障害福祉予算が足りない

これまで障害福祉予算は橋元内閣、小泉内閣の構造改革路線でさんざんな目にあってきています。ですが障害福祉予算に正当なお金を投ずることは無駄ではありません。かえって、この分野の投資を行うことは、大震災で傷ついた日本の経済を再生させるだけではなく、強靭でしなやかな国をつくることに繋がるからです。

障害者福祉への予算配分は財政破たんの原因になるという風潮があります。しかしそれは偏った見方であって事実ではありません。そもそも障害福祉サービス関連消費はGDPに含まれます。私は経済については専門ではありませんが、自分の職業である情報産業の仕事を通じて、この分野の投資不足が日本の遅れにつながっていると感じている一人ではあります。障害福祉サービスは直接的なサービス費用の他にも、様々な関連産業があります。

・障害があっても往来が安心してできる使いやすい建築物の建設
・障害がある人にもアクセスしやすい情報技術の開発
・誰でも簡単に利用でき、全国どこにでも移動できる交通機関
・ロボット技術を生かした障害支援
・個々のニーズに沿ったオーダーメイド医療
・障害者の社会参加を促す教育技術

いろいろ考えられます。日本が誇る技術を障害福祉分野に生かす機会はいくらでもあります。これは障害者に限定した投資ではなく、東日本大震災の発生をきっかけとしてこれから来ると思われる大災害への備えでもあるのです。

しかるに、障害関係に割り振る日本の予算は極めて貧弱です。厚生労働省自身、わが国の障害者関連予算が極めて少ないと認めています。長くなりますが、引用してみましょう。

http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/sougoufukusi/2011/08/dl/0830-1a01_02_04.pdf

(引用開始)
財政についての基本的な視点
【結論】
○ 障害関連の財政規模については、OECD 加盟国の平均値並みの水準を確保すること。
○ 財政における地域間格差の是正を図り、その調整の仕組みを設けること。
○ 財政設計にあたっては、一般施策での予算化を追求すること。
○ 障害者施策の推進と経済効果等の関連を客観的に推し量ること。
【説明】
積算作業の前提として、また制定後の障害者総合福祉法がより実質的で効力のある法律となるために、財政面でとくに留意すべき4つの視点がある。
1.障害関連の財政規模については、OECD 加盟国の平均値並みの水準を確保すること。
障害者福祉の予算水準のあり方を考える上で、参考になるのが OECD 諸国との比較である。地域生活をささえる支援サービスの予算規模(障害者に対する現物給付。ほぼ障害者自立支援法によるサービス費用に相当)について、OECD 諸国の対 GDP 比平均を計算したところ、0.392%(小数点第4位を四捨五入)であった(OECD SOCX2010。2007 年データ。34 カ国のうち、データなしのアメリカ・カナダを除く 32 カ国を集計)。
ところが、日本は 0.198%(1兆 1138 億円に相当)であり、OECD 諸国のなかで第 18 位であった。これを平均値並み(GDP の 0.392%)に引きあげるには、GDP 比0.193%(約 1 兆 857 億円)の増額が必要であり、総計で現在の約 2 倍に当たる2兆 2051 億円となる。また 10 位(0.520%)以内では約 2.6 倍に当たる2兆 9251 億円となる。(2007 年の日本の GDP 総額は 562兆 5200 億円)。
以上のデータから見ても、日本の障害者福祉予算の水準は、OECD 諸国に比して極めて低水準であり、少なくともこれを OECD 加盟国の平均値並みの水準に引き上げることが求められるが、その際、支出・給付面と国民負担率などの負担面を合わせて総合的に検討を行うべきである。
(引用止め)

私たちの国の障害者福祉予算は非常に小さいのですね。
2011年は、私たちの国のGDPは468兆円(名目)にまで下がってしまいました。失われた20年がなくて、他国並みに20年間成長を続けていたら今頃は1000兆くらいのGDPにはなっているといわれています。なにしろ、あのEU諸国でさえ成長しているのですから。もしGDPが1000兆で、OECD諸国の平均並みの0.392%の障害福祉予算が組まれていたとすると3.9兆円の予算になります。これは現在の3.6倍もの予算になります。今の3倍予算があったら!障害がある人の収入もさぞかし増えていることでしょう。

現在、消費税の議論が行われています。しかし、こうした将来への備えを優先する議論を一切せずに消費税だけを上げるのは間違いだと思います。正しい成長戦略と先を見越した障害福祉政策があれば、消費税増税は必要ないと思います。

ちょっと今日は独り言です。

障害者福祉でもっとも必要なのは、利用者と支援者の生きた往来を明確化して反復・修正していく技術だと思います。

福祉の世界は原理・原則の議論が大好きです。
例えば本人主体、選択の自由、権利擁護、自己権利擁護、虐待防止、透明性、説明責任、ノーマライゼーション、福祉理念・・・
数え切れない「理屈」あるいは「理」に関する言葉が並びますが、ひとつひとつの言葉はその定義すら定まりません。
人は一般に、原理原則の議論が大好きです。まるでこの世は「理」によって支配されているかのようです。
しかし原理主義は厳格主義につながり、例外を認めない硬い福祉になる恐れがあります。

「理」に対して「気」という言葉があります。
空気、雰囲気、人気、元気、活気、気分、意気、殺気、語気、やる気・・・
施設を訪問して利用者の人たちの記録を読めば、「気」がつく言葉が多く目に付くはずです。福祉の世界では「気」も重要な言葉として私たちの仕事を支配しています。
特に「空気」という言葉は問題があります。ひところ「空気が読めない<KY>」という言葉が流行りました。この言葉によってどれだけ福祉施設の多様な試みがつぶされて来たでしょう。

私たち知的障害者福祉にかかわるものは、「理屈」でもないし、「空気」でもないところで動くしかないのではないかと思います。
私たちはお互いに影響しあう「文脈」の中で生きています。一連の行動や環境の流れといったらいいのでしょうか。
私が行動療育について学んだことで、最も重要であると感じることは、子供と療育者の相互の行動の文脈の中にこそ療育の本質があるという事です。
これがよい支援であるのか、望ましくない支援であるのかは、やってみるまで、あらかじめ誰も決めることができません。
その価値は、支援を必要としている行動の筋道や背景(文脈)をみなければわかりません。本人とまわりの人たちの試行錯誤の結果としてその価値が決まるのです。
モニタリング(評価)という手法があります。評価というとちょっと意味が狭くなります。私は、特定の福祉的対応を行うことによって新たにどんな課題が必要になったのか、新しい「道」を見つける作業のことと考えています。

私は、提供する福祉の価値を左右し、自分たちをより向上させるものは自分たちの行動と利用者の行動をモニタリングすることにあると思います。それは自分たちがまさにそこに生きて動いているその「往来」を見つめることと言い換えてもいいかも知れません。人の往来を見つめ続け、実際にその往来に立って歩くことで人は支援技術を磨いていけるのだと思います。