会は30周年を迎えます。同じような境遇にある人がいて、利用者の高齢化問題はこの先ますます深刻になってくる事が予想されます。10年後は現在の兄と同じようなニーズを抱えた施設利用者が増えてくる事でしょう。また親の高齢化は利用者の高齢化以上に進んでいますから、高齢知的障害者対策は喫緊の課題でもあります。
しかし、肝心の高齢知的障害者のケアのあるべき姿についてはその方向性さえ明らかではありません。
(1)現状の障害者福祉制度の枠内にとどまり、制度や施設を高齢知的障害者に使いやすく改定していくべきなのか
(2)高齢知的障害者専用のホームをつくって対応すべきなのか
(3)既存の高齢者介護制度を利用すべきなのか
いろいろな選択肢が考えられます。それぞれに費用や生活のありようと介護方法をめぐって長所と短所があると思います。
既存の高齢者の介護福祉サービスを受けるようにするならば、
・身体介護の状況と介護保険の要介護認定調査
・資金的援助や介護に関する兄弟の支援の状況
・生活保護と絡んだ収入や財産の状況
・成年後見人の意見
など、非常に個人的な情報を含めた研究が必要となります。悪い事に、知的障害者福祉の世界では、福祉サービスの提供者側はこうした「個人情報」が全くわからない状況にあり、専門性が育っていません。名東福祉会は過去何度も高齢者福祉に進出を行政に打診した事がありますがいずれも拒否されています。名東福祉会は母体が医療機関ではありませんから、経営基盤やニーズの点で無理があったのも確かです。
障害者自立支援法(平成17年)は一部施行、利用者負担無料化、障害者自立支援法改正案(平成22年)を経てこれまで度々ごたごたしてきました。そして現在は「税と社会保障の一体改革」でいったい何を改革しているのかわかりませんが、ますます混迷の度を極めています。このままでは失われた障害者福祉の10年や20年になりかねません。こうした時は必ず訪れる「高齢知的障害問題」のために腹を割って話し合える場を自分たちでつくるしかないのではないかと思います。
実現要因の改善
行動のモデルには様々なものがありますが、L.W.グリーンのPPモデルでは行動に影響を与える要因として次の三つにまとめて考えています。
(1)前提要因
行動に先立つ要因。その行動の倫理的根拠とか動機。例えば知識、態度、信念、価値観、ニーズ、能力などをひっくるめたもの
(2)実現要因
行動の実行を起こりやすくする環境の要因。各種の社会資源や地域の資源の利便性、近づきやすさ、料金の安さなど
(3)強化要因
ある行動が起こった後に、その行動を増加させる正のフィードバックを与える要因すべて
このモデルは、今では先進国のほとんどの保健政策で採用されているモデルとなっています。日本の厚生労働省も例外ではなく、「健康日本21」のモデルの下敷きになった考え方です。このモデルは社会学習理論がベースにありますから、保健衛生政策を立案する上で親和性が高い事が普及に結びついたのだと思います。それだけに、私たちのような障害福祉政策においても使いやすいモデルとなっていると思います。それで、名東福祉会の基本理念でもこのモデルを若干修正し、採用したモデルを事業報告書でも掲載しています。
福祉政策において(1)の前提要因の改善策を実践することはもちろん重要です。ですが、(2)のように、障害がある人が望んだ行動を実現しやすくなるように、地域社会の環境をつくりこんでいく政策を実践する事も重要です。1980年代から2000年にかけてのノーマライゼーション運動は、社会学習理論の立場からいいかえれば、前提要因を改善するための訓練や治療的アプローチを重視する政策から、実現要因に対する働きかけ、すなわち社会へのアプローチに重心を移そうという運動でもありました。このブログでもたびたび話題になる「地域の協働性」ですが、本質的には、本人が望む行動が実現しやすいように、地域の生活環境を改善していく運動に他なりません。
前提要因、実現要因、強化要因はそれぞれ独立しているのではなく、相互に連関し合っています。例えば実現要因の改善によって望ましい行動が生まれ、それに対して支援者の強化要因も改善され、さらに成功体験が本人やまわりの人の知識を深めて態度や信念を変えていきます。であれば、社会福祉施設の支援員は、内にとどまらず、外へ外へと行動を広げていくことが重要であると考えられます。これは表現するといいかえることができるかもしれません。
表現という活動には絵画、踊り、歌、陶芸作品などの芸術に属すものから、パンやクッキーなどの製品や下請け作業など幅広い活動を含みます。これらは本人の内側にとどまらず、外に向かって社会的な行動となり得るものであり、表現という言葉が当てはまるからです。表現は、正に「プロセス」そのものが実現要因に影響を与えます。メイトウ・ワークス30年以上前から実践されてきた陶芸作業も、障害がある人の力を社会が再認識するのに十分な活動でした。陶芸製品に多くの人が関わりを持ち、そのかかわりが地域の協働性を深めて行ったことは何人も否定できません。
表現の過程を大切にする
「結果がすべてである」というのは、結果責任の軽視の風潮に釘をさす警告の意味合いがあるからです。特に、政治家が結果責任を問われて「プロセスが大切」なんて言うのは、責任逃れのようであり得ませんよね。
でも、よくよく考えてみれば、「結果」と「過程」は明確に区別できるものではありません。得られた「結果」が新たな「目標」を生み、目標を実現する次の「過程」に繋がっていくからです。特に障害福祉は連綿と続く過程の中に諸活動がありますからなおさらです。
名東福祉会では陶芸やたいこ、ダンスに歌など、いろいろな「表現」の機会があります。もちろん名東福祉会だけではなく、多くの知的障害施設では「表現活動」を大切にしています。
ある事を「表現」しようと思ったら、日々、多様な過程を経ます。例えば小さな陶芸製品の注文を受けて、それを作ろうという仕事をするときにも、土屋さん、釉薬屋さんなどと打ち合わせが必要になります。納品のための箱も作らなければなりません。場合によっては陶芸のプロの話も聞きます。陶芸製品のデザインは指導員だけではできません。利用者の人が得意とする表現をその製品に反映させてこそ利用者の製品となります。ひとつの陶芸製品を「表現」するためにも莫大な人が関わります。そのプロセスが社会とのつながりであり、「表現」になります。祭りをやれば、発し手と受け手の間で多様な表現が生まれます。
伝統的に「表現の活動」が福祉施設で重視されているのは、「表現活動」がよい効果、よい結果を生むからでしょう。障害は、社会との関係で生まれる側面があります。表現の過程を社会と共有し、お互いに楽しむ事によって、社会も影響を受け、ひいては障害の性質そのものが変化していきます。
新しい制度がスタートしましたが、伝統的な表現過程は、生活介護施設の活動の中でも重要な地位を占めていくと思います。
障害福祉予算が足りない
これまで障害福祉予算は橋元内閣、小泉内閣の構造改革路線でさんざんな目にあってきています。ですが障害福祉予算に正当なお金を投ずることは無駄ではありません。かえって、この分野の投資を行うことは、大震災で傷ついた日本の経済を再生させるだけではなく、強靭でしなやかな国をつくることに繋がるからです。
障害者福祉への予算配分は財政破たんの原因になるという風潮があります。しかしそれは偏った見方であって事実ではありません。そもそも障害福祉サービス関連消費はGDPに含まれます。私は経済については専門ではありませんが、自分の職業である情報産業の仕事を通じて、この分野の投資不足が日本の遅れにつながっていると感じている一人ではあります。障害福祉サービスは直接的なサービス費用の他にも、様々な関連産業があります。
・障害があっても往来が安心してできる使いやすい建築物の建設
・障害がある人にもアクセスしやすい情報技術の開発
・誰でも簡単に利用でき、全国どこにでも移動できる交通機関
・ロボット技術を生かした障害支援
・個々のニーズに沿ったオーダーメイド医療
・障害者の社会参加を促す教育技術
いろいろ考えられます。日本が誇る技術を障害福祉分野に生かす機会はいくらでもあります。これは障害者に限定した投資ではなく、東日本大震災の発生をきっかけとしてこれから来ると思われる大災害への備えでもあるのです。
しかるに、障害関係に割り振る日本の予算は極めて貧弱です。厚生労働省自身、わが国の障害者関連予算が極めて少ないと認めています。長くなりますが、引用してみましょう。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/sougoufukusi/2011/08/dl/0830-1a01_02_04.pdf
(引用開始)
財政についての基本的な視点
【結論】
○ 障害関連の財政規模については、OECD 加盟国の平均値並みの水準を確保すること。
○ 財政における地域間格差の是正を図り、その調整の仕組みを設けること。
○ 財政設計にあたっては、一般施策での予算化を追求すること。
○ 障害者施策の推進と経済効果等の関連を客観的に推し量ること。
【説明】
積算作業の前提として、また制定後の障害者総合福祉法がより実質的で効力のある法律となるために、財政面でとくに留意すべき4つの視点がある。
1.障害関連の財政規模については、OECD 加盟国の平均値並みの水準を確保すること。
障害者福祉の予算水準のあり方を考える上で、参考になるのが OECD 諸国との比較である。地域生活をささえる支援サービスの予算規模(障害者に対する現物給付。ほぼ障害者自立支援法によるサービス費用に相当)について、OECD 諸国の対 GDP 比平均を計算したところ、0.392%(小数点第4位を四捨五入)であった(OECD SOCX2010。2007 年データ。34 カ国のうち、データなしのアメリカ・カナダを除く 32 カ国を集計)。
ところが、日本は 0.198%(1兆 1138 億円に相当)であり、OECD 諸国のなかで第 18 位であった。これを平均値並み(GDP の 0.392%)に引きあげるには、GDP 比0.193%(約 1 兆 857 億円)の増額が必要であり、総計で現在の約 2 倍に当たる2兆 2051 億円となる。また 10 位(0.520%)以内では約 2.6 倍に当たる2兆 9251 億円となる。(2007 年の日本の GDP 総額は 562兆 5200 億円)。
以上のデータから見ても、日本の障害者福祉予算の水準は、OECD 諸国に比して極めて低水準であり、少なくともこれを OECD 加盟国の平均値並みの水準に引き上げることが求められるが、その際、支出・給付面と国民負担率などの負担面を合わせて総合的に検討を行うべきである。
(引用止め)
私たちの国の障害者福祉予算は非常に小さいのですね。
2011年は、私たちの国のGDPは468兆円(名目)にまで下がってしまいました。失われた20年がなくて、他国並みに20年間成長を続けていたら今頃は1000兆くらいのGDPにはなっているといわれています。なにしろ、あのEU諸国でさえ成長しているのですから。もしGDPが1000兆で、OECD諸国の平均並みの0.392%の障害福祉予算が組まれていたとすると3.9兆円の予算になります。これは現在の3.6倍もの予算になります。今の3倍予算があったら!障害がある人の収入もさぞかし増えていることでしょう。
現在、消費税の議論が行われています。しかし、こうした将来への備えを優先する議論を一切せずに消費税だけを上げるのは間違いだと思います。正しい成長戦略と先を見越した障害福祉政策があれば、消費税増税は必要ないと思います。
ちょっと今日は独り言です。
障害者福祉でもっとも必要なのは、利用者と支援者の生きた往来を明確化して反復・修正していく技術だと思います。
福祉の世界は原理・原則の議論が大好きです。
例えば本人主体、選択の自由、権利擁護、自己権利擁護、虐待防止、透明性、説明責任、ノーマライゼーション、福祉理念・・・
数え切れない「理屈」あるいは「理」に関する言葉が並びますが、ひとつひとつの言葉はその定義すら定まりません。
人は一般に、原理原則の議論が大好きです。まるでこの世は「理」によって支配されているかのようです。
しかし原理主義は厳格主義につながり、例外を認めない硬い福祉になる恐れがあります。
「理」に対して「気」という言葉があります。
空気、雰囲気、人気、元気、活気、気分、意気、殺気、語気、やる気・・・
施設を訪問して利用者の人たちの記録を読めば、「気」がつく言葉が多く目に付くはずです。福祉の世界では「気」も重要な言葉として私たちの仕事を支配しています。
特に「空気」という言葉は問題があります。ひところ「空気が読めない<KY>」という言葉が流行りました。この言葉によってどれだけ福祉施設の多様な試みがつぶされて来たでしょう。
私たち知的障害者福祉にかかわるものは、「理屈」でもないし、「空気」でもないところで動くしかないのではないかと思います。
私たちはお互いに影響しあう「文脈」の中で生きています。一連の行動や環境の流れといったらいいのでしょうか。
私が行動療育について学んだことで、最も重要であると感じることは、子供と療育者の相互の行動の文脈の中にこそ療育の本質があるという事です。
これがよい支援であるのか、望ましくない支援であるのかは、やってみるまで、あらかじめ誰も決めることができません。
その価値は、支援を必要としている行動の筋道や背景(文脈)をみなければわかりません。本人とまわりの人たちの試行錯誤の結果としてその価値が決まるのです。
モニタリング(評価)という手法があります。評価というとちょっと意味が狭くなります。私は、特定の福祉的対応を行うことによって新たにどんな課題が必要になったのか、新しい「道」を見つける作業のことと考えています。
私は、提供する福祉の価値を左右し、自分たちをより向上させるものは自分たちの行動と利用者の行動をモニタリングすることにあると思います。それは自分たちがまさにそこに生きて動いているその「往来」を見つめることと言い換えてもいいかも知れません。人の往来を見つめ続け、実際にその往来に立って歩くことで人は支援技術を磨いていけるのだと思います。
虐待防止法
施設事業者としては言いたい事がやまほどある虐待防止法です。でも、どうせこうした法律が制定されるなら、これを契機に利用者のために知恵を出し合う事が最善と思います。
虐待はどうして生まれるのかを現場で考えましょう。相手が思うように動いてくれないから始まって、ルールに従わない、支援者に反抗する、さらに危険な行動を続けるといった事がきっかけとなります。
「支援者の虐待」というおぞましい言葉を当てはめざるを得ない状況まで支援者と利用者の関係がこじれてしまう前に、現場で知恵を出し合って、原因を探ります。各現場でナゼを繰り返し原因を突き止めましょう。
なぜ支援者は強引に利用者を止めようとしたのか?
→それは利用者の方が道路に飛び出そうとしたから
ではなぜ道路に飛び出すのか?
→それは、散歩に行くために入口が空いていたから
ではなぜ散歩にみんなが出かける前になぜ支援員が側にいなかったのか?
→散歩の準備と連絡をするために支援員が離れる必要があったから
ではなぜ準備と連絡に離れる必要があるのか?
・・・
といろいろと徹底的に原因を遡ったり、具体的な支援の動作を細かいステップに分析したり・・・。
私たち名東福祉会は相談についても行動療育もそれなりの技術を持っていると思います。課題はそれを法人全体で共有していない事なのです。
支援員個人の資質にしない事が大切でしょう。何事も利用者のためにを合言葉に支援内容を改善していく事が、施設における虐待撲滅の近道なんだと思います。
選択という道具
知的障害者の施設で選択を重要視するのは
・現代では選択は自由と民主主義の本質と考えられている
・従って、権利を擁護するためには選択可能性は必須ではないか
と考えてきたからです。しかし、選択には様々な欠陥があります。いいかえれば、選択してもらったからといって権利が保障されているわけではないということです。
その理由としては
・選択セットの中にろくなものがないかもしれない
・好んでした選択を繰り返した結果、長期的には本人にメリットがもたらされないかもしれない
ということがあるからです。従って、選択を提示するにしても、
・長期的な選択(少なくとも数年間)の提示
・中期な選択(数日から数週間)の提示
・短期的な選択(数時間)の提示
のすべてのレベルで確認が必要となります。そして確認の際には、「選択肢の中にいいものがありません」という選択も認められていないといけません。せめてこれくらいは、選択のときにやっておかなければなりません。
もちろん、短期的な選択しかしていない福祉サービスにとっては上記の事に気づき、改善する事はある程度意味があります。
しかし、ほんとうのことをいうと、日常の場面で、どっちを選ぶのかはどうでもよくて、「僕はあなたを選んでいるのだから、あなたが決めてください」ということが多いのではないのでしょうか。
福祉サービスの提供者だけではなく、教育者、医者、警察官、役人、議員、消防士、自衛官、海上保安官も実は、<今目の前で助けを求めている人>にどのような手助けをすべきなのか選択をゆだねれられています。実は、選択の設定を含めて選択の本質的な責任は選択の提示側にあります。極限の場面では、選択をゆだねた人間に従うしかないのです。知的障害者の福祉施設では、このことを意識する必要があるように思います。
どんな教育内容にするのか、どんな支援内容にするのかを決めるのは教育者や支援者だという意識と責任感がなければ、いい支援や教育ができるはずがありません。
私は選択という道具は必要ないというのではありません。むしろ、生活では常に選択を求められます。そのとき多様なレベルで「選択をゆだねられた人間」が生じます。特に、共同生活では。
選択をゆだねられた人は、遠くの目標を定めて、近くの道標を確認し、それに向かうためのよい方法を提示し、その意図や結果を本人に確認するしかありません。他者に道を選ぶ事をゆだねられた人はそれはもう身を引き締めて道を選ぶしかないのです。その意味では細かく政策を決めてから<契約選挙>を行うマニフェスト選挙も本当は間違いです。本当は、自分が任せても大丈夫だと思う人に政策づくりをゆだねて後は責任を持ってやってもらうしかないのだと思います(おっと、脱線!)。
選択を提示する側も、提示される側も完全ではないことは承知の上です。そこをなんとかやっていかなければならないのでしょうね。それが現実の生活です。私は、選択はそのようなものだと思います。
権利擁護はわかりにくい言葉
権利擁護(アドボケート)の語源を調べてみたら、
ad(=to) + vocare(=call) + ate(=person)ということで、早い話が「人の助けを呼ぶ人」だそうです。転じて弁護士の意味になっていったようです。
ということは、「生活上でお困りごとがあったらそれにお答えすること」が権利擁護のそもそもの意味になります。
権利擁護をもっと過激にした言葉に「自己権利擁護」というのがあります。
これも本来の意味からすれば「困った時に相談者を呼んでみる」というくらいの意味です。障害者生活支援センターは四六時中呼び出しがあってそれに応えているから、本質的な自己権利擁護の仕事をしているということになります。
もっとも、家政婦のミタさんのように、依頼されたら殺人や放火でもするというのは困りますが。
日本にはもともと絆(きずな)とか、縁(えにし)とか、結まある(ゆいまある)(沖縄ですが)とかあります。無味乾燥で分かりにくいアドボカシーよりも、深くて強くてしなやかで優れた言葉だと思います。
絆
最近は、古くなったアパートを現代のニーズに合わせて再生させるリノベーションが流行っているそうです。リノベーションとは古くなった建物を間取り等を大幅に改築してそれまでの価値以上の物を新しく生み出すように再生させる事。
出張中に、東京のある木造アパートは共同キッチンと共同リビングがあるリノベーションで生まれ変わったという番組を見ました。
住民たちは楽しそうで、そのアパートに帰って住人と何かいっしょに食べたり飲んだりしながら今日あった事などを話しています。疑似家族のようです。ちょっとメゾン一刻がめちゃくちゃおしゃれになったような不思議な空間でした。
日本漢字能力検定協会が発表した2011年を表す漢字は「絆」でした。今年もますます「絆」をコンセプトとしたサービスが優位に立つでしょう。
知的障害者の福祉の世界においては本来、「絆」は専売特許といっていいくらい大切な、大切な言葉だと思います。絆とは人と人を離れがたくしているものです。私たちの仕事は「障害者自立支援」ですが、自立とは集団の中で浮遊しているような孤立ではなく、<必要なときに必要な人とかかわる力を自ら持てるようにする支援>だと思います。言い換えれば、本人にとって有意義な「絆」をつくるための支援なのかもしれません。
絆を感じることができる時間づくり、空間づくり、人づくり、仕事づくり、街づくりを通して、地域の中に「絆」を張り巡らすことができればいいと思います。もっとも、絆でがんじがらめになって身動きが取れなくならないようにもしなければね。プロならば。
今、増税ですか・・・
GDPっておおざっぱにいえば日本国内で消費されたお金の総額です。確かに、GDPの社会保障に占める割合は大きくなっています。反面、日本のGDPの伸びは停滞しています。
ただ、名東福祉会のような障害者福祉団体の活動では、往々にしてこのGDPに反映されられないような「経済活動」をしています。
例えば、施設のボランティア活動は施設職員と変わらない活動をする事がありますが、無償であるためGDPには加算されません。
物を購入して使うのではなく、誰かのものを共同で使ったりする事もGDPには反映されません。上ノ山の畑で採れたものを給食で使用すると、もちろんGDPには反映されません。
利用者の日中活動で、「ご近所の役に立つ」ために、畑で採れた花をリサイクルの植木鉢に植え、それを無償でご近所にお配りしても工賃は稼げません。でも、「お礼」として地域の夏祭りにご招待されたり、地元出身の野球選手が来てサイン会が行われたり、ギター演奏やバイオリンの演奏会があったりするかもしれません。お金は動きませんからこれらの活動は本質的にGDPには無関係です。無関係ですが、お金を稼いで使う以上の喜びは感じる事ができると思います。
社会福祉の活動にはお金がかかります。しかし、工夫次第でお金がかけずに生活の質を向上することも可能だと思います。経済指標では計り知れないのが福祉活動です。
増税をして、社会保障にあてるというのは、何か、社会保障が増税のいいわけのネタにされているようで嫌な感じがします。
それよりも、施設建設の規制を撤廃するとか、提出書類を減らして実質的に利用者が満足するための時間をとりやすくするとか、子どもたちが福祉施設での活動体験を増やすようにするとか、障害者が企業で働きやすくするとか、気の合った仲間どうしでも施設を運営できるようにするとか、もっと社会福祉施設の活動がやりやすいような環境を整えることに力を入れてくれればいいのにと思います。GDPや消費税とは無関係ですから。
自分で決める
NHKの番組で「プロフェッショナル」という番組があります。その中で紹介されていましたが、旅館経営再建のプロと呼ばれる人がいます。
この人の特徴として、現場スタッフに経営会議に参加していただき、重要な項目も現場で決めてもらうという姿勢があります。
例えば、宿泊料金や旅館のターゲット(主なお客様層)などについて従業員に決めてもらいます。この人「どうしますか?」というのが口癖です。
もちろん、それまでに旅館経営に関する周到な準備を行い、現場の人たちが意思決定しやすいようにデータは整理しておき、会議に臨むくらいの事はします。旅館再生のプロとい言われるその人は、実際にはファシリテーター(学習の促進者)に徹するという立場で旅館の再生を行っているわけです。
物事を学ぶ時、<自分の意思で行動した結果どうなったかを体験する>ことが極めて重要です。主体的に行動したその結果は<自らの行動の結果=自らの成果>として学習することができます。言われてやった事は身に付きにくく、自ら動いて学んだ事は応用が効きます。
児童行動療育センターのスタッフの報告を読ませていただきました。
その中で、親や教師の人たちに、障害がある子どもの支援内容や支援方法を決定してもらうことが、良好な支援を家庭や学校でも継続するために重要である旨の記述がありました。ああ、児童療育のような専門的分野の療育方法の学習事情も、ビジネスの領域における人材育成も同じ事が底流に流れているのだなと思った次第です。
親向け合同研修会:自立支援法の見直しと家族会の対応
11月7日の合同研修会の資料
■前回のミーティングからの報告
・安全・安心委員会スタート
・接遇委員会スタート
・給食委員会→アドムを参考にするなど改善がみられる
ここから本題・・・
1 障害者自立支援法が見直されます
■厚生労働省の発表
1 法律上も負担能力に応じた負担が原則であることを明確化。
2 グループホーム・ケアホーム入居者への支援を創設(居住に要する費用の助成)。
3 発達障害者が障害者の範囲に含まれることを法律上明示する。
4 総合的な相談支援センター(基幹相談支援センター)を市町村に設置。
5 支給決定の前にサービス等利用計画案を作成し、支給決定の参考とする。
6 障害児施設(通所・入所)について一元化。
7 「放課後等デイサービス」を創設。
8 保育所等を訪問し、専門的な支援を行うため、「保育所等訪問支援」を創設する。
9 成年後見制度利用支援事業の必須事業化
10 事業者における法令遵守のための業務管理体制の整備。
■グループホーム利用促進
○公営住宅を含めた公的賃貸住宅が的確に供給されるようにする
○住宅のバリアフリー化を促進する
○公的な家賃債務保証制度
○障害に基づく入居拒否については法的対処が可能に
○グループホーム等の建設に際し、地域住民との間において生ずるトラブルへの回避
2 名東福祉会が今後とるべき方向性は?
■施設ケアの方向性
・地域の方々から、個人個人の意思に基づいた寄付をいただけるよう努力する→必要とされる法人に
・グループホーム運営形態(ニーズ、資本、供給量、規模、職員数、利用料)について検討
・新しい形態の就労支援へのチャレンジ
・芸術・分化活動の普及
・介護の生産性向上
・行動療育事業の強化
・委員会(質の改善、ケア内容の妥当性、説明技術)
・自己決定支援
・生活スキルの育成と強化
・家族成年後見人の横領事件が社会問題化する→成年後見人制度について知る
・利用者にとって快適で有意義な環境の整備
・「はたらく」「よろこんで」を重視
■施設間連携
・個々の施設の特徴に合わせて自分たちで目標を決める
・施設間のWIN/WINを大切にする
・施設間で相乗効果を発揮する
■研修と研鑽
・自己決定を支援する組織的な風土・分化
・委員会
安心・安全委員会
給食委員会
接遇委員会
・内部監査機能の強化
■具体的事業目標
・名東区または天白区にグループホームを設置したい
Qその運営方法は?
・名古屋市に行動療育センターを設置したい
Q場所・方法
・「はたらく」「よろこんで」を大切にした就労支援
Q事業内容は?
3 家族は、名東福祉会をどのように支えるか
■一人年間3000円以上の寄付をお願いします
・税と社会保障の一体改革で寄付金の控除に関する通知→必要とされている法人か?
・施設利用者以外にもお願いする
■施設を超えた家族の連帯
・家族も、自主的に委員会や勉強会を開き、研鑽に努めるべき
・横断的行事
・合同家族会
■権利の主張からポジティブな支援活動へ
・権利擁護は負の強化 施設にとっては心地よくはない
・○○せざるを得ない→喜んで○○したい
・障害者を雇用しないと罰せられる→喜んで障害がある人を雇用したい
■怒られるからやる→喜ばれるからやる
・施設ケアを育てるのは家族会の役割
・20年間の企業活動を通して感じた事をひとことでいえば喜んで働く組織が発展する
「お客様に喜ばれる仕事ができて幸せだ」
だめな施設は・・・
・(職員)いくらやっても家族には感謝されない→契約内容の見直し
・(家族)何かがあると退所や損害賠償を求められる→弁護士、成年後見人などで理論武装
負の強化では、多様な行動は現れず、組織が分断され、次第に組織は弱くなっていく
反対に「喜んでやります」と口に出すだけで、不思議に行動が変わる
■家族自身が法人に対する貢献方法を考える
・ご自身で何がやれるのかを考えましょう
親亡き後、知的障害者の成年後見人について考える
親亡き後を考えるという勉強会が延期されました。今回は、資料として用意しておいたものを書き込んでおきます。
テーマ:親亡き後、知的障害者の成年後見人について考える
1 成年後見人を決めるだけでは心配は消えない
2 遺産がある場合には、相続後の財産の有効利用を考えておく事
3 法的に権利を護る事よりも支えてくれる人に感謝することが大切
1 成年後見人を決めるだけでは心配は消えない
■成年後見人はもともとは・・・
・財産がある高齢者が、
・自分がまだ判断能力があるうちに、
・自分に代わって、
財産管理、医療看護の契約を取り行ってくれる事を委任したい
典型例 家族に観てもらえない一人暮らしの認知症高齢者→その後、知的障害者にも広がった
事業者のすそ野が広がった高齢者介護ではますます重要な課題
Q 知的障害者ではどうか?その理由は?
■成年後見人の実態
「子・兄弟姉妹・配偶者・親・その他親族」が後見人等に選任されたものが全体の約83%
第三者が法定後見人に選任された件数は、全体の約17%
・弁護士952 件
・司法書士999 件
・社会福祉士313 件
今後、専門家、NPO、市民ネットワークが増える可能性あり
Q その時、施設との関係はどうなるのか?
■知的障害者成年後見人の仕事
1財産管理
2自己決定支援
◎自己決定支援だけなら施設職員の役割と変わらない
身上監護(生活・療養看護)
①被後見人の介護契約・施設入所契約・医療契約等についての代理権
②被後見人の生活のために必要な費用を、被後見人の財産から計画的に支出する業務
介護労働や家事援助は後見人業務の対象外→家族後見人の場合、事実上の無報酬。
Q 家族以外の人が成年後見人を受けることは、当人にどんな利益があるのか?
■ほとんどの知的障害者には財産がない
高齢者との決定的違う点であるが、相続によって財産をもつかもしれない
→ただし成年後見人が、遺産相続の当事者となる場合には貢献人資格を一時的に失う
年金を貯めてきた人は数百万円を所有しているかもしれない
しかも、知的障害者の相続権は家庭裁判所によってきっちり守られている
財産分与について、親は希望を伝えておく必要がある
■成年後見人の報酬は?
法廷成年後見人 報酬は未公開だが、推定で月額5000円~50000円
家族成年後見人の場合はほとんどが無報酬
成年後見人に補助金は出ない
財源は本人の財産
※実際には年金の額が少ないので報酬は支払えないケースがほとんど
※被後見人に使われる経費と後見人報酬があいまい
◎本人に財産がない場合は、成年後見人事務にかかる経費を年金から支払う構造
◎後見人が被後見人の財産を横領するケースが時折ニュースになる
成年後見人監督人が必要
Q これでいいのか?
2 親亡き後
■家族の役割分担
日ごろから家族の役割分担を示唆しておく事が重要
(本人に必ず遺産が分割される)
遺産の有効利用の方法を考えておく
例 土地の場合→アパート(グループホーム)経営?
※まだ権利擁護体制ができていないため、研究の必要がある
■権利を明確にするだけでは人を護ることはできない
長い人生を乗り切るには支援ネットワークが必要
成年後見人の選定をしておく
Q ただし、現在の障害者政策は権利付与による社会変革
■子は親の鏡
親がやっている安易な事を子どもは真似る
親は年金を本人のために残すという習慣を作る
権利を護る事よりも感謝することが大切
我欲を抑えた行動をとる
・他者を優先
・職員・ボランティアへの感謝
・家族への感謝
・地域への感謝
・私欲を抑える(わが子よりも他の人を先に)
・お互いを支えあう家族会活動
○○せざるを得ない→喜んで○○したい
負の強化ではなく、正の強化で社会を変える
■家族会の役割→支援ネットワークをつくる
今後、障害者施設の経営が好転する機会は少ない
本来は、知的障害者の権利擁護や成年後見を必要としない社会が望ましい
そのために、施設を超えた連帯が必要→家族の結束と連帯で社会を動かす
施設は成年後見を必要としない安心・安全の施設サービスを提供すべき
職員はいい仕事をして本人、家族、地域に喜んでいただく
職員も家族も、できるだけ地域の他法人と連携を深める
家族は地域、職員、そして本人に感謝する
ともにはたらく
日本人ほど相手の事を考える民族は他にいないといわれています。
「はたらく」という言葉は日本語本来の意味は「はた」と「らく」すなわち周りの人を楽しませるという意味だそうです。
労働はもともとは英語のlaborから来ています。さらにその英語のlaborはラテン語のlaboro(努力する)ということばから来ているそうで、苦しみながら何かを成し遂げるという意味が強い言葉だと思います。ちょっと眉間にしわがよりそうな言葉です。
一方、日本語の本来の「はたらく」という言葉は周りの人を楽しませる事が第一。とても明るく、誰しも思わず笑顔になってしまう言葉なのだと思います。
「就労支援」・・・これは今の障害者福祉のキーワードです。障害者就労支援という言葉を漢字の分解をして意味を考えれば、障害がある人を、苦労をして稼ぐ場に就く事を支え援助するという事になります。この考え方にどこか私たち日本人が大切にしてきたものが抜け落ちているような気がしてなりません。
「ともにはたらく」
この言葉を本来の意味から考えれば、私たち施設職員の使命は、職員や家族、ボランティアが障害がある人とともに、地域の人たちを楽しませる活動に従事することだと思います。
工賃や売上は、確かに大切な指標ではありますが、こうした活動の本質はなかなか数値に表れてきません。会計報告とはそうしたものだからです。でも、確かに、名東福祉会の各施設の現場では「ともに楽しむ事」を大切にしてきました。
今は円高・デフレで利用者が作ったものが売れない時代です。でも「周囲の人を楽しませる事」が本来の日本の就労支援の在り方のはずです。「楽しさ」をキーワードに、私たちは自信を持って日々の施設活動を続ける事が大切なのだと思います。