まだまだ障害者福祉は足りない

平成19年12月7日に障害者自立支援法の抜本的見直しに関する与党プロジェクトチームの報告書が出た。
3年後の見直し時期を迎えたとしても、とりあえず急速に名東福祉会の経営状態が悪化することだけはなくなった。

ただ安心しきるのは早い。報酬単価の見直しが盛り込まれたものの、ケアホームや通所サービスの報酬単価がいくらになるのかについて、はっきりと示されたわけではない。
むしろ怖いのは、私たちがこの状況に安住してしまうことではないだろうか。

過去8年の間、スウェーデン、デンマーク、イギリス、ドイツ、カナダ、アメリカ合衆国東海岸の施設、オーストラリアの福祉施設を見てきた。
同じ先進国でありながら、知的障害者福祉の海外との差異に愕然とする。

カナダのグループホームは定員6名。閑静な住宅街にあって、職員は3名づつ3交代制だった。
その法人は24箇所のグループホームを運営しており、利用者の相性が悪いと利用ホームをいろいろと変えることができた。

デンマークのファーラム市では老人と障害者が同じケアホームに住んでいた。
完全にユニット化された8名のユニットが4つ集まって「集合住宅」を形成し、その集合住宅が4棟集まってひとつの施設になっている。
全体で105床。そこに地域デイセンターが併設され、地域生活の訓練施設も設置され、相談事業も行っている。
給食施設はこの施設群全体に食事を提供するとともに、ファーラム市に住む独居老人にクックチルの弁当を宅配するサービスも行っている。
北欧では効率とQOLを両立させている。日本では地域福祉というと規模の小型化・分散化のように考える人がいる。間違っていると思う。

アメリカのワシントン郊外の施設。
作業棟ではパテントを取得したノンスリップ松葉杖の組立作業を行っている。
ここの法人の中には就労前教育を行うアカデミーがあって知的障害がある人たちが真剣に講習に参加しノートをとっていた。
現在ワシントン市内に2000人が就労していて常にアフターケアサービスを受けている。
法人の財政をまかなうため、中古車の寄付を呼びかけている。業者と提携し、車を修繕・再販して収益を稼いでいる。
これはワシントンの有線テレビネットワークにテレビコマーシャルを流すまでになっている。
アメリカは競争社会であり受益者負担の考え方が徹底している国。だから支援費報酬は低くて自己負担でまかなわれていると思ったらそうではない。
低所得者向けのメディケイドとメディケアという制度があり、実際には日本の支援費単価よりも高い報酬が提供されている。

ドイツの障害者施設は規模が大きかった。キリスト教会が財政をバックアップする。圧倒的な設備、圧倒的なボランティア層によって支えられている。
宗教をベースとして、ハンディをもった人たちを支えあうという連帯感に圧倒される。コストを下げるために入所施設を解体して地域福祉に移行するという発想はない。

オーストラリアのメルボルンでは義肢や補助具のフィッティングをしている施設を見学した。
何かとローテクではあるが義肢や補助具を用い、工夫をこらして生活の質を高めている。なにごとものん気に生活を楽しもうという国。
オーストラリアなまりの英語で利用者も見学者に「ナイスダイ(nice day)」といってくれる。明るい。
工夫できるところはどんどん工夫して自分でできる生活を作り上げていくガッツがいい。
世界トップクラスのロボット技術をもつ日本としては、障害者分野にこれを適応するといいが、その前にローテクでやれることもたくさんある。

イギリスではケアの質を保つために現場に入って監査が行われる。定型的な提出書類中心の監査だけで「指導」が終わる日本とまったく違う。
日本の監査は補助金や支援日報酬の申請内容の検査、利用者との契約内容、施設の設備、職員の配置状況、職員の資格、職員の福利厚生、役員の報酬が監査の中心。要するに申請に不正はないかということと、経営者が不当に儲けていないかをチェックする。職員は不正がないことを証明するために膨大な書類を作成することに日々追われる。

日本の障害者福祉制度は硬直的だ。障害者自立支援法が廃案になることは望ましいが、過去の硬直した運営を強いられる福祉に戻るのは困る。
利用者にとって望ましいサービスが創意工夫によって生み出されるしくみがないことは、結局、利用者のQOLを低下させる。