地域福祉を進めるためにはさらに改革を進めることが必要

2008年は改革が中途半端な状況でストップしてしまった年です。介護や障害者支援事業の改革を進め、新しい介護の市場をつくりここに人材が集まるようにしなければなりません。

ところが、社会福祉は前にも後ろにも進めない状況の中で停滞しています。そもそも社会福祉法人が行ってきた事業は今はNPOがあり、株式会社も参入できるようになっています。
多様な経営主体が参入し、それぞれの得意分野でサービスを競い合うことが社会福祉法人改革の目的でした。
現実には報酬単価の低下や補助金のカットが先行して実行され、新しい参入者が激減してしまいました。その上、株式会社が参入するから不正が起きるというニュアンスの報道があいつぎ、改革のイメージが故意に歪められたと思います。

改革の大きな要素として地域福祉があります。地域福祉を進めるに当たって、施設解体という誤った考え方ではない新しいパラダイムに基づく地域福祉の推進政策が必要です。

これからは地域の生活実態に合わせた地方行政ができるように、思い切って地方に任せる政策が必要だと思います。本来、人間の生活を単一のサービスでくくることはできません。都市と農村地や山間部、水産業の盛んなところでは生活様式も異なります。

地域福祉を進めるには地域に産業があり人が戻ってくる政策が必要です。
具体的には農業振興、水産業や山林業の振興などを行うことが必要です。
そうした生活の糧があって、地域の福祉サービスも生き生きとしたものに生まれ変わります。

地域の伝統を受け継ぐことは那(国)を誇りに思うことであり、
那(国)のために働くことは人のために働くことです。
人のためになることは生きがいを持てる豊かな人生を送ることであり、生きがいを持てる生活を応援することが福祉の本質です。

地域で株式会社、NPO、社会福祉法人がそれぞれの役割を地域の実情に合わせて協働できる環境の整備が望まれます。
そのためには、そうした多様な経営主体が参入できるビジネス環境が必須です。

現状では改革がストップしているために経営努力をしているとは思えないような法人も市場から退出していきません。
同時に株式会社やNPOの介護ビジネスは青息吐息で目の前にいる利用者のために、使命を忘れることなく懸命に介護を続けています。

人材不足も依然として深刻です。派遣労働者が8万5000人契約を打ち切られるということが話題になっていますが知的障害者の分野の応募状況は改善されていません。
やはり介護報酬や支援費報酬の少なさが問題です。魅力あるビジネスにするためには報酬単価を<抜本的に>見直していただきたいと思います。

「地域福祉を進めるためにはさらに改革を進めることが必要」
これが2008年の改革の揺れ戻し実験の結論だと思います。

天皇陛下から御下賜金を賜りました

12月23日の天皇誕生日に際して天皇陛下からメイトウ・ワークスに御下賜金がいただけることになりました。本日25日には名古屋市役所におきまして伝達式がありました。
伝達式には私と豊田所長とレジデンス日進の浅井所長も同行して局長室へ参りました。

何年かに一度、全部の福祉関係者から愛知県で1箇所だけ選ばれるので、めったにいただけない賞だとお聞きしこよなく名誉なことと恐縮の極みでございました。

もちろん、メイトウ・ワークスの職員はじめ家族会の皆さんが利用者の幸せを願って30年近く営々と築き上げてきた実績といえると思うのですが、よくやってくれた!!と感謝の気持ちでいっぱいです。

所長たちが
「メイトウ・ワークスが開所したころから施設を開放したり、地域の人たちと色々な行事をやってきましたが、当時はまだ他の施設があまりそういうことをしていませんでした。奈々枝所長が地域を大切にしましょうと口癖のように言われ、そうしたことをいろいろやってきたことを懐かしく思い出しました。」
と言っていました。

「こちらから住民の人たちにはこんにちはと言わなくてはいけないよ」とか
「何かあったらすぐに地域の人のところにお伺いしなさい」とか
メイトウ・ワークスのやきもの祭りを地域の皆さんにお礼の気持ちで続けたこと・・・
いろいろなことがことを積み重ねてきたことが今日につながっているのだと思いました。所長たちが「職員に伝えていかないといけませんね」と言ってくれたのはとても嬉しかったです。

まだまだやるべきこと、やり残していることは山のようにあります。利用者の人たちがしっかりと地域の中で暮していけるよう、そして親も元気で毎日を楽しく充実した気持ちで暮していけるようこれからもがんばらなければならないと決意を新たにしました。

2008年12月25日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

寂光院のちりもみじ

12月2日、メイトウ・ワークスの家族会の皆さんに同行させていただいて、
犬山の寂光院、有楽荘などに行き、秋たけなわの風情を充分に楽しませていただきました。

寂光院は山のてっぺんにありますので、私は登って行けません。
下の駐車場で充分、美しい紅葉を見ることができましたし、織田有楽斎の茶室では素朴な中、高価な抹茶茶碗でお茶を味わうことができました。
お昼ごはんも美味しかったです。
繁雑な日常から遊離して、優雅な世界にひととき身をおくことは大切なことだと思います。

その優雅さについつられ、
昔、たびたび京都の大石順教尼の庵を尋ね、全教尼(順境尼の弟子)のお話をお聞きしながらお茶を頂き、心洗われる思いをしたことをメイトウ・ワークスのお母さん達に披露しました。

大石順境尼は芸子であったとき、父親に両腕を切り落とされました。
それでも父親を憎むことをしなかった。人を憎まず、自分を愛して生きてきたからこそ幸せであったとのことです。
その後、順教尼は仏の道に入り修行しながら尋ねて来る身体障害者の面倒をみながら仏に仕えられました。
京都の山科にある観修寺の中にある仏光院と可笑庵は順教尼のゆかりの庵です。

この頃は京都に行く機会もなく、心は少々くたびれてきましたが、
お母さん達と一緒にお茶をいただき、有楽苑の庭を散策して、ちりもみじを受けながら優雅なひと時を過ごすことができたことは、ありがたいことでした。

2008年12月13日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

司法判断をしなければならない時代

知的障害者の犯罪が起こりました。マスコミの注目度はやはり高いものがあります。

裁判員制度が始まります。すでに裁判員候補通知が送付されています。
日本の裁判員制度は世界でも特異な制度であるらしく、
1 量刑として死刑を含むこと
2 事実認定と量刑を含む制度
3 職業裁判員と選挙人名簿から無作為で選ばれる裁判員が司法判断を行う
など、いろいろな点で世界の制度とは異なっているそうです。

殺人事件ともなると非常に長い時間の審理が必要となります。
素人にもわかりやすく説明せねばならず、時間がさらにかかりそうです。
時間の長期化を避けるため、これまで職業裁判員が行っていた審理とは違い、いいかげんな審理にならないか心配です。
重大な事件になれば報道が裁判員の判断に大きく影響しそうです。裁判員の判断がこうした報道から自由でいられるか疑問です。

一般の人たちがこうした重大事件の審理に長く参加することに耐えられるかもありますが、
素人の私たちが今回のような知的障害者が犯した犯罪について、死刑という判断をすることの重みに耐えられるのかについても疑問があります。

人が人を裁きその結果に人の命がかかわる・・・これは重大な判断です。やはり職業裁判官だからこそ正しい判断ができるというものです。

裁判員が死刑の重圧を避けるため、どんな犯罪を犯したとしてもこうした被告に対して無罪という判決が増え、結果として知的障害者や精神障害者に対する不当な差別が増えてしまうのか、
あるいは、西洋の「魔女狩り」を連想させるような、とてつもなく暗い時代に入ってしまうのか。

誰かこの制度をとめてくれる政治家はいないのかと思います。

新たなビジネスモデルの構築を

この1年、世界は不景気の時代に入り、しばらくの間は地方自治体の財政難から知的障害者福祉についても危機的な状況が続くと思われます。
名東福祉会はこうした厳しい時代の中にあっても、利用者の満足の探求を続けていかなければなりません。

現在の障害者福祉は横並び、官主導で運営されていて、まさに「古いビジネスモデル」で経営が行われてきています。
こうした体制のもとで緊縮的な財政政策がとられると、それにつれて、最も末端の下請け作業を行っている授産施設などの障害者福祉サービスもジリジリと衰退してしまう傾向があります。
障害者雇用や就労支援などのしくみが崩壊してしまわないよう行政によるなんらかの手当てが必要であることはいうまでもありません。

その一方で、私たち社会福祉法人の経営についても、自ら変革していくことが必要です。
社会福祉法人が長期的に安定して利用者の満足を追求し、新たに地域のニーズを掘り起こして地域に根ざした組織として定着していくためには、
私たちが社会福祉法人の中核的な競争力、すなわちコア・コンピタンスを持てるように変わって行くことができるかどうかにかかっているといっても過言ではありません。

世界的な不況により、今後も数年間は国内の産業構造が大きく変貌していくことが予想されます。
企業は生き残りを掛け、雇用の調整など様々な分野で流動化が起こり、それにあわせて新しい競争力をもったサービスが創出されることが考えられます。
これらの中には、従来福祉的な分野に限定されて提供されてきたようなビジネスモデルも出てくることが予想されます。

いわゆる企業内に設けられる障害者就労支援センター、
高齢者ホームと障害者ホームの複合モデル、
障害者多数雇用農業法人モデル、
企業内保育所、
企業連合的なNPO組織が経営する障害児療育センター、
企業や自治体を顧客とした障害者多数雇用事業所、
など、新しい福祉モデルがその芽を吹き出しつつあります。これまでは実験的な試みであったものが、確固たるビジネスモデルとして福祉分野に進出してくるはずです。

また、そうしたビジネスを支える基礎技術の分野の進展も見逃せません。
介護ロボット産業の進化、
通信技術の進化と遠隔地の生活支援技術、
電気製品のインテリジェント化とネットワーク化による見守りシステム、
福祉事業・医療関連ソフトウェアの進化、
都市における自動車利用のしくみ
福祉ケア付きマンション
行動科学の進展
など、新しい福祉ビジネスモデルの創出を支える産業技術も育ちつつあります。

人の流動化、社会資源、基礎技術の進展により、これまで考えられなかったような新しい福祉ビジネスモデルが生まれて来るのではないかと予想しています。
肝心なのは世界的な経済の変動に連動して流動化した雇用を吸収しつつ、行き場を失った資金を集めて福祉ビジネスの進化が始まるのではないかと思われる点です。

私たち障害者福祉分野の人間は、この数年の間、障害者自立支援法ショックに翻弄されてきました。
新しい福祉ビジネスモデル創出へのムーブメントについては、障害者福祉分野では工賃倍増計画がいくつかの福祉大会で提案された程度で、ほとんど意識もされていないのが現実です。

私たち社会福祉法人は旧来からの古い福祉モデルにしがみついているわけにはいきません。すなわち横並び主義・要求行動至上主義・天の声待ちの体制から、
新技術に積極的に関心を持ち、
地域ニーズと利用者満足の追求のために、新たな展開を求めていくことが必要であると思います。

一時の現象でしかない規制強化への揺れ戻し施策や、福祉予算への一時的財政出動に気を緩めることなく、今後10年のスパンで社会福祉法人の改革を継続していくことが必要です。
厳しさが増す今こそ、新しい時代に向け、社会福祉法人の持てる力を結集していくことが必要なのではないでしょうか。

ノーマライゼーションは障害者を不幸にしていないか

近年、ノーマライゼーションや権利擁護についてこれまでとは全く異なった角度から批判が強くなってきているように思います。

特にインターネットの世界では一般の人たちからのノーマライゼーション批判が強くなってきています。なかには目に余るような汚い言葉使いで知的障害者をののしったり、不当な恐怖を煽るような書き込みが増えています。

ノーマライゼーションの考え方は障害者団体の「錦の御旗」でした。もちろん名東福祉会もこの理念を掲げて30年が経過しています。

ここで確認しておかなければならないことは、ノーマライゼーションは福祉サービスを低下させたり縮小したりすることではないということです。入所施設を解体することがノーマライゼーションであるかのように喧伝する人がいますがこれは誤りです。

本来のノーマライゼーションは、障害がある人に必要なケアを提供し、必要なサービスを自由に選択することができるようにすることです。知的障害がある人の教育や支援は、幼児期や学齢期に最適な方法であたれば、その後の人生のすべての問題が解決するわけではありません。むしろ、適応行動はまわりの人たちの継続的な働きかけによって改善されますが、不適切なかかわりかたで不適応行動も増えていくのが行動の原則です。支援や教育をなくすことが自立支援ではなく、適切に継続していくことが自立支援であり、継続的自立支援の行き着く先がノーマライゼーションなのです。

最近、知的障害がある男の殺人事件が報道されました。関係した方々の失意を思うと胸が痛むばかりです。

こうした事件が起こるたびに、知的障害のある人たちにサービスを提供しているものとしては、地域ケアのしくみが圧倒的に不足していることを感じます。名東区生活支援センターのリポートにもあるように、知的障害者が主体的に地域で生活し、明るく健やかに人生を送るためには、選択できる福祉サービスが不足しているのです。

地域福祉時代といいながら、一対一の母子関係に強く依存した閉じた生活を強いられる状況に追い込まれている事例が多いのです。行政の担当者や専門家は、セルフアドボカシー(自己権利擁護)というような難解な言葉を導入して、何もしない、何もできない状況を是とすることはあってはならないことです。

一方、現在の法曹界に広がる権利擁護運動についても首を傾げたくなるような事例もないわけではありません。障害者だから責任がないということについてもそれが果たして権利擁護といえるのかについても考えていかなければならないと思います。たとえ知的障害があっても同じ人間として<罰を受ける義務や権利>もあるのではないか、それが本来のノーマライゼーションではないかと思う事犯も多くあります。

私たちのように障害者福祉を実践する団体も、そろそろノーマライゼーションという言葉について考えなければならない時期に来ているのではないでしょうか。

今年はみかんが大豊作だそうだ。

岐阜県養老山脈のふもとにある南濃町はみかんの一大産地。山中、みかん色にきれいに染まっていて壮観だそうだが、このみかんがまったく収穫できない。

収穫しても費用がかかり価格があわないそうだ。農家の高齢化の問題もある。収穫できないみかんはそのまま完熟になって下に落ちたり、鳥がついばんだりしている。

こうしたみかんを施設の親の絵がみかん狩り観光も兼ねて収穫できないものだろうか。2トントラックをバスに併走させ、バスに乗った人たちが収穫する。名東福祉会の新しい焼き菓子の店「ロト」
ここには駐車場があるのでみかんを並べてバケツ1杯100円で販売できたら面白い。

農業にはこうした当たり年や不作の年がある。名東福祉会は都市と農村地帯の境にある。都市と農家を結ぶサービスとして日中活動を企画しやすい。こうした地の利を生かせば地域とのつながりも自然に深まるし、様々な意味で利用者の生活の質もあがるのではないだろうか。

あいさんはうすの竣工式

11月28日は愛燦会が建設された障がい者センター「あいさんハウス」の竣工式にお招きを受け、
名東福祉会の関係者とともに列席させていただきました。

建物はとても明るく、便利で、4階建てのすばらしい施設です。
いろいろな工夫があり今後の活動にご期待申し上げます。
理事長の中野さんのごあいさつの中で、
「あなたが楽しいと、わたしは嬉しい」
をスローガンに歩んでこられたとのこと。私はジーンとしました。

まわりの人たちの幸福を喜び、まわりの人たちの苦しみを悲しむ。
人と人が支えあい、お互い様、おかげさまで生きていく。
人としてのもっとも大切な生き方を教えられたようですがすがしい気持ちで帰ってきました。

2008年12月3日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

大須賀先生と船橋先生の思い出

神武景気によって日本が復興を果たし、日本は活気のある時代を迎えました。でも知的障害者の施設はそうした世の中の流れからポツンと取り残され、誰も知らないところで手探りで運営が続けられていました。
障害者施設で働く職員は世の中の平均的な収入とは程遠く、みなボロボロの服を着て、それでも明るく懸命に知的障害者の介護をされていました。

愛知県ではじめてできた知的障害者施設、恵泉館の館長の故船橋玉耀先生と、愛知県の民生部の故大須賀先生に呼ばれたことがありました。
当時から大須賀さんは若手のやり手官僚として愛知県の厚生行政をひっぱりつつありました。大須賀さんは開口一番私に
「施設で今、何が必要だと思う?」
と聞かれました。

私は日ごろから職員の人たちの生活がたいへんだと思っていたので
「知的障害の人たちが幸せになるには、まずは職員の人たちが報われるようにしてほしい。」
と言いました。知的障害者の人は覚えるのに時間がかかります。彼らの幸せのためにはそれを支える人が気長にじっくりと取り組むことが必要です。そのためには職員が結婚したり、子どもをつくったりすることができないといけません。当時の職員にはそのようなあたりまえのことが程遠い夢だったのです。
大須賀さんは
「その話を知事の前でしゃべってほしい!」
と私にいいました。

後日、船橋先生と大須賀先生に連れられて故桑原知事にお会いしました。
日ごろ思っていたとおり、知的障害児の置かれている現状や福祉施設職員さんたちの生活のことを知事に伝えました。
桑原知事は涙を流さんばかりの表情になり、
「知らなかった。そういう現状があるんだねえ。何とかしましょう!」
とおっしゃってくださいました。

その後、大須賀先生と船橋先生は民間福祉施設の職員の待遇改善に向けて全国に先駆けて尽力され、有名な民間福祉施設運営改善費制度ができました。
この制度のおかげで愛知県では民間の福祉施設の運営が格段に楽になり、多くの障害がある人が安心して生活できるようになったと思います。また多くの優秀な人材が育ったのだと思います。

大須賀先生は後に愛知県の民生局長になり、その後、愛知県を退職されて県の民間福祉施設のリーダーとしてみんなをひっぱってくださいました。大須賀先生は亡くなられるまで何度も愛知県庁に乗り込み、みんなを代表して障害がある人たちの幸せのために尽力してくださいました。

船橋先生は愛護協会長として長年、愛知県の知的障害者施設をひっぱってくださいました。

2008年11月30日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

愛知県版障害者差別禁止条例について

愛知県に障害者差別禁止条例制定の動きがあるそうです。障害者差別がなくなることはとてもよいことですが、この条例で本当に差別がなくなるのか心配です。
愛知県障害者差別禁止条例のヒヤリングがあるそうです。千葉県でも問題になっていたように、今後、愛知県福祉協会としてもこの条例の問題点について議論をしていただきたいと考えています。

問題点

1 障害の定義が千葉県と比べると具体的であるとしても、あいまいで、安易な障害の対象の拡大の恐れはないか

犯罪を犯しながら精神障害であるとする詭弁を弄して犯罪を逃れようとする犯罪者が増加しています。そうした人間にとってこの条例は追い風とならないでしょうか。

2 差別禁止よりも障害者自立支援の充実や改善が先ではないか

福祉サービスが充実し、様々な行き方の選択が出来る状態になってこそ障害を起因とする制限は少なくなります。
禁止による行動の制御よりも、社会全体が生活上の制限を少なくなるように制度の改善や福祉サービスの拡大をしていくことが本来の姿であり、障害者のQOLの向上に結びつく政策だと思います。

3 知的障害者の場合、実質的には福祉サービス提供時における差別が問題となる

条例には「労働者を雇用する場合において、本人が業務の本質的部分を遂行することが不可能な場合」は障害を理由に雇用を断ることができるとあります。
本質的部分は当然の事ながら雇用主が決定できます。従って知的障害者の雇用はこの条例では促進されることはありません。これは本家のADA(アメリカ障害者法)においても実証されていることです。
一方、知的障害者が実質的に生活の基盤としている福祉サービスの利用場面ではどれだけでも差別と認定することができます。
すなわち障害者差別禁止条例は一般社会に向けた差別禁止条例ではなく、実質的には福祉サービスに向けた差別禁止条例となっています。

4 あらゆる障害に対応するために財政的な裏づけが必要

もちろんあらゆる障害に対応するよう生活施設、日中活動施設の改善は必要だと考えます。
ところが障害者自立支援法では、福祉施設の収入が激減しています。これではあらゆる障害に対応したくともできない状況です。
障害者差別禁止条例が施行されならば、施設の改築、人件費の手当てなど障害者差別とならないような財政的な裏づけが必要だと考えます。

5 障害がある人側からの条例違反の訴えにより、愛知県の命令で福祉サービス提供を強制される等、条例の趣旨と異なった運用が定着しないか

措置の時代に逆戻りしかねない危惧があります。

6 差別が社会の中に潜在化しないか

いじめと同じで、差別禁止の運動が広がれば、それに連動して社会全般で差別が潜在化するのが常です。
ますます障害者が特別な存在と認識され、社会に対しかえって障害者に対する目に見えない恐怖を煽ってしまったり、本人には気付かない形で制限が広がったりしないか心配です。それこそ真の差別であると思います。

7 福祉サービスの利用者等にかえって権利や人権の侵害が起こりはしないか

条例では福祉サービスの利用を拒否したり制限したり条件を課することが差別となっています。
福祉サービスの利用について、もしあらゆる条件をつけないことになればいろいろな問題が生じる恐れがあります。
犯罪行為を繰り返す可能性がある人の福祉サービスの利用に、一切の条件をつけられない場合、かえって他の利用者の権利を侵害することにならないか心配です。

8 委員の公平性はどのように担保されるのか

差別があった場合に、委員会によって審議されるわけですが、どのように委員は選考されるのかが疑問です。
差別を受けたと感じれば差別があったという論理であり、福祉サービスの提供者をどうやって護っていけばいいのか不安です。
このことがただでさえサービスの提供者が減少している現在、ますます事業者の知的障害者福祉からの撤退を進めないか心配です。

9 ヒヤリング時に、祉協会の主張はどのような立場になるか

千葉県では特別支援学校の校長会が反対を行い、大幅に条例原案がマイルドなものになったときいています。
愛知県福祉協会としてはこの条例について上記の懸念があることを答申してほしいと思います。

10 ADAに立ち返って考えれば

この条例の最初の原案はアメリカ障害者法です。
ADAにおいても障害の範囲について範囲を拡大したい陣営と範囲を限定したい陣営との論争が10年間続いていると聞きます。
国際的にはADAが広がる流れであるとしても、そもそも日本の社会構造や伝統とは大きく異なる社会的な背景をもとにして成立した法令であり、世界的潮流ということで導入するのことは障害者の自立問題をより複雑化させるだけだと考えます。

罰により差別をなくすのではなく、障害がある人もそのまわりの人もともに障害による制限を取り除く主体的行動を賞賛することによって差別をなくす。それがあるべき社会の姿であると思います。

急くな急ぐな

朝レジデンス日進へ出勤しようと外へ出てみると快晴の空はまぶしく、夜来の雨に露吹いた木々は光をあびて
新鮮そのものでした。
「元旦の朝のよう」
と思いながら車をそろそろと走らせて行くと、道のまんなかに子猫が寝そべっていて、車が来てもなかなか動きません。
車を止めて
「ブッ」っとクラクションを鳴らすと子猫はのんびり起きて道の端によけてくれました。
なんと人をなめた猫だと一瞬思いましたが
「いやいや、急くな急ぐな、ゆっくり、ゆっくり。急いては事を仕損じる」
とつぶやいているうちにレジデンス日進に付きました。

「おはようございます!!」
明るい声が事務所から跳ね返ってきました。
「ヨシ!!今日もやるぞ!!」
でも事務室の椅子に座ってコンピュータ画面に映し出された名東福祉会のスケジュールを見ながら考えることは・・・
レジデンス冬祭りのこと、
ロトの販売状況のこと
日進障害者福祉計画のこと
日進手をつなぐ育成会のこと
児童行動療育センターのこと
愛知県コロニー養楽荘保護者会のこと
新しく建設されるケアホームのこと
就労のこと
利用者のこと
職員のこと
他の施設とのかかわり
あちこちでいまだにひきうけている役職のこと

考えるほど混沌としてきて、つい先ほど感じた朝日に輝く露吹いた木々の新鮮な思いはどこに行ったのか・・・
そうだ、急くな急ぐなひとつひとつ着実に。
子猫様に教えてもらったんだった。

2008年11月26日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

地域福祉は地域福祉計画へ概念が変わる

2030年には人口は13000万人から12000万人になる。
これは厚生労働省の社会保障審議会人口構成の変動に関する特別部会が平成18年に報告したデータだ。

老齢人口は32%(20%)
生産人口は59%(66%)
年少人口は10%(14%)
()内は2003年の数値。

3人にひとりが65歳以上となる。今から約20年後の日本の現実だ。

そうなると高齢者福祉の実態は都市型の福祉と農村部ではかなり形が異なっているだろう。
1東京都は人口増
2政令指定都市では人口減少と人口の流入が拮抗。
3農村部は人口減少
と予測されているからだ。

都市型ではマンション型の高齢者福祉があたりまえになっていると思われる。
リゾート地での生活は必要な生活資金は高いわりには利便性が悪い。
人口構成の推移から20年後には都市の中のマンションの中のケアホーム、グループホームが多くなっているはずだ。
現在、耐用年数の高層ビルが東京では林立している。これを少し改造するだけで都市の中にいくらでもケアホームができる。

高齢者福祉と障害者福祉は統合されそうでいてなかなか統合されにくい。その理由は
1障害者の場合には収入や財産が少なく高齢者のように入居の際に高額な契約料が支払えない。
2ケアの質が異なる
3制度の統合に対する異論が消えない
4障害者自立支援法で統合ができないことがほぼ明らかになった。
5介護度の判定方法について新しい判定基準を導入する動きもある。
いずれの方向も、障害者福祉と高齢者福祉の統合とは異なる方向性を示している。

そうしたとき、高価な高齢者ケアホームにも入れず、家族介護も見込めない知的障害者はどうすればいいのか
やはり地域の障害者福祉計画の中で進められる障害者福祉サービスが充実することを望むしかない。
1 高齢者と同等な質が確保された知的障害者ケアホームのしくみが用意されること。
(アホームへの入居契約料の補助、障害年金や企業内の授産活動による本人収入など)
2 現行の入所施設の枠組みをリニューアルしてもう一度入所施設中心の地域福祉を考えること。
が選択肢となる。

入居施設中心の地域福祉はおかしいという人もいるかもしれないが、入所施設と地域福祉は今や言語的に矛盾しない。
地域福祉を<脱施設>と捉える人は一部の過激な専門家だけで、地域福祉は「地域(自治体)が主体的に取り組む福祉計画のこと」という理解の仕方が一般化しているからだ。先に述べた人口動向の面からもこれからは地域のニーズに合わせて地域福祉を考えていかなければならないのは明らかなためこうした言葉の使い方は強化されていくはずだ。

私は本人の利益からも、実現の容易性も、地域福祉計画の立案のしやすさの面からも現行の障害者入所施設の継続的な改善を行って地域福祉の理念を実現することが有利だと思うのだが。

岐阜県羽島ボランティア協会

11月10日に若いお母さん達のグループ「花」に同行させていただき、「岐阜県羽島ボランティア協会」を見学させていただいきました。

この会は市民主体で「すべての人々が自分らしく暮せる福祉のまちづくりをすすめる」ということで、自ら行動し、企業や行政と連携し、みんなで考え実行して障害者本人主体の人生を支援してゆこうとするNPO法人です。

20年余の歴史の積み重ねがあり、温和な理事長さんの雰囲気の内側にはなみなみならぬ苦労と努力があったのではないかと察しられましたが、さらりとかわされ、みんながボランティア精神でやりたいと思うことをひとつずつやってきて一般の人々からもご寄附やご支援を頂いて楽しくやっているとの事。

運営している事業は
でいあい
オールミックス生活介護分場
オールミックスケアホーム分場
生活サポート喜楽舎
児童デイサービスかみなりくん
子どもサポートセンターかみなりくん
障がい者せいかつ支援センターきつねあな
ボランティア市民活動センターきつねあな

このほかボランティア啓発事業や育成・支援、障害者生活支援等々、必要とあらば何でも手がける構えです。
かみなり村のなかでは古バスを利用した「足湯」まであって、私も考えていたのに先取りされた!とくやしく思いました。

考えて実行が素早いこと-それは経営者や家族の都合ではなく本人の幸せを実現することを第一にしているからだと思います。
そうした理念があるからこそ誰でも参加したくなるのです。
名東福祉会もひとりひとりの障害をもった人たちのよりよい人生を目指していきたいと思います。

貴重な時間を割いてご案内いただいた理事長はじめ参事さんありがとうございました。

2008年11月13日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

「新しい時代の育成会活動」にひとりで参加

10月25日(土)、26日(日)、第41回手をつなぐ育成会東海北陸大会に日進手をつなぐ育成会から参加させていただきました。
岡崎市民会館を中心に各海上にわかれて参加しました。
参加者は東海北陸の会員1700名。

日進の育成会は以下のように参加しました。
第1分科会 本人部会
第2分科会 本人部会
第3分科会 学齢期の支援           7名参加
第4分科会 「働く人への支援」        5名参加
第5分科会 豊かな地域生活をめざして     4名参加
第6分科会 高齢化に向けた支援(後見人制度) 3名参加
第7分科会 新しい時代の育成会活動
第8分科会 小規模作業所等の未来

私は第7分科会「新しい時代の育成会活動」にひとりで参加しました。
新鮮で意義深い討議ができ、いつになくさわやかな気分で終了を迎えることができ感謝です。
  
この大会に参加できたことを喜ぶとともに、学んだことをどう生かしていくか日進育成会の皆さんの今後の働きにご期待申し上げます。

2008年10月27日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

上ノ山ケアホームの地鎮祭

上ノ山ケアホームの地鎮祭がごく少数の関係者でとりおこなわれ、無事終了しました。
畑、お花畑、ハーブ園だったところがきれいに整地され、広々とした中ほどの祭壇が祭られ、神主さんのリードによってそれぞれが祈願しました。

名東福祉会の懸案であったケアホームがいよいよ建つのです。

まだ入居者は決まっていませんが、今後レジデンス日進や各通所施設からの移籍もあり、新しい友達関係が作られて新しい生活が地域の中に根付いていくのではないかと期待しつつ神妙に祈りました。

レジデンス日進この上ノ山ケアホームの土地も知的障害者の幸せをほんとうに願う方々の土地のご寄付によって建設することができました。地域の中で居をかまえ、日々安心して暮せるのだと思うと心から感謝の念が沸いてきます。

入居する本人も家族もみんな新居が立ち上がる日を心待ちにしつつ、今回は入れなかった人も含め、みんな親亡き後の安らぎを求めて協力してゆきましょうね。

2008年10月20日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

ロトオープン

2008年9月18日、名東福祉会に新しい事業拠点「ロト」ができました。
ロトというのは天白ワークスが発足したときにできたパン屋さんの名称です。イタリヤ語の「ロトンド」から借用したもので「まるい」という意味です。
地域の中で角張らずに、和して生きれたらという思いでつけられた名前です。

今回、名東福祉会の集いの場として利用者と家族と地域の知的障害者福祉に関心のある人たちの「和みの場」として機能するために委員会が設置されました。
ロトの運営にあたって、家族会からの有志の積極的な参加者あり、運営について活発に研究がされ、発足にいたったことは誠に喜ばしいことです。

知的障害者が幸せに生きるためには、障害の本質について正しい理解と正しい支援方法が必要です。
そのためには日々気付きを重ね、改善を繰り返す努力も必要になってきます。
ただ、知的障害者の幸せのための努力は、歯を食いしばって行うというよりは、いつも笑顔でリラックスしながら行うべきであると思います。
お客様にとっても日常的な支援がどういったものなのかを肌で感じることができ、自然に地域に支援運動として広がっていくことにつながると思います。

私は理事長として「楽しい場をつくること」をお願いしました。利用者の方にとっても支援員の人たちにとっても、ロトに訪れるお客様にとってもロトが楽しい場になることを祈念いたします。

若い力に後押しされて

盛夏の体力消耗から、少しずつよみがえり、秋の気配を感じるころ、また何かやるぞという心がむくむくと起きつつあります。
ブログを愛読していて下さる皆様から、心配のお便りも頂いていますが、もう大丈夫です。

8月31日、じゃんぐるじむの企画で「発達障害児の世界」の講演に参加させていただき、今の若い親たちの目のつけどころにほとほと感心しました。ウォーリーさんの講演の運び方、養護学校等、いわゆるプロの人たちから議員さんにいたるまで参加していること党、何だか私自身の目がパッと開いたような気がします。

9月16日~19日のロトのオープン前後の多忙さ!!
ロトは名東福祉会の新しい地域の集いの場です。
これは体力消耗どころか、体力増強になりました。
参加して下さった家族会の皆様、オープン当日にご来場くださった関係者の皆様、盛り上げて下さった大勢の皆様のあたたかいつながりが弱りきっていた私の体力にパッと魔法がかけられて私は元の元気になりました。

この1ヶ月、いろいろなことを体験させていただき、また歩みが続けられますことを心からお礼申し上げます。

2008年9月25日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

本人の発言

育成会の会報にしっかり本人が発言しています。

働く権利があります。
工賃を倍増してください。
結婚したいです。
ジョブコーチをつけてください。
グループホームを援助してください。

本人がこうしたところで発言するようになったのはいつごろからでしょうか。
今から20年ほど前、平成になるころからだと記憶しています。
権利擁護ということばがでるようになったのと同じころだったと思います。

私は古い人間なので、自ら権利を主張することに違和感を感じてしまいます。

私は知的障害があるひとが自ら福祉の不備を訴える力は知的障害の人には平均にはないと思います。
親や福祉を行う人は、本人が幸せに生きる方法を本人からゆだねられているのが真実で、
本人の意見を参考にして福祉を決めることはいかがなものかと思うのです。

ましてや本人の口を借り、親や福祉家の行いたいことを代弁させるようなことは決してあってはなりません。
恥ずべき行為だと思います。

いろいろ知的障害者の福祉は変わりましたが、やはり福祉を提供する人間や親は本人にとって何が幸せなのかを考えることから逃れられません。

2008年9月10日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

1990年代からすでにノーマリゼーションに対する反省は始まっている。
ノーマルな生活様式により幸せになるというのは本質的な議論、すなわち自己決定の議論を欠落している。
アメリカでは1980年代、イギリスでは1990年代にシフトが始まったが、日本では障害者福祉の主要な理念はノーマリゼーションにとどまり、世界的な潮流から約20年の遅れとなっている。

エンパワメントは自ら決定する体験を積み、自ら選んだ生きがいを見出すように支援することだ。
典型的な障害者エンパワメント論では
1 障害は本人の悲劇ととらえるのではなく、社会的疎外ととらえる
2 障害の克服は本人の問題ととらえるのではなく、社会の課題としてとらえる
3 個人の治療にとどまるのではなく、社会に包含される環境作りを行う
4 治療優先からセルフヘルプを優先する
5 本人の経験と学習環境、学習体験の尊重
6 本人の適応状態を延ばすとともに社会の意識変革を重視する
というように障害をとらえている。

もう少しかみくだいた表現に変えると、
1 障害は地域の人たちの協力のしかたやふれあい方で問題が大きくかわります。
2 障害がある人たちとの交流の場を設けたり、障害がある人の役割ができるような場面を地域の中に作りましょう。
3 施設では意味のない訓練ではなく、小さなことでもよいので人の役に立つような仕事を行うことができるようにしましょう。
4 まわりの人が全部助けるのではなく、できるだけ本人が自分ができることを増やすように練習したり、本人が生活しやすいようになる工夫をみんなでしましょう。
5 これまでに経験したことや人との交流で学んだことが新しく本人の糧になり力となり、障害を克服するエネルギーになります。
6 本人ががんばる以上に、まわりの人たちの意識がかわるよう地域社会に対して訴えていきましょう。
ということだ。

自分の体にもいたわりを

暑中お見舞い申し上げます。
毎日たいへんな暑さが続いていますが、皆さん体調はいかがでしょうか?
私は、実は皆さんから傘寿のお祝いをしていただく数日前から体調をこわしていました。せきが出て、多分クーラーのあたりすぎによる風邪の状態で、愛知医大でレントゲンをとって頂いたところ、私自身もびっくりするほど肺のほとんどが網の目のような白っぽさで映し出されていました。
即入院と先生に告げられて私は一瞬たじろぎましたが、すぐに
「コロニーの息子が夏休みで帰ってきますので、入院しておられません。」と言いました。
言っている自分がいやになるほどおかしい言葉だと自分で悲しくなり、ショボンとしていると、先生は
「この2~3日しっかり寝てて下さいよ。」
「息子さんのことはわかるけど、貴女の体が丈夫であってこそですからね」
と念を押されました。まったく先生のおっしゃるとおりで<いつ死んでもいい>と常日ごろから豪語していた自分の浅はかさを悲しく思いました。

時も時、利用者さんのお母様が肺がんでお亡くなりになり、今後どうするのかが福祉会の中で検討されました。これからドンドン出てくる課題です。レジデンス日進を建設したものの定員という枠があり、これでいいというはずはなかったのです。そして、ケアホームももうじき建ちますがたがが10名です。「地域に生きる」といっても、地域の中で今まで通っていた作業所すら通いにくい現実が目の前に出てきました。

親も子も生まれてきた自分の人生をより輝かしい終末にしたいとみんな思っているのですが、私自身ももう一度深く掘り下げて考えねならないと思いました。
おかげさまで、名東福祉会の嘱託医の福嶋先生がいろいろと気遣ってくださって、このところもちなおし、私は少し元気が出てまいりました。
すると、ムクムクと今後のことが考えられ、どこかへすっ飛んで行きそうですが、「待て待て」と自制しているところです。
気遣ってくださった方々に申し訳ないことはいたしません。

2008年8月5日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

自立支援の評価

障害者自立支援法はその理念において誤っているわけではない。問題は自立支援に必要な予算を十分につけられていないことにある。

支援法ができて名東福祉会では
1 支援センターでニーズアセスメントを地域で行うことができるようになった
2 地域の社会資源間の連携が進んだ
3 児童デイサービス制度を利用して「たけのこの家」で行動療育を行うことができるようになった
4 緊急時になんとか対応できる道が開かれた
5 現在利用している施設を継続利用しながら別に生活の場所を利用することができるようになった
6 補助金の規格に適合した施設を作るために、現場のニーズに合わない設備にお金を使わなくとも良くなった
などができるようになった。これだけの効果はやはり支援法がなければ達成できなかった。

障害者自立支援法の問題はこれまで
1 障害者本人負担の問題
2 障害程度区分判定の問題
3 激変緩和の問題
などの問題に焦点があてられてきた。安部内閣に続き福田内閣の支持率の低下に歯止めをかけるという政治的意図も手伝って、障害者自立支援法による激変を緩和する交渉が「成果」をあげてきたが、そのたびに支援法らしさが薄まり、結果的として自立支援法の本来の精神から離れ、措置の時代に回帰して行ったことは否めない。
この問題は関係者がもう少しシンプルに障害者福祉予算の問題として協議できることが必要だと思われる。

予算の協議がみのりあるものとなるためには、肝心の自立支援の効果をどうやって測定するのかという根本的な議論を避けるわけにはいかない。
従来の評価は従来型の施設サービスからより地域福祉とみなされるサービスに移行することに絶対的な価値を置くため、移行しないことが不当に評価が低くなる。
たとえそれが本人のQOLの向上にとって必要欠くべからざるものであっても入所施設利用を継続することは「悪」となる。

これは自立支援法を設計した段階で意図的に仕組まれている。一部の学者や施設経営者が施設解体をレポートし、入所施設を絶対悪のように述べることがそうしたからくりを正しいもののように錯覚させてしまう。

支援法ができてからの名東福祉会における6つの効果を述べたが、これらは施設の「移行」とは無縁だ。
本来、本人のQOLの向上は施設や働く場を「移行すること」とは無関係だ。QOLの向上は本来、本人のニーズをどれだけ実現できたかで問われなければならない。その意味では障害者本人もサービス提供者も地域社会も行政もともに本人のQOLの向上を認め合うことができる共通の「指標」を開発することが急がれるのだと考える。予算はそうした指標のもとに編成されるべきだ。

障害者自立支援法の見直し時期まで残された時間は後わずかしかない。

人生最高の日

人生最高の時を味わいました。
7月21日は私の誕生日。7月22日には傘寿のお祝いとして、沢山の花束と花かごをプレゼントされました。
その上、傘のプレゼントまで。とてもカッコ良く、かわいい花模様のデザインです。私は嬉しくてジーンとなり、涙がこぼれそうになりました。

この日はレジデンスの家族会、メイトウ・ワークス、天白ワークス家族会の方々が集まってお祝いくださったのです。はまなすのみなさんも1週間前に誕生会を行ってくださいました。

この暑い中を、また忙しい中を沢山集まってくださったこと、とても嬉しくて感謝です。
傘寿は80歳の祝いですが、私は50数年間、福祉、特に知的障害の分野で相談員とか施設長とか理事長を勤めさせていただき、厚生大臣賞や新聞社の社会功労賞などたくさんの功労賞も頂戴していますが、今日ほど嬉しく思ったことはございません。いつもいつもお父さん、お母さん達に助けられてこの長い知的障害者福祉の分野で生きてきました。とても不思議なことですが、ほんとうに困ったときに大勢の人が助けてくれました。50年間人に助けられて生きてきた私を皆さんが祝ってくださる・・・。

夕方、レジデンス女子組みのみなさんが紙で花やレイを作ってプレゼントを持ってきて
「お誕生日おめでとう!!」
をやってくれました。また涙がこぼれそうになりました。
今日は人生最高の日です。

2008年7月24日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

笹ゆりの便り

毎年、懇意にしている花屋さんから大好きな笹ゆりが届きます。
それが今年は大幅に「笹ゆりの便り」が遅れていました。
今年はレジデンス日進の家族の人たちが岐阜県可児市まで笹ゆりを見に連れて行ってくださったので
「手に入りにくくなったのだろう」
と、やきもきすることはありませんでした。そうこうしていたらついに
「笹ゆりがどうしても手に入りません。お詫びに・・」
といって、トルコききょうがとどきました。
今から36年前の7月、主人が亡くなったときも、一昨年に母が亡くなったときも仏壇にトルコききょう一色で飾りました。
ちょっぴり奇抜な事をする私で、みんな驚をおどろかせてしまいます。

最近若いお母さん達と接する機会が多くなり、話をしているとお母さんたちを「エッ!!」っと驚かせてしまうことがしばしばです。
例えば
「昨日の篤姫は私は安楽椅子に座ってみていたので気持ちよくて寝てしまったので見れなかった」
と言うとみなギョッとして驚きました。
「何で驚くの」と聞くと
「安楽死したい?」といいます。
若いお母さん達は頭の回転が速すぎます。
知的障害者と接するときは何事もあわてず、聞き違えずです。
戦時中、山本五十六元帥が水平に甲板掃除を教えるとき
「自分でやって見せ、やらせてみて、できたらほめる」
を繰り返したそうです。戦争は思っただけでもいやですが、元帥の言葉は真髄をついています。
知的障害者の人に物事を教えるときはさらに根気良く、何度も何度も繰り返せばたいていのことはできるようになります。

笹ゆりからトルコききょう、果ては山本五十六元帥まで話の飛躍に驚きましたか?

2008年7月10日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

時の流れを越えて

麦の会という重度重症の子どもを持つ母親たちのグループは毎年1回、親だけが集まって昼食を楽しみながら近況や昔の思い出話を話し合います。
みんな年をとって、会合へすら出席できない人が多くなり、来年はひょっとして会合がもてなくなるかもしれませんが、とにかく今日は元気に食べしゃべりました。

第1代の会長はAさん。明るくて優雅です。
「今も<謡>を続けていて声を出すから健康でいられる」
とおっしゃっていました。お子さんは健在。しっかりとした理念を持つ入所施設を利用されていてたいへん障害が重いが元気に生活しているとのこと。
「息子さんが後見人になって、いざというときはやてもらえるからもう何も心配がない。
動けなくなったら自分は有料老人ホームへ入所するつもり」
と持ち前の前向きな発言です。

第二代目の会長は私。
一代目から引き継いでいろいろなことをやったとんでもない会長でした。それが高じて今でも施設を造り続けてしまい、時代の波に揺さぶられています。決して後悔はしていませんが、もう少し職員の将来が明るいものであるように願わずにはいられません。死の瞬間まで
「福祉の世界に日があたりますように」
と願い続け、<パタン>と逝きたいですと発言しました。

三代目の会長のFさんも「一緒だ、一緒だ」とおっしゃっていました。

私は最近、若い母親グループと話し合う機会が増えました。母親達とお話をしていると、時代は変って50数年経った今も同じように悩み、同じように苦しみ、何か目に見えぬ大きな力で引かれあい母親達は集まってくるのだということを感じます。

何がそうさせるのかはわかりませんが、母親達は集うことによって明るく元気になります。障害がある子が社会の中で力強く生きていくには、今の、若いお母さん達が元気にならねばということがわかっているからこそ、集まるのだと思います。

いざとなれば、なあに80歳を過ぎている麦の会のメンバーもじっとしてはおりませんよ。みんなで明るく「共に生きる社会」をつくりましょう。

おいしいお料理のせいか、なんだか元気もりもりです。

2008年6月20日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

一隅を照らす

レジデンス日進の家族会の皆さんと御岳町のみたけの森に笹ゆりを訪ねるたびに参加させていただきました。
バスの中は22名。それはそれはにぎやかでおしゃべりははてしなく続いていました。

わが子を施設に預けていても、いろいろな悩みは果てしなく、
これからのこと、自分が死んだ後のこと、等等、話題はつきません。

しかし、入所施設の親さんたちは毎日会うわけではないので、久しぶりに会った嬉しさも交わって
「あのよう・・・そんでよう・・・」
と近況が飛び交います。

私は何の花が好きと聞かれると
「1番笹ゆり、2番バラ」
と即座に答えるほど、笹ゆりが大好きで、幼いころの思い出や色々なエピソードが果てしなく浮かんできます。
本当は以前にも来てすばらしい笹ゆりの群生を見ているので、そのとき、どんな山道かわかっています。
今年は、その時よりも歩けなくなっているので、
「皆さんに迷惑を掛けるから参加しない。」といっていたのですが、嬉しさについ来てしまいました。
やっぱり笹ゆりをちょっと見たところで歩けなくなりましたが、満足でした。

その後、願興寺へより、古びたお寺におまいりしました。
その境内で
「一隅を照らす」
という文字が目に入りました。

40年ほど前に長野県駒ヶ根のお寺へ光ゴケを見に行ったときのこと、そのお寺で、
「一隅を照らす」
という文字が目に入り、痛く感動しました。

私は小さな人間だから何もできないかもしれない。
でも一生懸命重度の障害を持つ子達のために、小さな灯りとなって前を進もう。
障害を持った子達や、その親達が道に迷って人生を見失わないように
小さな灯りを灯していようと、かたく決心したものです。

それ以来、何十年、自分なりに努力してきたつもりですが、
人生の終わり近くになってまた
「一隅を照らす」
という文字に出会いました。これは何でしょう。

奈々枝よ、もう「一隅を照らす」は終わったよ・・・といってくれているのでしょうか。
あともう一寸ですよ。もう少し努力しなさい・・・といってくれているのでしょうか。
まだまだ小さな灯りは必要ですよ。燃え尽きるまで努力しなさい・・・といってくれているのでしょうか。

深く考えさせられる、ありがたい一日でした。

2008年6月11日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

母子の情

中日新聞「寄り添え」という欄に、私の拙文が掲載された。その後、
「同感」
「私も同じような経験をした」
とたくさんの人から電話や会った時にことばをかけられて、新聞はやっぱりたくさんの人が見ているのだなと驚かされた。

95歳で亡くなった母の事を書いたのだが、一緒に住んで毎日けんかをしたり、世話をやいたり、やかれたりしたがあの頃が懐かしい。

とりわけ、今から6年前、私が心臓の手術をしたとき、90歳になろうかという身で毎日バスに乗っては病院まで来て私の足をさすっては
「何もしてやれなくてゴメンネ、私より早く死んではいやだよ」
とつぶやいては帰って行った。母のありがたさが身にしみたひとときであった。

私は今、58歳になる心身障害者の息子がある。私は年老いて何もしてやれない年齢になった。
施設から春・夏・秋・冬の帰省で家に帰ってきても、今では何もしてやれなくなった。
一緒にいるだけの数日だが、亡くなった私の母の心境が痛いほどわかる。母子って不思議なものだなあと思う。;

そして、ほかの障害を持った子の母親たちも、みんあどんなに年をとっても親・子の情は誰も変わりはなく、
「この子は私が死んだら誰がめんどうみてくれるのだろう・・・」
と思い、
「この子のために私は少しでも頑張らねば・・・」
と思い続ける。
自分より、大きく、力強い子どもに向かって
「私が頑張らねば」と思い続けるのだ。

2008年5月19日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

パネテリア・ロト内覧会

レジデンス日進につばめが2羽帰ってきました。とても若々しく、美しいつばめでした。
昔からつばめが巣作りする家は栄えるといわれています。

つばめは稲を食べる虫を食べてくれます。
お米さえあれば後はわずかな野菜や魚、時々の卵で生きてゆけたわけですから、お米を守るつばめを大切にするためにそうした格言が生まれたのでしょう。
また人が多く行き来する玄関は木の枝も取り払われて蛇などの恐ろしい天敵も少なく、雨露もしのげ、つばめにとってもいごこちのよいところなのでしょう。

でも私はそうした行動の成り立ちよりも
つばめは大きな建物の中でも玄関という人の出入りの多いところに巣作りをして家を守っていると考えてしまいます。
また知らず知らずのうちに人を守っていることで、つばめ自身も知らず知らず守られていると考えるのです。
知らず知らずのうちに、知らず知らず支えあう。それが生きているもののあり方。何事にも感謝することが大切と考えてしまいます。

そうした考えとはぜんぜん関係なく、レジデンスの利用者さんたちはつばめが来るととても喜んで眺めていました。
利用者さんのほうが一枚上手です。

パネテリアロトの内覧会が今日(18日)行われました。
家族会が対象で、各施設のお母さんたちが沢山来てくださいました。
「とても明るい感じ」
「おしゃれ」
「広い」
「車椅子トイレまである」
「コーヒーもおいしい」
「ランチがあるといいね」
「駐車がたくさんできる」
「ここで何か催し物ができる」
「役員会をここでしようよ」
「赤池から4人でタクシーに乗ると150円。くるりんバスより安い」
などなど、とても好評でした。沢山来てくださってありがとうございました。
ボランティアさんもたくさん来てくださって助かりました。
傑作なのは一般の若いカップルまで入ってきてお母さんたちのずらり並んだ圧力に押されてそのまま帰って行かれたことです。

利用者さんたちはいつもより楽しげにクッキーつくりの作業をしていました。
お弁当も、ボランティアの皆さんと一緒に楽しく食べました。
さあ、明日は利用者さんたちが来てくれます。私もがんばらなくっちゃ!!

2008年4月21日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

はまなすの家族会総会

はまなすの家族会総会に出席させていただきました。久しぶりの出席なので、とても懐かしく思えました。
いつも所長からグループウェアやメールで利用者のヒヤリ・ハットをはじめ、その他の報告を見ていますので、だいたいはわかっていましたが、久しぶりに家族会の皆さんのお顔を見てみんなとってもお若く、美しいのには驚きました。

この影には所長さんの細かいひごろの配慮と利用者本意の療育が反映しているからだと思いますが、親さんたちの和気あいあいといった雰囲気が伝わってきてとても心が和みました。

無事総会を終え、昼食は尾張旭市のきりやまで迎えのバスで出かけました。

私の一挙手一投足まで誰もが気遣ってくださり、とても嬉しく思いました。
食事の間にはメイトウ・ワークス立ち上げの頃の苦労話、グレ希望の家の話まで飛び出して、30年の歴史の重さを感じ、みんなで協力して運営して言っている名東福祉会の特徴をつくづく感じました。

はまなす周辺の地域は施設が建つ前は強い反発がありましたが、施設が開所して以来、徐々に、徐々に反発が薄まりつつあります。
住民の人たちから建設の同意を得るため、当時は、深夜まで何べんも何べんも深夜12時ごろまで町内の人たちと話し合いました。
一軒一軒訪問して、ご理解を求めて説明したあのころのことがよみがえってきます。
当時、地域の自治会と取り交わした40項目の協定書を守り続けてくださった所長さんたち、そして家族会のみなさま、ありがとうございました。

昨日は
「バザーなどもやりたいね」
「裏のアパートに空き部屋がありますので、借りてグループホームにしたらどうか」
などと前向きの話も出ました。

30年というのは親も子も確実に歳をとる年月です。これからますます悩みが増えますが利用者の幸せを願ってどう準備していけばよいのかいっしょに考えてゆきましょう。

2008年4月17日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

名東福祉会は家族参加型の社会福祉法人だ。名東福祉会の家族会の法人に対する協力は県下でも第一級であると自負している。

この協力があるのは家族会の要望に職員諸君が答えてきたことによる。要望になんとか答えようとする職員がいるからこそ、家族も要望を出し、家族会の協力も生まれる。

家族会と職員が連携して知恵を出し合い、協力しあいながら現場を良くしていくことは本来望ましいことだ。
これだけの法人ができ、県下でも評判が良いサービスを実現できているのもそうした循環があればこそだ。

ただ、だからこそ家族会のひとりひとりが要望を提出することには抑制的である必要がある。
要望を実現するにはどんな小さなことでもそれなりのコストの移転が発生する。
言い換えればどこかに資源を投入すればどこかが削られる。常に合理化ができ、無駄がなくなればよいがそうではないことが多くなっている。

人件費が70%を超えるような現場では、経営的に見てギリギリの状況である。
そうしたなかで、名東福祉会は正職員化を進める、給食の内容を改善するなどの努力を続け、ケアホームを建設するなどの計画も進めている。

障害者自立支援法が改善されて、直ちに倒産するというような危機はとりあえず去ったとはいえ、政策の中心は自己負担の軽減だった。法人の収入はそれほど伸びていない。
現在も経営的な危機は続いている。この危機を乗り切るためには家族会の良質な協力が必要なことは変わりない。

家族会はモラルを自ら高め、職員に協力すべきは協力して利用者の幸せの向上に常に努力すべきである。
そうした努力が職員の熱意を高める。

行き過ぎた権利意識

このところ様々なニュースで「障害」ということばが使われる。
行動障害、対人障害、人格障害、パニック障害、境界性人格障害、社会不安障害、適応障害・・・・・
症候群ということばもよくつかわれる。

まだその実態さえわからないにもかかわらず使用されている言葉も少なくない。国際的に定義された「知的障害」のようなことばや概念とは全く異なる。

問題はそうした言葉を発信している人と、受け取っている人が同一の定義に基づいて理解し合っている状況はほとんどないということだ。いったん「言葉」として流布してしまうと、安易に使われ、つぎつぎに別の意味が込められて広がってしまう。あわせて、「障害」という概念や連想もまたどこまでも広がっていく。

本来、「障害」というからには、健常者がサポートすべきであることを暗に示唆する。社会福祉法人が存在するのもそのためだ。しかし安易な「障害」の広がりは際限なく「健常者」の義務を広げることになり、ゆくゆくは「健常者」の障害に対する拒否や拒絶に結びつく。

昨今では道徳の破壊を生み出しているのは「行き過ぎた権利意識」だという指摘がされるようになってきた。これだけ「障害」や「権利」がやたらに使われれば当然の批判だ。

知的障害者や身体障害者の生活の質や社会参加を促進する上で、社会からの協力が不可欠だ。したがって、知的障害、身体障害のサポートを職業とする私たちは、安易に「障害」の概念を広げることを慎まなければならない。

障害者の権利を主張することについて、私たちはより注意深く、深慮して行動する必要があるのではないだろうか。