まずできる事から始める

計画、モニタリング、いわゆるPDCAサイクルの重要性が指摘されています。地域における協議会を作る事も重要です。

そこで、一般の人たちが誤解するといけないので、あえて言っておきますが、福祉サービスでは「まずできる事から始める」という大前提があります。とりあえず必要な事をするために動き出したうえで、それからよりよい計画を練ったり、環境を改善したり、チームで組織対応をしたり、地域の連携を作ったりして改善を繰り返します。それは今困難を抱えている眼の前の人が、一刻の猶予もない事があるからです。

地域の福祉計画を専門家が協議して、それから予算がついて、さらに施設が建設され、組織ができ、担当者の配置があって・・・・
という順番ではありません。大きな災害が起こったときも同じです。

有能な福祉サービスマンの場合、「まずはできる事から」が功を奏し眼の前の問題解決がうまく行きすぎて、その背景にある構造的な問題に切り込んでいく事ができないということが往々にしてあり得ます。上記の計画相談や地域の協議会は、それを防ぐという意味があります。

福祉サービスでは迷ったらまずはできる事を探す。これが原則だと思います。実践主義です。

目的を形成する際に、学習者が参加する事の重要性が強調されてよい(デューイ)

アメリカの障害者政策や医療政策を単純に日本に導入する事については、私は批判的立場です。それでも、デューイやスキナーなどの実践主義者の考え方は、学生時代に深く感銘を受け、今でも強く影響を受けている事を認めざるを得ません。

実践主義(プラグマティズム)の潮流をずっと遡るとプラトンに行きつきます。プラトンはかって奴隷を他人の欲望を実行させられている人であると定義しました。自分自身の盲目的な欲望のとりこになった者もまた奴隷であるとデューイは考えます。

デューイはその著書「経験と教育」の中で、生徒自身がこれから何を学ぶのかを取り決める活動に参加する事の重要性を説きました。目的をもって行動することの重要性といいかえてもいいと思います。現在では「利用者本人が福祉サービス計画立案に参加すること」が重視されていますが、私はこれらの福祉活動の原理は、もともとはデューイらの実践主義の流れであると考えています。

そうした考え方に影響されたこともあって、成人の「授産施設」の授産活動でも「自分自身で活動内容を決める」ことを重視したいと思いました。名東福祉会の第一の施設であるメイトウ・ワークスでは陶芸の作業が授産科目に選ばれました。そこで、私たち現場職員は
「どんなものをつくるのかを利用者とともに考え、利用者とともに実践する」
という基本的なスタイルを取りました。そして現在でも名東福祉会の諸活動には、こうした利用者と一緒に活動内容を決めるという空気が流れていると思います。

先日、私が勤務する会社の沖縄の事務所の屋根に守り神であるシーサーを飾りたくなり、天白ワークスに特注のシーサーを作ってほしい旨発注させていただきました。
しばらくたって、注文の品が焼きあがったと連絡がありましたので見に行きましたら、とても見事な、どこか愛らしいシーサーが仕上がっていました。失礼ですが、思っていたよりずっとできが良くとても満足しました。

その後、担当者がなにやら見た事もないような魔物の素焼きの大型の焼き物を奥から引っ張り出してきました。これはシーサーを製作した陶芸家(実は施設利用者の方ですが)がシーサーづくりをしていて突然閃いてあっという間に製作したものだそうです。おどろおどろしくもあり、どこかひょうきんなところもあり、それでいて異次元の煉獄の世界からワープしてきたような力を感じる芸術作品でした。これ、何の指示もなく土台の上に作り上げてしまったものなんだそうです。見事です、はい。

就労支援であろうと、生活介護であろうと、あるいはグループホームであろうと、障害者の福祉サービスにおいて大切なのは、本人が主体的に活動できる環境を作る事だと改めて思った次第です。

人は作業をこなすことで健康になれる

今日は書籍の紹介です。

◎日本作業療法士協会「作業のとらえ方と評価・支援技術」生活行為の自律に向けたマネジメント(医歯薬出版)

2012年の四月、認定調査、ケアマネジメントの研修、新制度への完全移行、利用者への説明、契約とばたつく障害福祉関係をしり目に、高齢者福祉現場では介護保険への移行から10年を経て、上記のことばに端的に表現されるような理念を持った実践主義の福祉技術が花開いています。

現在、障害者福祉が高齢者福祉に大きく水を開けられてしまっているという感があるのは私だけではないと思います。私たち障害者福祉の「デイサービス」現場はかねてから授産施設として作業をたいへん重んじて来ました。特に名古屋はその先進地として、障害が重い人でもなんらかの「意味のある(meaningful)」作業に従事し、単に工賃を稼ぐだけではなく、作業活動に伴って、様々なレベルで地域活動に参加してきました。

「意味がある」活動の方が単なる機能回復訓練よりも効果があるというエビデンスがあります。この本は利用者の主体性や実生活に焦点をあてたクライアント中心の作業療法が必要だと説きます。紹介されている作業の分野は

・日常の身の回りの作業
・家事などのIADLを維持するための作業
・趣味などの余暇的作業
・仕事などの生産的作業
・地域活動などの作業

などあくまでも実践の中に人生の質を問い直すという姿勢が貫かれています。自己決定と言うことばも随所で使用されていますが、要は、実生活を送るクライアントにどのように寄り添いながら作業活動を支援できるのかということだと。

実践事例も秀逸で、孫に手紙を気書きたいという思いを大切にした作業ではじまり、家事練習、編み物、洗濯、アクリルたわしづくり、日曜大工など、施設利用者が大切にしてきた日常に立って作業療法を展開しています。

ポイントは評価・支援技術をコンパクトにまとめていてすぐに使える様式が豊富に掲載されていること。障害者の生活介護施設のマネージャーは必見の書です。

作業療法

作業療法は成人の授産施設では死語になっていて、今ではほとんど振り返って見られることはない言葉です。他の分野の高齢者福祉、精神障害者福祉の現場では現在でも、作業療法士(OT)が配置され、「作業療法」が積極的に取り組まれていますが、知的障害者福祉分野では「作業療法」について考える人はほとんどいないのが現状です。でも、私は障害がある人の日常生活、特に新しく始まった「生活介護施設における日常のプログラム」の課題を考えるときに、もういちど注目してもいいのではないかと思います。

授産施設(現在ではセルプといいます)では、より社会参加や自立が目的となっているために、現実的な収入の糧につながるような経済活動を展開することが重視されるようになっています。例えば、大規模に印刷やクリーニング、縫製等、伝統工芸品、織物、陶磁器、家具製造等の職人的作業やパンやクッキー等の食品を作る作業、ポーチ類等の手作り布製品を作ったり、木工パズルなどを作るなどの活動が展開されるようになってきています(これは全国社会就労センター協議会(セルプ協)の情報です)。しかし、障害が重くなったり、年齢が高齢になったりすると、こうした作業に従事することは難しい人が多くなります。だいたい、知的障害者にも定年のようなものがあってもいいと思うのですがいかがでしょうか。

これから就労支援事業が就労作業によって収益を上げて行くことは難しいと思います。現在世界を重苦しく覆っている不況や、日本国内の仕事が海外にシフトしていく現状では、資本もノウハウも販売ルートももたない知的障害者施設が収益を上げ続ける事はなかなか難しいのが正直なところです。とりわけ、生活介護施設と就労支援B型施設というようにただでさえ小さな集団である施設を、施設の内部で複数の部門に分化せざるを得ないような制度設計のもとでは、作業収益を効率よく上げて行くことはこれから困難になっていくことが予想されます。また、企業の下請けとして、特例子会社ができてくると、今後、生活介護施設の魅力がじり貧になるのではないかと危惧しているところです。就労支援事業よりも作業能力の点で「下位」に位置付けられてしまっている生活介護では、職員が作業に意味を見出す事は難しいのかもしれません。

そこで原点に帰って「作業療法」です。
日本の知的障害者施設でも、1980年代以前は施設の作業は「作業療法」としての位置づけがなされていたとように思います。作業療法における作業はペグ棒を穴に差し込むだけの身体機能の改善に着目したものから、クリーニングや厨房作業など非常に実生活に近い形式で実践されるものまで幅広く展開されています。
作業は利用者の安定に結びつきます。休日を充実したものにしてくれます。旅行やレクリエーションも作業があってこそ楽しいものになります。毎日、人のために動き(これは働くという漢字の本来の字義ですが)、喜ばれる活動をする事は、生きがいや満足にもつながります。

「収益」を上げる施設が良質な施設であるとは限りません。売り上げや収益は指標としてはわかりやすいと思いますが、収益や消費などお金という指標ではとらえられない経済活動が世の中にはあります。

生活介護施設は作業しなくても良いというのは誤った理解です。私たちは作業の原点に帰って良質な生活の実現のためにもういちど作業をとらえなおす必要があるように思います。

施設利用者の高齢化が進んでいる

私ごとで恐縮ですが、私の兄は今年で62才となります。後数年で正真正銘の介護保険の被保険者となります。もともと左半身に麻痺がありましたが、最近では車椅子での生活になりました。レジデンス日進では定期的にリハビリに通院してくれています。しかしもともと医療施設ではありませんから、通院等、職員の負担も大きいと思います。最近では足に腫瘍も見つかっています。今年で名東福祉会は30周年を迎えます。同じような境遇にある人がいて、利用者の高齢化問題はこの先ますます深刻になってくる事が予想されます。10年後は現在の兄と同じようなニーズを抱えた施設利用者が増えてくる事でしょう。また親の高齢化は利用者の高齢化以上に進んでいますから、高齢知的障害者対策は喫緊の課題でもあります。

しかし、肝心の高齢知的障害者のケアのあるべき姿についてはその方向性さえ明らかではありません。
(1)現状の障害者福祉制度の枠内にとどまり、制度や施設を高齢知的障害者に使いやすく改定していくべきなのか
(2)高齢知的障害者専用のホームをつくって対応すべきなのか
(3)既存の高齢者介護制度を利用すべきなのか
いろいろな選択肢が考えられます。それぞれに費用や生活のありようと介護方法をめぐって長所と短所があると思います。

既存の高齢者の介護福祉サービスを受けるようにするならば、
・身体介護の状況と介護保険の要介護認定調査
・資金的援助や介護に関する兄弟の支援の状況
・生活保護と絡んだ収入や財産の状況
・成年後見人の意見
など、非常に個人的な情報を含めた研究が必要となります。悪い事に、知的障害者福祉の世界では、福祉サービスの提供者側はこうした「個人情報」が全くわからない状況にあり、専門性が育っていません。名東福祉会は過去何度も高齢者福祉に進出を行政に打診した事がありますがいずれも拒否されています。名東福祉会は母体が医療機関ではありませんから、経営基盤やニーズの点で無理があったのも確かです。

障害者自立支援法(平成17年)は一部施行、利用者負担無料化、障害者自立支援法改正案(平成22年)を経てこれまで度々ごたごたしてきました。そして現在は「税と社会保障の一体改革」でいったい何を改革しているのかわかりませんが、ますます混迷の度を極めています。このままでは失われた障害者福祉の10年や20年になりかねません。こうした時は必ず訪れる「高齢知的障害問題」のために腹を割って話し合える場を自分たちでつくるしかないのではないかと思います。

実現要因の改善

行動のモデルには様々なものがありますが、L.W.グリーンのPPモデルでは行動に影響を与える要因として次の三つにまとめて考えています。
(1)前提要因
行動に先立つ要因。その行動の倫理的根拠とか動機。例えば知識、態度、信念、価値観、ニーズ、能力などをひっくるめたもの
(2)実現要因
行動の実行を起こりやすくする環境の要因。各種の社会資源や地域の資源の利便性、近づきやすさ、料金の安さなど
(3)強化要因
ある行動が起こった後に、その行動を増加させる正のフィードバックを与える要因すべて

このモデルは、今では先進国のほとんどの保健政策で採用されているモデルとなっています。日本の厚生労働省も例外ではなく、「健康日本21」のモデルの下敷きになった考え方です。このモデルは社会学習理論がベースにありますから、保健衛生政策を立案する上で親和性が高い事が普及に結びついたのだと思います。それだけに、私たちのような障害福祉政策においても使いやすいモデルとなっていると思います。それで、名東福祉会の基本理念でもこのモデルを若干修正し、採用したモデルを事業報告書でも掲載しています。

福祉政策において(1)の前提要因の改善策を実践することはもちろん重要です。ですが、(2)のように、障害がある人が望んだ行動を実現しやすくなるように、地域社会の環境をつくりこんでいく政策を実践する事も重要です。1980年代から2000年にかけてのノーマライゼーション運動は、社会学習理論の立場からいいかえれば、前提要因を改善するための訓練や治療的アプローチを重視する政策から、実現要因に対する働きかけ、すなわち社会へのアプローチに重心を移そうという運動でもありました。このブログでもたびたび話題になる「地域の協働性」ですが、本質的には、本人が望む行動が実現しやすいように、地域の生活環境を改善していく運動に他なりません。

前提要因、実現要因、強化要因はそれぞれ独立しているのではなく、相互に連関し合っています。例えば実現要因の改善によって望ましい行動が生まれ、それに対して支援者の強化要因も改善され、さらに成功体験が本人やまわりの人の知識を深めて態度や信念を変えていきます。であれば、社会福祉施設の支援員は、内にとどまらず、外へ外へと行動を広げていくことが重要であると考えられます。これは表現するといいかえることができるかもしれません。

表現という活動には絵画、踊り、歌、陶芸作品などの芸術に属すものから、パンやクッキーなどの製品や下請け作業など幅広い活動を含みます。これらは本人の内側にとどまらず、外に向かって社会的な行動となり得るものであり、表現という言葉が当てはまるからです。表現は、正に「プロセス」そのものが実現要因に影響を与えます。メイトウ・ワークス30年以上前から実践されてきた陶芸作業も、障害がある人の力を社会が再認識するのに十分な活動でした。陶芸製品に多くの人が関わりを持ち、そのかかわりが地域の協働性を深めて行ったことは何人も否定できません。

表現の過程を大切にする

「結果がすべてである」というのは、結果責任の軽視の風潮に釘をさす警告の意味合いがあるからです。特に、政治家が結果責任を問われて「プロセスが大切」なんて言うのは、責任逃れのようであり得ませんよね。

でも、よくよく考えてみれば、「結果」と「過程」は明確に区別できるものではありません。得られた「結果」が新たな「目標」を生み、目標を実現する次の「過程」に繋がっていくからです。特に障害福祉は連綿と続く過程の中に諸活動がありますからなおさらです。

名東福祉会では陶芸やたいこ、ダンスに歌など、いろいろな「表現」の機会があります。もちろん名東福祉会だけではなく、多くの知的障害施設では「表現活動」を大切にしています。
ある事を「表現」しようと思ったら、日々、多様な過程を経ます。例えば小さな陶芸製品の注文を受けて、それを作ろうという仕事をするときにも、土屋さん、釉薬屋さんなどと打ち合わせが必要になります。納品のための箱も作らなければなりません。場合によっては陶芸のプロの話も聞きます。陶芸製品のデザインは指導員だけではできません。利用者の人が得意とする表現をその製品に反映させてこそ利用者の製品となります。ひとつの陶芸製品を「表現」するためにも莫大な人が関わります。そのプロセスが社会とのつながりであり、「表現」になります。祭りをやれば、発し手と受け手の間で多様な表現が生まれます。

伝統的に「表現の活動」が福祉施設で重視されているのは、「表現活動」がよい効果、よい結果を生むからでしょう。障害は、社会との関係で生まれる側面があります。表現の過程を社会と共有し、お互いに楽しむ事によって、社会も影響を受け、ひいては障害の性質そのものが変化していきます。

新しい制度がスタートしましたが、伝統的な表現過程は、生活介護施設の活動の中でも重要な地位を占めていくと思います。