1年ぶりにあけぼの学園職員との親の同窓会といいましょうか、有志が集まって語り合う会が行われ、20人ほどが参加しました。職員の中には名古屋市職員を定年退職し、ヘルパーや民間の介護職員をしている人も何人かおられ、みなさん若々しく活躍しておられます。中には東京からかけつけて下さった方もいらっしゃいました。その人は私の息子佳孝を覚えていて下さいました。

「お母さん、小さくなったねえ!」ということばに「あたりまえでしょう。私もう78歳ですもの」
と言い返す瞬間、目の前に40年前の風景が彷彿と浮かび上がります。

 当時、名古屋市内に重度の子どもたちが入所する施設は皆無でした。親たちの運動で、精神薄弱児入所更生施設「あけぼの学園」の中に重度棟が開所されました。当時は重度の知的障害児に対してどんなケアを行ったらよいのか資料も先例も名古屋にほとんどない状態です。そこに初めて勤務する職員は大変でした。自然、開所当時の思い出話になります。

 皆さん「あのときは辛かった」とは言いません。「あのときは面白かった。あれが原点となっていまでも知的障害の福祉関係の職員として続いている。」「あの頃が忘れられず、退職してもヘルパーやボランティアをやっている。」など、もみくちゃの笑顔と共に、ありがたい言葉が次々と湧き上がってきます。

 親の近況報告では、ご主人を亡くしたり、あるいはご病気であったり、いろいろお世話を続けていただいていた先生が突然心臓麻痺で数ヶ月前に亡くなったり、あるいは最愛の子を亡くしたりで
いろいろな出来事がそれぞれの人生にありました。

 障害者自立支援法も話題になります。今、成人の入所施設にいる人、通所を利用している人様々です。が、みなさんたいへんな変革に驚き、今の福祉のありようにいろいろな疑問をもたれていました。特に、障害程度区分の認定手続きで使用される106項目の内容には納得がいかないという意見が大半を占めていました。延々と果てしなく話は続き、お店の人に怒られそうなので、ともかくここをお開きにして二次会になりましたがそこではどんな話がでたでしょう・・・。

 私はこの方たちと知り合い、ひとつの目標に向かって励ましあうことができた人生をほんとうに感謝いたします。私は帰路につきながら、ひたすら今の名東福祉会の職員たちが今日この頃の難関を乗り越え、30年、40年後に、笑いながら思い出話をしてくれるよう祈るばかりでした。

2006年11月28日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝