「ガンバルよ」

長い病院生活から抜け出して、透析の通院生活に代わり、少しずつ慣れてきました。いろいろと食事制限や水の制限がある他、人口心臓弁を使っている薬の関係で、糖尿病で壊死した足先から出血するとなかなか血が止まらないことなどいろいろあって、人生、健康でいられることがどんなに大切なことか、毎日身につまされています。

こんなとき、突然、通所施設に通っていた人の母親が心臓病で急死されました。残された子とその年老いた父親を思い、どうしてあげれば良いのか・・・つくづく考えました。

施設へ入所することは子どもを捨てることではなく責任を放棄することでもありません。困り果てたあげく親子心中をと考えるのではなく、残された子ども、年老いた父親も共に生きて命を全うしてほしいものです。私の病状があまり芳しくないので、そばで励ましてあげることもいろいろと手助けすることもできませんが、生きてこそまた良いことに出会えると思います。どうぞ頑張って下さい。

私の長男は長いコロニー生活からレジデンス日進にかわって参りました。とたんに私が病気になり、入院し、娘の世話になっています。長い間顔を見ていないので、ほんの少し面会に行きました。顔を見たとたん真っ赤な目をして涙があふれそうな顔をしていました。でも泣かずに
「ガンバルよ」
といて、別れ際は笑顔で送ってくれました。

親子の縁は死してなお続きます。天上で見守れば良いのです。施設と本人の縁はずっと続きます。少しでも良き縁となることができますよう、あれやこれや考えてみましょう。

2010年1月27日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝