桜は散るときがいちばん美しい

4月8日、このところレジデンス日進の前の数本の桜が満開でとても美しい景色でしたが、今日は新しい年度の入学式に参列するらしい、着飾った3人連れの親子の上にハラハラと桜が散り始めました。えもいわれぬ美しい景色でした。

先日、グループで座談会をした親さんたちの中に発達障害のお子さんを持つ方がおられました。
そのなかには巣立ちへの不安を語られた親さんも居られました。
新しい学校での不安は、もっともと思いますが、どうぞお母さんたち、ピリピリと過敏にならず、お母さん自身がゆったりとおおらかに暮らしてほしいと願います。

障害がある子どもの子育ては望みすぎてもあきらめてもいけません。
「ほどほど」という言葉はいちばん難しいかも知れませんが、一日ひとつはよいことを見つけ、いただいた喜びに笑顔を忘れないようにしましょう。

いつも心豊かに子育てをしてほしい。そのためには美しい桜の散るのをゆったりと眺めて豊かな心を忘れないこと。
これからいっぱいつらいことと出会いましょうが、そんな時は美しい花を見ることが一番です。

2008年4月8日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

暫定税率を廃止して環境税

道路特定財源を廃止して一般財源化を進め、環境税とするという首相の提案は民主党も自民党も反対。福田内閣としては珍しく改革路線の政策だったが・・・。今後も混乱が続きそうだ。

道路特定財源の一般財源化は障害者福祉にとってはプラスなのではないか。この時点で環境税の中身がわからないが、「車に過度に依存しない生活と街づくり」はハンディをもった人たちの暮らしにはプラスになるように思える。

「環境税」の使途目的として高齢者、子ども、障害者にとって住みやすい町をつくることを目指す。歩いていけるところに生活に必要なすべてのものがそろう街をつくる。大きな矛盾はないはずだし、具体的に国民の理解を得られる使途を考えるならば、そうした方向性にならざるを得ない。

福祉サービスを提供する側からしてもそうした街づくりは費用対効果に優れている。

もっとも真に必要な政策を進めるために2大政党が存在しているわけではない。小沢民主党にも自民党にもそうした改革を進めていくという意識はなく、低空飛行を続けなければならない障害者福祉にとっては不幸な日々が続く。

春近し

レジデンス日進の屋上へ上がってみました。
風が強く、私の髪の毛はさかだち、春だというのにとても寒い日でした。
日進市の町並みは輝いていて遠くのほうまでよく見えました。
近くの三ッ池公園の木々もすこしづつ芽吹いてきています。
わがレジデンス日進の前の道沿いに桜の古木が数本ありますがチラホラと花が咲き、満開ももう間近かなことを想像させられます。

二三日前、セルプセンターの総会があり、監事として出席しました。
このたび障害者自立支援法によるさまざまな変革、改革があり、一時はみな驚きましたがそれでも徐々に円滑な施行に向けての様々なプロジェクトチームによる研究が始まっていました。「工賃倍増」をめざして、いろいろな取り組みが始まっているのです。各作業所の熱意が伝わってきます。

わたしたちの施設でも「メイグリーンを考える会」が発足し、活発な意見が交わされるようになっています。
障害者が自立することを推し進めるにはみなが協力し合わなければできません。今回の変革がいい方向にむかっていければと思います。

名古屋栄の四つ角あたりにしだれ桜が美しく、もうすでに満開でありました。
春は確実にそこまで来ています。
施設へ戻ったとたん山のような書類にまた冬が来てしまいました。

2008年3月29日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

チンチョウゲの花

今朝、チンチョウゲの花が私の部屋に届けられました。
早春を感じさせる花で、お彼岸も過ぎるころに終わりとなり、やがて桜の季節へと移ってゆく、つかの間の春つげ花です。

昔、私の家・・・というより加藤家の庭はたいへん広く、石灯篭や大きなけやきの木、小さな池、イチジクの木、離れの家までありました。

屋敷の地所は本屋がまんなかにあり、その前に古い菓子工場、私たちの家、庭が全部つながっていて、名古屋駅から歩いて10分くらいの距離にあるにしてはうっそうと木が茂り、都会に置き忘れられた別世界のようでもありました。

そんな大家族の中で3歳にして身体障害と知的障害を持つようになった長男が暮らしているといろいろと問題を起こします。長男が育っていく中で、私はいつも気が休まらず、なにかがあると心が折れそうになる日々でした。

庭の一角にチンチョウゲの木が2~3本あって、春ともなると、馥郁(ふくいく)たる高貴な香りに私はいつも慰められました。どんなに苦労していても「また頑張ろう」と気をとりなおしたものでした。

いろいろと懐かしい花をいつも届けてくださる利用者のお母さんたち・・・。

私はこれまで数えくれないくらいの人々に支えられ、囲まれて、こんな年になるまで生きがいを感じながら暮らしています。

支えられるだけで何もできない私ですが、私はみなさんの幸せを祈りましょう。

2008年3月17日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

不景気

日本の株はこれからどのくらい下がるだろうか。トレーダーをやっている知人に聞くと8000円までいくかもしれないとのこと。
まさかそこまで・・・とは思うが現在の日本国内の政治的な情勢を考えるとあながちあり得ない話ではない。

アメリカのサブプライムローンと同様の問題として、日本では改正貸金業法の問題がある。
武富士4821億、アコム4379億、アイフル4112億、プロミス3782億。それぞれ赤字を出している。

サラ金がいいとは思わない。行き過ぎたローンが消費者を苦しめていることは事実だ。
だが、これらの金融業者が消費者の旺盛な消費を支え、景気に貢献してきたことは間違いない。
一説では上限金利が23%、実際には20%となったために、今後、GDPで2兆1000億円の引き下げ効果があるとの試算がある。

問題は消費者ローンが証券化されて販売されていることだ。
消費者ローンでは違法も含め、無理に低所得者にお金が貸し込まれる。その後、価値の低い証券としてパッケージ化が行われ、それを投資家が購入していた。
サブプライム問題と本質的に変わらない。投資家は主に地銀、信金、信組で大きな損失が発生しているという。
これから金融機関の貸しはがしなどが再現されなければよいが・・・。

年金の財源をめぐる消費税の増税議論、道路特定財源の時間切れ問題、相変わらず繰り返される政争・・・
社会不安はばらまき行政で一見後退しているかのように見えるが、
名古屋の都市部の空き店舗の増加をみていると景気回復というよりは大幅に景気が後退しているという実感が強い。

その一方で投資先を失った資金が新しい顧客を探してさまよう。
このところ、証券会社等の社会福祉法人に対する営業が強まっている。他の事業所に聞いてみても同じような営業が増えているらしい。
投資家の減少等で顧客を開拓しにくくなってきていることが、新規の投資家を探す動きにつながっているのではないか。

そういえば新東京銀行も破たん寸前だとか。中小企業を救済するための融資という事業はなかなか難しいものだ。
中小企業が活性化されなければ授産施設の仕事は減少し、製品は売れず、障害者の生活や就労機会は確実に委縮する。

ほんとうに日本の政治はなんとかならないものかと思う。

高齢者と知的障害者の小規模複合施設「メイグリーン」

名東福祉会では2008年4月より
高齢者と障害者とボランティアが地域で支えあう場として「メイ・グリーン」をスタートさせます。
高齢者の人たちが人と出会いさまざまな刺激を受け、趣味を生かしたり深めたり。
あるときは人を支え、あるときは支えてもらう。

メイグリーンに行けばそこで偶然に出会った人どうしが、高齢者や障害者の地域支援について、自分でもできる楽しいことを見つけられる。
肩肘はらずにひとりひとりに合わせた形で、様式にこだわらない地域福祉ができたら・・・。
そんな発想でメイグリーンの地域福祉活動を行いたいと思います。

●前期高齢者の文化活動の場として

いったん寝たきりになると、機能を回復することは並大抵のことではできません。
介護に対する福祉予算も膨大になってしまいます。
高齢者の生活の質(クオリティオブライフ)を考えれば、健康で生きていける寿命を延ばすことが重要です。

「和の国日本」は昔から、人と和むこと、人と和することを大切にしてきました。
介護という狭いとらえかたではなく、人が人を支えあい、生き生きと暮らせる「なごみの場」を作ることが求められます。

活動の柱は
1 生涯学習活動
2 ひとりひとりに合わせた健康運動
3 健康な食の実践活動

生涯学習は コーラス、演劇、短歌、絵、歌、小唄などの文化活動。スポーツといっても足湯につかりながら湯ったり筋トレなど長く安全に楽しめるスポーツ活動を取り入れていきます。
講師は地域の生活者。高齢者の健康寿命を延ばし、人とふれあうことができる充実した人生を楽むことが目的です。

●知的障害者が人に貢献できる場として

メイグリーンでは障害がある人が、一流のパティシエの指導のもとに、少量ですがこころを込めた一品をお送りします。
知的障害者のクッキー作りの試みが開始されたのは2008年2月から。現在、12名の障害者がメイグリーンを利用しています。
ひとりひとりの障害にあわせ、じっくり取り組むのが基本方針。
そのため注文を50袋もらっても、できあがりまで一週間も要するような場合もあります。
ですが、せいいっぱい努力していいものをつくっていきたいと思っています。

知的障害者が地域で自立するためには人に喜ばれる役割があることが何よりも大切。たとえその金額は少なくても、感謝されて生きていけることは誇りです。

●障害児の親の学習の場として

障害があるこどもが成長するためにもっとも必要なのはしっかりと前をみすえて歩む親の存在。
親を支える活動は障害児福祉の基本中の基本。
メイグリーンでは日々の具体的な活動の中から、親どうしがさりげなく、明るく、きめ細かく、楽しく親どうしが支えあう場としていきたい。
そのために定期的に福祉や療育の専門家を招いたり、専門書を輪読したり、情報交換も行って行きたいと考えています。

●ボランティア活動の拠点として

無償で人々に貢献したり、自分で何かをつくって発表するような活動を求める人たちが増えています。
ボランティアというような献身的で犠牲的な立場ではなく、自分自身も学び、楽しみ、和みつつ、人の役に立つ。
コーラス、演劇、ピアノ・・・。
高齢者と知的障害者だけではなく、一般の人たちも学びあう。あるときは教師として、あるときは生徒として。
やりがいと生きがいのある充実した生活。そうした暮らしを求める人たちが増えています。

メイグリーンでは、新しいタイプのボランティアの活動の場を造っていきたいと考えています。
人と人が自然に支えあい、自然に学びあう。
そうした新しいタイプのボランティア活動の拠点として、メイグリーンは出発していきたいと考えています。

コロニー解体

愛知県コロニーを解体して地域の中で生きてゆく
そんなメッセージが愛知コロニーを利用している人たちに呼びかけられている。
施設は家庭ではない、知的障害者は家庭的な雰囲気のもとで生活すべきだ・・・。
地域福祉-そういえば誰も反対することができない。

だが彼らや彼女たちは30年もの長い間コロニーで生活してきた。
コロニーを出てケアホームに移ることについて息子に聞いてみた。
「ここ、いいとこだがあ。」
息子は信じられないほど的確なことばでいいかえした。
友達とのつきあい、親身になって世話してくれる大好きな職員、彼らはそれなりの家庭的な意識を持って生活している。
先日、日進の家からコロニーに帰った際、あたたかい職員の出迎えでこれまでに見たことのないような笑顔を見せた。

このごろ彼らの年老いた親たちから悩みを相談されることが増えた。
「ケアホームを自分たちで建てろという。並大抵ではないわねえ。どうしてこういう子を神様は授けなさったのかねえ」
母親は力なくうなだれる。80歳を超える別の母親は言う。
「毎週日曜日にはあの子に会いに行っとる。会うたびに母さんを許してねと心の中で叫けんどるけどが、どうもならんわ」

年老いた親元に知的障害の人たちが帰っても、もう自ら世話をしてやれないことは明白だ。
行政の担当者も親も民間福祉施設の人間もみんながわかっているのに
「地域福祉」の理念の下ではそう考えることは「悪」となる。この違和感をどうしたらわかってもらえるのだろうか。

50数年前、育成会の相談員だった山田先生が私の家に訪ねてこられた。
「麦の会会員の中で母子心中してしまった人が出た。加藤さん、あんたががんばってこういう人がでないようにしてください」
とおっしゃった。この一言が私の一生の課題となって今日まで来た。

家庭の形が大切なのではない。支えてもらえる人がいることが地域福祉。
障害を持つ子を殺しての親子心中は、あまりにもむごく、寂しい。

わが子が障害があるからこそ、その分、人にはない力が与えられている。
親どうし、心を奮い立たせ、言葉だけの地域福祉ではなく、ほんとうにあの子達が幸せになれるための方法を考えてゆきましょう。

2008年2月25日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

愛知県の福祉施設職員の上級研修

かって愛知県の福祉職員研修会ではインシデントプロセスという方法がよく使われた。
ただこの方法は特に医学や福祉独特の研修方法ではない。一般的なビジネスの問題解決にも利用されている研修方法だ。

構造的には
1 特定のインシデント(問題や事故)をレポーターが報告する
2 参加者はレポーターに追加的な質問を行って、情報収集を行う
3 一定の情報収集を行った後、独自の参加者が私ならこうするという方法を提案するもの。
他者が発表した解決方法を批判することは禁じられているので、自由に発表ができる。

ポイントはベストプラクティス(最も優れた実践)を選ぶことができる点だ。
NHKのテレビ番組「難問解決!ご近所の底力」も基本的にはこのパターンだ。
アメリカの医療分野の研修では、こうした研修方法を行うことが多い。
そうしたこともあって、愛知県ではかなり以前からこの形式の研修方法が根付いている。
そこのことはたいへん効果があったと思っている。

ただ問題もあった。
ベストプラクティス選考型の研修は、参加者の技能や知識に左右される。
問題解決方法を幅広く聞くという体験は、知識の幅を広げるが、もともとそうした知識は形式知(言葉にできるもの)だ。
ほんとうは暗黙知-言葉にできないような暗黙の知識が生活支援のクオリティを左右する。

「臨床は科学的データで裏づけされたものでなければならない」
とは行動療育センターの久野先生の口癖。
真にそのとおりで科学はそうした実証データで証明されたものでなければならない。
だが、久野先生の療育は「暗黙知」の固まりでもある。学会で報告されたデータは療育のほんの一部でしかない。

全国に広がる久野先生の弟子は一流の先生ばかりだが、久野先生の講義を受けたり本を読んだから一流になったのではない。(失礼)
むしろ久野先生の臨床に実際に触れて、臨床のすばらしさや奥深さに魅了された人たちだ。名著「医行動学講義ノート」も師匠と弟子の間の問答形式で話が進む。臨床場面を持っていないと話にならない。

久野先生が持つ暗黙知は弟子にならなければ伝わるものではない。

ベストプラクティス選考型の研修は技術の進歩にとってプラスにはなるけれども「決定打」にはならない。
やはり、徹底した療育技術の向上を求めるならば名伯楽から教えをこうことが唯一の道だ。

行動療育センターができたのは奇跡ともいえる。
愛知県の福祉施設の専門家の人たちに、上級研修の場として「たけのこの家」を活用していただければと思う。

若い力

今日は日進市に在住する若い母親グループ「ジャングルジム」の皆さんと座談会をすることになり、出かけました。
お母さんたちは若くて、子どもたちは私のひ孫のような年齢です。

ひとりひとり年齢と障害の程度と今悩んでいることをお聞きしているうち、自閉症や様々な新しい病名のお子さんがいて、みんな、子育てと母親の苦しみを
かかえながらがんばっておられるのだと感じました。こんなに福祉が進んだと思われるのに、50年前と変わらない気がしました。

育児、通園、学校、兄弟の思いなどいろいろありましたが、
今の悩みに振り回されないで、10年先の目標を持ちましょう。
社会情勢が移り行く中でみなで話し合いながら、糸口をみつけて行きましょう。
と、私の体験をもとに話させていただきました。

たけのこの家に通っている人が数名いて、そのこともうれしく思いました。

ジャングルジムの活動と考え方は今の時代にあった、そして前向きな姿勢が伝わってきて、
核となるリーダーたちの献身的な動きがよく見えました。
知的障害者の福祉にとってとても重要な人たちが、きっとこの中から将来出てくると確信しています。

2008年2月19日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

春が来た

「おはようございます。」
11時ごろ、レジデンス日進のお母さんたちが部屋へ入ってきました。
いつもいつも施設のまわりやいたるところをせっせとお掃除したり、花の世話をしてくださる人たちです。

今日は朝から寒くてストーブにかじりついていた私は、
「あいかわらず、寒さにもめげず元気なお母さんたちだなあ」
と思いながら見ていました。するとテーブルの上に、次から次と大小の「ふきのとう」が並べられて行きます。
私は思わず大きな声で
「あっ、春が来た!!」
と大喜びしました。
「庭を掃除していたら、見つけたんです」
とお母さんたち。外気は2度。庭の掃除を終えて春を届けて下さったことに心から感謝しました。
さあ、寒さなんかに負けずに、私もがんばろう!!

2008年2月18日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

福嶋先生、これからもよろしくお願いします

知的障害者福祉施設は「精神科医」を嘱託医をおかなければならないとある。

しかし、よく考えてみればこれはおかしい。もともと医師免許なるものは特に診療科ごとに免許が下っているのではない。医師は国家資格だが、診療科は何を標榜してもよいことになっている。例えば内科医が精神科とか神経科の看板を掲げてもとくに問題があるわけではない。

そこで、嘱託医の要件について県に確認したところ、
「知的障害者の診療に相当の経験を有する医師であれば精神科の医師でなくてもよい」
との回答を得た。規制緩和というか、実態に合わせての改革というか、ともかく大いなる前進といえる。

レジデンス日進の利用者は地域の名医として名高い、福嶋ファミリー内科に行って診てもらうことが多い。そうしたところから、福嶋先生はレジデンス日進に「ボランティア」で無料診療していただくようになった。

この先生はすごい先生だ。
無料診療だけではなく、休日にはドクターズバンドと称して、ドクターだけのバンドを引き連れて施設に乗り込んでくる。

レジデンス日進の看護師も福嶋先生が來所されると、誠にいきがぴったりあった看護報告を行っている。もちろん利用者は大喜びだ。

大喜びなのは「バンドの先生」が来たからではない。ひとりひとりの生活の悩みを含め、利用者の健康をよくよくご存知であるからだ。これ以上、知的障害の本質をご存知の医師はこの地域に福嶋先生をおいて他にあるまい。

私たちは地域のお医者様でもあるし、この先生に心底惚れ込み、嘱託医になっていただきたいと思っていた。いや、実態は私たちが頼りとする医師であった。しかしこれまで精神科医でなければならないとされていたので愛知県に嘱託医として登録することはできなかった。

でも、どうしても福嶋先生になっていただきたいと愛知県に問い合わせたところ、そうした回答を得ることができた。
ありがたいことだ。ほんとうに正しい願いは通じるものだと思う。

生活の質を高めることが肝要

名東福祉会が最初に設立した施設は1981年に開所
2008年だから今年で27年になる。
50代の利用者も増えてきた。

その一方でたけのこの家のように学齢に達していないこどもたちもいる
親の年齢は、それだけ広がった。

高齢者の施設を経営してほしいという人が多くなった。
現在の医療・高齢者福祉の分野の状況を考えれば、名東福祉会が直接経営を行うことは
非現実的だが、利用者とその家族の生活を支援して行くという視点は捨ててはいけない。

親にとっては自分の生活のありようを考えることは、同時に障害があるこどもの将来を考えることでもある。

高齢になった家族をどのような形で支えるべきなのか、その手立ては考えておく必要がある。
ありきたりの高齢者施設を企画するのではない。
気軽な勉強会から始めていただきたい。

現在の地域にある高齢者福祉サービスを徹底的に調べる。
その配置、アメニティ、利用料金、利用サービス、利用システム、職員配置、収益、設備投資などなど。
また福祉制度についても。

そうした勉強をしていくと、新しい名東福祉会のあるべき姿が浮かび上がってくるかもしれない。

親子で入れる福祉ホーム

会員の方々が最近「親子で入れる福祉ホーム」というコンセプトで高齢者福祉を望む声がでてきている。高齢期に入った親がそうした要望を持つようになることは極めて自然な発想だともいえる。名東福祉会への期待の大きさを表しているのかもしれない。

過去30年間の間に、名東福祉会には高齢者福祉事業に乗り出さないかという話が何度も来た。
経営が立ち行かなかった高齢者施設を委託したいとの話やある中堅商社が福祉事業に乗り出すので高齢者福祉をやらないかという話、土地を寄贈したいので高齢者福祉をやってほしいという話などいろいろだ。

なかには本気でやってみるべきかも知れないという案件もあった。だがその度に結局、高齢者福祉事業は行わないという結論に達している。
理由はそれぞれあり、それぞれ異なる。
でも本当の理由は、当時から現場職員のリーダーとして勤務してきた自分にとって高齢者福祉をやる使命感が持てなかったからだと思う。
福祉事業を引き継ぐ人間に使命感が育たなければ福祉事業はできない。

高齢者福祉の世界には自分にとってはどうしてもやらなければならないという純粋な使命感はもてない。
もしやるとすればどうしてもビジネスとしての収益性を判断して乗り出すことになる。
だが、福祉である以上、収益性は高齢者福祉といえども低い。近年の医療・高齢者福祉改革はかってのような高収益率を許すほど甘くはない。

知的障害者福祉も高齢者福祉も、福祉の理念において本質が変わるものではない。
具体的な介護技術に差異はあるけれども、基礎的な支援・介護技術においてさほど差があるわけではない。
しかし、単に技術論の類似性や収益性で高齢者福祉を行うための使命感を持つのはやはり無理だ。

理事長としてなんとか青息吐息でこの業務を続けられるのは、我が子が救われたり成長することに無償の喜びを感じる親がそこにいるからだ。
無償の福祉をやるには他者のために無償とはいわないまでも、意気に感じて行動をともにする同士も必要だ。

親子で入れる福祉ホームのコンセプトはほのぼのとした幸せを感じるかもしれないが、ほんとうにほのぼのとした生活がそこに待っているのかをよく考えなければならない。
コストやケアの難しさを考慮せずに事業化すれば、実際に入居したら<現実は甘くなかった>となりやすい。またそうした不満が出やすいのもほのぼの福祉の世界ではないか。

やはり社会の成員が共同負担して成り立っている福祉事業は、まっさきに救済すべき人を救済することを優先するべきだ。
名東福祉会が高齢者福祉に乗り出すとしたら、もう少し経営者の世代が代わらなければならないのではないかと思う。

選択肢の多さと消費者の満足

普通は選択肢が多いと満足すると考える。実際にはそうはならない。
実際には選択肢が増えれば増えるほど、消費者の満足度は減って行く傾向がある。

行動経済学という分野の学問がある。
経済を動かしているのは理論的に欠陥がない人間ではなく、感情をもった不合理な判断をする人間だという前提のもとに
これまでの経済学を行動に視点をあてて組みなおした経済学だ。

選択肢が多いほうを選ぶのが合理的な判断だが、人は選択肢が少ないほうを選んでしまう。そのような「選択のパラドックス」が存在することを行動経済学は教えている。

知的障害者の地域福祉においても同じようなことがいえるのではないか。食事の選択メニューにはじまり、作業の選択、余暇の洗濯、住む場所の選択・・・といろいろと選択肢が拡大していく。

選択肢がないことは大いに問題であり、「措置」はまったく自由が阻害されているため問題があった。
だが私たちが常識としている施設生活の選択性に価値があるという考え方にも問題はないか。

両親とともに家庭で生活する、グループホームで生活する、新しくできるケアホームで生活する、レジデンス日進で生活するという4つの選択肢でも精一杯だ。それ以上の選択ができる状況になると、ひとつひとつの場所の満足度が逆に低下しそうな気もする。

「毎日働く場所を変更することができます。」
消費者としての権利が護られているかに見える支援費の日払い制度。実際には日替わりで利用する施設を変更できることを喜ぶ知的障害者は少数派だろう。
ひとつの施設を選択できる日数は1ヶ月で23日を限度とすることも理解できない。(というか予算の都合以外のなにものでもないが)
選択という美名のもとに実際の利用者満足が阻害されていくとしたら、私たちは大いに反省しなければならない。

まだまだ障害者福祉は足りない

平成19年12月7日に障害者自立支援法の抜本的見直しに関する与党プロジェクトチームの報告書が出た。
3年後の見直し時期を迎えたとしても、とりあえず急速に名東福祉会の経営状態が悪化することだけはなくなった。

ただ安心しきるのは早い。報酬単価の見直しが盛り込まれたものの、ケアホームや通所サービスの報酬単価がいくらになるのかについて、はっきりと示されたわけではない。
むしろ怖いのは、私たちがこの状況に安住してしまうことではないだろうか。

過去8年の間、スウェーデン、デンマーク、イギリス、ドイツ、カナダ、アメリカ合衆国東海岸の施設、オーストラリアの福祉施設を見てきた。
同じ先進国でありながら、知的障害者福祉の海外との差異に愕然とする。

カナダのグループホームは定員6名。閑静な住宅街にあって、職員は3名づつ3交代制だった。
その法人は24箇所のグループホームを運営しており、利用者の相性が悪いと利用ホームをいろいろと変えることができた。

デンマークのファーラム市では老人と障害者が同じケアホームに住んでいた。
完全にユニット化された8名のユニットが4つ集まって「集合住宅」を形成し、その集合住宅が4棟集まってひとつの施設になっている。
全体で105床。そこに地域デイセンターが併設され、地域生活の訓練施設も設置され、相談事業も行っている。
給食施設はこの施設群全体に食事を提供するとともに、ファーラム市に住む独居老人にクックチルの弁当を宅配するサービスも行っている。
北欧では効率とQOLを両立させている。日本では地域福祉というと規模の小型化・分散化のように考える人がいる。間違っていると思う。

アメリカのワシントン郊外の施設。
作業棟ではパテントを取得したノンスリップ松葉杖の組立作業を行っている。
ここの法人の中には就労前教育を行うアカデミーがあって知的障害がある人たちが真剣に講習に参加しノートをとっていた。
現在ワシントン市内に2000人が就労していて常にアフターケアサービスを受けている。
法人の財政をまかなうため、中古車の寄付を呼びかけている。業者と提携し、車を修繕・再販して収益を稼いでいる。
これはワシントンの有線テレビネットワークにテレビコマーシャルを流すまでになっている。
アメリカは競争社会であり受益者負担の考え方が徹底している国。だから支援費報酬は低くて自己負担でまかなわれていると思ったらそうではない。
低所得者向けのメディケイドとメディケアという制度があり、実際には日本の支援費単価よりも高い報酬が提供されている。

ドイツの障害者施設は規模が大きかった。キリスト教会が財政をバックアップする。圧倒的な設備、圧倒的なボランティア層によって支えられている。
宗教をベースとして、ハンディをもった人たちを支えあうという連帯感に圧倒される。コストを下げるために入所施設を解体して地域福祉に移行するという発想はない。

オーストラリアのメルボルンでは義肢や補助具のフィッティングをしている施設を見学した。
何かとローテクではあるが義肢や補助具を用い、工夫をこらして生活の質を高めている。なにごとものん気に生活を楽しもうという国。
オーストラリアなまりの英語で利用者も見学者に「ナイスダイ(nice day)」といってくれる。明るい。
工夫できるところはどんどん工夫して自分でできる生活を作り上げていくガッツがいい。
世界トップクラスのロボット技術をもつ日本としては、障害者分野にこれを適応するといいが、その前にローテクでやれることもたくさんある。

イギリスではケアの質を保つために現場に入って監査が行われる。定型的な提出書類中心の監査だけで「指導」が終わる日本とまったく違う。
日本の監査は補助金や支援日報酬の申請内容の検査、利用者との契約内容、施設の設備、職員の配置状況、職員の資格、職員の福利厚生、役員の報酬が監査の中心。要するに申請に不正はないかということと、経営者が不当に儲けていないかをチェックする。職員は不正がないことを証明するために膨大な書類を作成することに日々追われる。

日本の障害者福祉制度は硬直的だ。障害者自立支援法が廃案になることは望ましいが、過去の硬直した運営を強いられる福祉に戻るのは困る。
利用者にとって望ましいサービスが創意工夫によって生み出されるしくみがないことは、結局、利用者のQOLを低下させる。

凛として空を見上げる花を咲かせることができたら・・・

1月17日 名東福祉会関係の施設家族会の皆様が大勢集まって、私が愛知県福祉協会からいただいた福祉功労賞を祝ってくださいました。
各施設の所長も職員を代表して参加し、花束まで贈呈していただけました。

こんなうれしいことは久しぶりです。

実は私はこれまで数々の立派な賞をいただきましたが、いつも障害の子を持つ親としてあたりまえのことをして来て、
私だけが賞をいただくのはどうも面映い気がして、いつも賞をもらったことは皆様にはお知らせせずにいました。
このたびは、40年も前にお子さんを世話させていただいたお母様から
お祝いのハガキをいただき、感動したことを名東福祉会の機関紙「WORKS」の奈々枝日記に掲載したので、
話がパッと広がってこのたび全家族会の主催でお祝いいただくこととなりました。

記念品もいただきました。
高齢者にとって、心まで温まる、暖かなショールでした。ありがとうございました。

お祝いをひとりひとりおっしゃってくださったのですが、
「これから、ひまわりのように大輪の花をもう一花咲かせてください」といわれました。
私、今年で80歳。レジデンスが最後の最後となる施設と思っていました。
もう一花咲かせるというのは、80歳を過ぎたものにとって、重いはなしです。

8年前、レジデンス日進を国の補助金で建てようと申請をする直前、心臓が悪くこのままではおそらく1年ほどで命がないと言われました。
何をするにも息がきれ胸が締め付けられるのでそのとおりだと思いました。
「もう1年だけ生かしてください。それでまったく悔いはありません。」と心臓手術に踏み切ったときには、レジデンス日進こそ、最後の最後になる施設と思っていました。
ところが、その後も施設の必要性はなくなりません。
今度はたけのこの家というまったく新しい意義深い施設ができ、はたまた楽しいメイグリーンができ、念願のケアホームができる日もももうそこまで来ています。
私は夢のまた夢との思いです。

これでもう大丈夫となるはずだったのに、障害者自立支援法はまったく思いもよらない法律でした。
お祝いを頂いた翌日の1月18日、中日新聞に母親が知的障害や病気がある息子二人を殺害したという記事が小さく載りました。
福祉は戦後60年かけてずいぶん進んだかと思ったのに、あまりにも使いにくい制度になったので、不安ばかりがひろがり、こんなことになるのではないでしょうか。
私の長男が障害児となった53年前とそんなに変わりません。

50年経っても、母親はわが子に障害があることを受け入れることはつらいのです。前向きに生きていくにはどうしても私たち仲間の力がいるのです。
こんなことにならないように何とかしなければと痛切に思います。お祝いをいただいて、大輪を咲かせよといわれてもとてもとてもと思いましたが、私は原点にぐいと引き戻されたような気がします。

大輪の花とはいきませんが、野菊のようにささやかで、凛として空を見上げる花を咲かせることができたら・・・と思います。

2008年1月18日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

子どもを思う親の気持ちはみんな共通

皆様新しい年を迎えおめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
今日はメイトウワークス家族会の新年会でした。おいしいお料理がたくさん出て幸せでした。

あいさつのあと、皆さんに何かご希望があったらおっしゃってくださいと問いかけたところ、
「現在はメイトウ・ワークスに通って幸せですが、親が年を取って自分のこともできない日が来たとき親ひとり子ひとりではどうすればいいのかわからない。この次は親子で入れる施設をつくってください。」
との意見が圧倒的に多かった様です。親として年を取ったときの不安はみまさんがまだほんとうに若かった30年前からあったように思います。

ただ、そうした施設ができたとしても、みんな自由に入れるということにはなりません。
自由に入れる施設は利用料が高く、低料金で快適な施設となると順番待ちでなかなか入れません。それは世の道理です。

将来建設される施設を待つだけではなく、今利用できる手立てについてよくよく目を凝らして見てみることです。
名東福祉会を見ればショートステイもあります。ご近所の法人さんもいろいろと門戸が開かれています。
親子で入れる老人ホームなんて考えないほうがいいですよ。

「子どもが地域でどうやって生きていけるかはいろいろ方法があります。まずはやれるところからいろいろな体験をしていきましょう。もう私(奈々枝)はこれで終わりだと思うので、皆さんのなかから土地を提供したり、建設資金をためたりして、子どもたちの行く末を何とか形作ってください。」
といいましたら、
「私は土地もお金もないので今から福祉士の資格をとって、名東福祉会のお役に立ちたい。」
という人も出てきました。
子どもを思う親の気持ちはみんな共通です。
小さな願いもみんなが力を合わせればいろいろ新案も出てきます。
みんなで未来をつくりましょう。

2008年1月8日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝