エピキュリアン(快楽主義者)

古代ギリシャ時代にエピクロスという哲人がいました。あたりまえの幸せを求めることが人生の目的であると教えた人です。

健康第一。贅沢ではないいい食事を食べて、友がいて、食べていくために必要な仕事があり、簡素な衣服があって住まいがあれば良いと。平静な心が大事とも。権力闘争とは無縁の世界。まるで「なんでもないような事が幸せだったと思う」という歌のような教えです。日本のような穏やかな自然の国にはぴったりの生き方だと思います。

エピクロスは「庭園」と呼ばれる「楽園」で弟子の人たちと<自給自足生活>をしたそうです。エピクロスの事を調べていて、私は思わず現代の施設の生活を思い浮かべました。福祉施設が提供すべき生活も、古代ギリシャ時代にエピクロスが求めたものと本質的に同じかもしれません。

名東福祉会では創設以来「楽しい事」を大切にしています。今日のプログラムは楽しかったのか、健康的であったのか、職員も利用者も楽しく作業に取り組めたのか、友と楽しい時間を過ごせたか、外部内部の人を問わずいい笑顔とどれだけ出会ったのかなどなど。反対に、苦痛や恐怖はなかったか、ねたみはなかったか、喧嘩はなかったかなど。そんな事を反省材料として会議を行います。エピクロスについてはあまり知りませんでしたが、元来、福祉が求めるべきものはそうしたものかもしれません。

エピクロスの「庭園」はずいぶん楽しそうであったけれども、あまり外部の人との交流がなかったらしく「閉鎖的」とか「快楽主義者」と批判もされたそうです。それは誤解だと思いますが。今でもエピキュリアン(快楽主義者!)という悪口言葉が残っているくらいこの人は理解されていません。

私たちも、あたりまえの幸せを求める事が大切であることをいつも確認、地域の人に説明を怠らないようにしたいものです。奈々枝会長の命日の今日、そんな考えが想い浮かびました。

ゲーテの警告

適菜収の「ゲーテの警告 日本を滅ぼす『B層』の正体」(講談社)を読みました。小気味良い論評で、ゲーテの言葉を随所にちりばめ、日本の政治、経済、文化を根こそぎだめにしている元凶について鋭く説明しています。

B層は二流の意味。具体的には「民主党のマニフェストには騙された」といっているような権威・マスメディアを根拠もなく信じる人たちです。権威が大好きな一方で、権威をけなすのも大好きな人たちです。また理念やイデオロギーが大好きで、何かと「民主主義」を前面に出してきます。三権分立や官僚機構など、民主主義のリスクを回避するための人類の知恵を嫌います。集団の代表や役員を選ぶ時も理性的で知的な人を代表として送り、その人に「託す」事をしたがらず、くじ引きや順番制にしたがる傾向があります。

ゲーテは自由・平等・博愛を掲げたフランス革命については吐き気しか催さなかったそうです。ジャコバン派のロベスピエールが中心となってフランス革命は進みましたが、実態は野蛮で凄惨な恐怖政治。改革や革命好きの今の日本も怖いと思います。

内容については実際に読んでいただくとして、ひとこと。B層は手のわざがないからA層(一流の人)から与えられた理論、イデオロギーを信仰します。ゲーテは「理念をもっと少なくして、実践をもっと重んじなければならない」といったとか。障害者福祉についていえば、支援者としての手技をみがく事が現状の問題を解決する唯一の道です。そしてその手技(行動)は、実際に生活に寄り添ったものからしか受け継ぐ事ができません。地域福祉の理念や理論が先にあるわけではないのです。

暑い夏が続きますが、本書は一服の清涼剤となりました。

レジデンス日進の「協力金」の使い道について

レジデンス日進は完全個室でなる10人(ショートステイ用に予備室が7室ある)ユニットが4つ集まったユニットケアを行っています。各ユニットには食堂、居間、トイレ、風呂を備えています。桐材と腰壁にはふんだんに桐を使い、珪藻土を厚く塗った天井と壁、外断熱の役割を果たす煉瓦とあいまって冬暖かく、夏涼しい快適な空間となっています。それだけではなく、利用者や家族が全体が集まることができる食堂や地域の人々との交流を目的としたホールも備えています。仕事をする空間も居室とは別に施設内外に備えていて、職住分離ができている上に、職住が離れすぎてもいない便利な住まいとなっています。

各ユニットはそれぞれ完全に分離しているため、実質的にグループホームが4つ集まった集合グループホームといっていいと思います。日本でもおそらく屈指の快適さを誇ります。もちろんいろいろな問題点はありますが、通常の入所施設と比べ進んだ「住まい」だと思います。ただ、現状では人件費が多くかかることは否めません。運営は非常に厳しいものがあります。

2010年度の名東福祉会の決算報告書からレジデンス日進の数字を拾います。レジデンス日進の総収入は181,678千円。一方、総支出が179,089千円となっていて、一見黒字ですが、よくみると、利用者の家族から、運営協力金(寄付金)を12,254千円いただいています。寄付金を除く収入は169,424千円で、もし協力金をいただけなければ、年間9,665千円の赤字になっていたわけです。支出の内訳は、
1 人件費 132,629千円
2 事務費 18,883千円
3 事業費  26,564千円
4 利息支払 1,011千円
でした。人件費が74%! 一般企業ならとっくに倒産。社会福祉法人の施設でも50%~60%が適正ですから、レジデンス日進の人件費の高さは極めて問題といえます。ただ、通常の施設よりも人員が多いのはユニットケアだからです。職員は24時間体制で勤務しなければなりません。職員数は所長を含め42名配置されていて、管理職や社会保険も含めた人件費を単純に割り出すとひとりあたり3,157千円となります。安いです。直接処遇職員だけならばもっと安くなります。

これ以上人件費を安くすることは社会通念上問題がありますから、収入を増やすしかありません。支援費の収入を増やすためには、定員の増員しか手がありません。ただ、そうすれば個室ではなくなり、グループホームとはいえない、いまや解体を余儀なくされているただの入所施設になります。

協力金の使い道は赤字の解消と将来に備えた積立です。現在、文字通り利用者のご家族のご協力によって運営がなりたっているわけです。いただいた12,254千円のうち、9,665千円が赤字を埋めるために使用され、残り2,589千円が将来の修繕のため、施設に積み立てられています。

これまでの文章と数字を見て、懸命な方はお気づきだと思いますが、もしレジデンス日進がそのままグループホームであれば利用者は協力金ではなく「家賃」を払うことになります。そうなると協力金というようなあいまいな収入ではなく、契約に基づく家賃収入として計上されますから、なんら赤字ではなくなります。実際のところ、レジデンス日進はグループホームと変わりません。むしろ通常のグループホームよりも高機能な設備を持っている未来のグループホームです。また協力金を払わなければ、名東福祉会の他のグループホームとの格差も生じてしまいます。協力金には積極的に協力する姿勢が家族としては絶対に必要であると思います。(これは理事長としてではなく両者家族の立場からの発言ですが)

将来、レジデンス日進はグループホームに転換する予定です。その際は「協力金」の名称はなくなり普通の「家賃」になるはずです。それよりも、国は今すぐこのようにがんばっている「施設」に対して支援費単価を上げる事が必要だと思います。地域福祉の促進のためのインセンティブになると思うのですがいかがでしょうか。

参議院内閣委員会での障害者基本法に関する質問

平成23年7月28日、参議院内閣委員会で自由民主党の衛藤晟一氏が質問を行っています。
冒頭、あさみどりの島崎春樹先生(名古屋のある有名な福祉をやっている方とは島崎先生の事です)との対談が紹介され、障害者福祉が1981年の国際障害者年以来、「ともに生きる社会」を目指してきた事を指摘されています。

質問の趣旨は
1 これまで障害者問題は議員立法で法律を作ってきた(いいかえれば超党派で立法してきた)が今回は政府として法律が提出された。
2 社会資源が大幅に不足している状況の中でいきなり人権条約が出てきたのは違和感がある。
3 身体障害に重点が置かれすぎていて、知的障害、発達障害、精神障害については弱いのではないか。
という三点です。

人権を擁護する事は大切です。世界的な潮流でもあります。でも、現在の日本の障害者福祉は、重症心身の施設が極端に不足しますし、精神障害は福祉施設で受け入れる体制が極めて不十分なまま請け負わされています。さらに、発達障害の療育についてはまだ方法論が確立していません。そのような状況の中で、真摯に取り組んでいる福祉サービスの事業者に対して、人権侵害のチェックだけを厳しくしていく事は、福祉サービスの仕事をより困難にさせたり、新しいサービスを創造していく事にちゅうちょしたりするような効果があるように思えてなりません。人権が独り歩きしていけば、「とも生きる」事について潜在的に憶病になり、ひいては障害者と健常者がばらばらにされてしまうということにもつながりかねません。

もちろん「ともに暮らす社会」は簡単に実現できる理念ではありません。目を覆うような人権侵害の事例も後を絶たないという事もあります。考えてみれば、日本の政治は、平成に入って徹底的に「家族」や「地域」が壊されてきました。状況は難しいと思います。でも、障害者基本法は理念法。私たち日本人が日本人らしく「和(なごみ)」の世界で支えあう事ができるための法律は何かを議員の方々には議論していだたきたいと思う次第です。

ホームページの冒頭に、衛藤晟一氏の質問ビデオをアップしておきます。

決算報告

決算報告
2011年5月25日、141回理事会において、平成22年度名東福祉会決算が承認されました。

事業活動の収入は538,380,739円(前年度497,005,487円)となり8.3%増加しました。増加の要因は主に寄付金です。名東福祉会では平成23年度中のケアホームの建設を予定しており、この建設資金に対して35,000,000円の寄付がありました。各施設に対する寄付も含めた寄付金総額は60,143,300円(前年度22,736,600円)で264.5%の増加となりました。

昨年度は自立支援法の改訂があり、施設利用の自己負担分は29,736,720円(前年度36,092,733円)で17.6%減少しました。それを補う形で補助金が増加しましたが、寄付金を除く収入としては478,237,439円(前年度474,268,887円)で0.8%増の微増に留まりました。利用者の自己負担は主に給食費の負担分でした。
一方、事業活動支出は474,747,616円(前年度462,234,621円)で2.7%増加しています。

その結果、収支の差額は63,633,123円(前年度34,770,866円)となりました。建物の減価償却費があるため、寄付金を除く事業収支でみると3,489,823円(前年度12,034,266円)と繰越金は減少(71.0%減少)しています。

事業支出のうち最大の項目は人件費です。平成23年4月1日現在の常勤換算前の職員数は嘱託医を除き89名です。この職員で213名の障害がある方々の介護を行っています。平成23年度人件費は法人全体で336,960,042円(前年度325,699,394円)で3.5%の増加となっています。一人当たりの単純人件費は3,786,000円ですから、極めて低い水準にとどまっている事は否めません。

寄付金のうち、施設建設資金として寄付があった42,586,402円をケアホーム建設のための預金に積立ました。

今年は年度がわりのタイミングで3.11の大震災があり、多くの国民が被災されました。特に、高齢者の方や障害がある方の中で犠牲になられた方が多かったといいます。今後、名東福祉会としては、いつか起こる東南海地震に備え、建物の強化や備蓄、防災訓練など災害対策を強化する必要性が強く認識されました。理事会においても今後の災害の準備の必要性が指摘されました。

来年度は新体系への移行のタイムリミットを迎えます。利用者のニーズを分析し、より安定的でニーズに沿った質の高い運営ができる体制を目指し、効率的な経営を目指して事業を再編していく必要があると思います。

詳しい決算内容については事業報告書の形で会員の方に配布いたします。また事業報告書の印刷前であっても財務諸表の詳細をお求めの方は法人本部にお申し込みください。コピーを配布させていただきます。

戦略の見直し

3.11以降、「地域福祉戦略」を大幅に見直す必要が出てきたのではないかと思います。

一般に、戦略を考えるときには、国際要因、国内要因、時代精神の3つについて考えなければならない、といわれています。
国際的には原子力によるエネルギー政策がとん挫したため、今後、経済が停滞し、化石燃料が高騰し、輸送コストが上昇し食料品をはじめとするインフレが進むだろうと思います。国内的にみても、原子力発電による30%のエネルギーの代替方法に関する議論が始まったとはいえ、実際に効力を発揮するのはまだまだ先の話です。これから日本経済が復活するためには数多くの障壁を乗り越えていかなければなりません。

福祉は単独では産業として成り立ちません。物資はもちろんのこと、国内の様々なインフラの整備や移動手段、情報手段、輸送手段など経済活動の「余禄」があって初めて良質な福祉システムが実現できます。まずは日本の復興がなされなければ、障害者福祉の復興もあり得ません。

おそらく、多くの困難があっても私たちの国である日本は必ず復活すると思います。これまでも何度も何度も国難を乗り越えてきた民族であるからです。

問題は時代精神の変化です。
これまでわが国はの福祉は、「時代精神」として分散型のケアを目指してきました。介護の場が一か所に集中していれば何か悪いことをしているかのような雰囲気がありました。ケアの場所が単に分散していることを地域福祉と言い切る専門家もいたりしました。ところが、3.11によって分散型の福祉の脆弱さが明らかになってしまいます。今回亡くなられた方の大半があまり動けないお年寄りや障害がある方だった事は極めて重いと思います。
災害時の救出と避難生活の維持を考えれば、現実的な障害者福祉ケアの在り方としては
・施設を安全な場に設置する
・地震があってもびくともしない頑丈な建物を建てる
・災害に備えて十分な備蓄をする
という事が大切だと思います。支援者である職員の安全も確保しなければ誰がどのように救助するのかさえわからないという事が今回の震災で明らかになりました。
もともと安全と安心を確保することと地域福祉は対立する概念ではありません。「本人の意思を尊重した質の高い安心生活」こそが福祉の目指す方向なのだと思います。それを実現するための戦略を「地域福祉」とするならば、時代精神に合わせてその戦略そのものを見直し、より適切な標語に切り替えていくべきではないだろうかとさえ思います。

東南海地震の発生確率は今後30年の間に70%。しかも今回の震災でその発生確率は大きくなっているといいます。その備えこそ急務です。

名東福祉会後援会の意義

名東福祉会の後援会は昭和57年の設立の直後にスタートしています。年会費は3000円。施設の活動を広く地域に広報するために機関誌WORKSを毎月発行していました。

最初は故奈々枝会長の知人を中心に、無料でWORKSを送付していたのですが、内容を読んだ多くの読者から
「こういう障害者の問題を教えていただいてなおかつ郵送費で負担をかけるのは申し訳ない。購読料を払わせてください。」
というありがたい声をいただきました。そこで実費を助けていただくという意味合いで賛助会費の設定が行われたのが後援会発足のきっかけでした。

名東福祉会の後援会の設立趣旨は今でも生きています。その目的は、地域の人たちや地域外の志を同じくした人たちに、名東福祉会の活動をご報告する事にあります。またWORKSの送付を通じていろいろな授産製品が地域に紹介され、製品の販売を後押しするという販売促進資料の役割も果たしたと思います。

現在、名東福祉会の後援会は「施設利用者の会費」と「一般の人たちの会費」の2本立てとなっています。
これは施設を利用していただいている方が少しでも名東福祉会の運営に役立てばと、自主的に一般の人よりも多い会費を設定していただいたことがきっかけでした。もちろんたいへんありがたい話ではありますが、自立支援法が施行された今、施設利用者については支援費報酬の有形無形の自己負担があります。この際、後援会の設立の趣旨に立ち返り、施設利用者の後援会費徴収は廃止すべきだと思います。

もちろん利用者の生活の質の向上や施設の修繕、新しい施設建設に備えて寄付が必要な事はいうまでもありません。ただ、社会福祉法人への寄付は税制上の優遇措置もありますから、寄付は名東福祉会へ直接寄付する事が望ましいと思います。名東福祉会は寄付者ひとりひとりの意向に従い寄付金を使う義務があり、費用弁済した過程を財務諸表の形で公表しています。寄付金は収受の過程から会計への受け入れ、費用の執行に至るまで公的機関の監査を受けます。社会福祉法人への寄付行為によって寄付者の税金が控除される以上、公的機関から受払の厳密さが求められるのは当然です。

障害がある方の生活の質の向上は、地域の人々との協働なしには成り立ちません。後援会は地域との大きな窓口であり、地域福祉を推進するエンジンです。ここは本来の後援会設立の趣旨に従い後援会活動を見直していくべきでしょう。

第一に、研鑽の場として機能する事です。施設利用者の家族もできる限り参加する形で地域の人々が交流し、ともに学ぶ場に成長していくきっかけとしたいものです。

第二に広報機能の強化です。現在ではインターネットがあります。今でもWORKSのような印刷物が必要な事はいうまでもありませんが、名東福祉会のホームページについても今後、より機能を強化し、授産製品の注文や配送機能を搭載したり、読者との双方向のコミュニケーションを強めるなど、より見やすく楽しいHPに変えていく必要があります。

第三に、後援会が持つ事業的な要素の強化です。現在でもバザーを実施して収益を得ています。これらの活動をより強化するための企画室として役割を果たしていく事が求められていると思います。

障害者福祉はマラソンランナーです。地味で具体的な行動を通じてしか地域との交流は成り立ちません。急いではだめですし、ゴールを目指した粘り強いがんばりが必要です。

経営資源

社会福祉、とりわけ障害者福祉にとって最も重要な資源は、人、モノ、カネのうちどれでしょう。みなさんはこのうちどれを選べと言われても、どれもしっくりしないのではないでしょうか。

私は、実践経験=ノウハウだと思います。もっといえば、ひとりひとりの生活状況において、人と場に即した適切な支援プログラムを選択し提供するノウハウ(暗黙知と形式知)こそが社会福祉の組織にとって最も重要な経営資源だと思います。

障害がある人には、それぞれ障害を克服してきた歴史があります。また支援者の側にもそれまでに支援が実った歴史、失敗した歴史、いいかえれば学習経験があります。ノウハウは障害がある人と、支援を提供する組織や地域の学習経験の集積とも言い換える事ができます。従って、生活相談にしても、現場経験のない理論だけの相談支援では喜んでもらえる事は難しいかもしれません。

ただ、ノウハウはそれまでに経験した時間や人間の数ではないと思います。歴史の長い法人や規模の大きな法人が有利とは限りません。問題はその質です。たったひとりの支援経験や、短い支援経験でも、それが地域の住民の課題に対する姿勢や社会福祉制度を変えるだけのパワーを持つ事もあり得ます。

名東福祉会の実践においては、これまでに私たちが問題を克服してきた経験を振り返って尊重し、ノウハウを共有化し、持っているものはそれを伝達し、若い人はそこに新たなアイディアを加えてノウハウを常に改良していく事が肝要と思います。

自助 互助 絆

奈々枝会長の思い出話のひとつに、終戦直後の大阪における武田薬品工業での研究助手生活があります。研究助手と言っても、看護師として、ただ言われるままに薬品の合成や実験のお手伝いをする存在だったようです。

そんな見習い生活ではあっても、若い時の体験は恐ろしいもので、その後、終生会長の生き方に影響を与えたのではないかと思います。苦しい局面にでくわすと、
「成せばなる、なさねばならぬ何事も・・・」
と言ったり、また何事かを人様に教えなければならないときは
「してみせて言って聞かせてさせてみる」
と実践してみたり。

これは明らかに武田信玄の言葉。武田家の当主を戴く当時の武田薬品の中枢部の仕事場では、社員が互いを励まし、後進に技術を伝える度に普通に話されていた言葉だったと思います。武田信玄の言葉は上杉鷹山に引用され、新渡戸稲造の「武士道」によって米国大統領のルーズベルトの行動にも影響を与えたとか。

武田の強みは絆。わが郷土の英傑信長に敗れはしましたが、武田武士の絆の強さや自助や互助の精神は日本の武士道の原型ともいえます。

今、私たち日本人は大震災、津波、原発の3つの危機に見舞われました。それでも被災された人々や救助に向かう人々は、雄々しく自助、互助の精神、地域の絆の強さを発揮して再び立ち上がろうとしています。それが世界から称賛を得ています。

名東福祉会も、自助、互助の精神を発揮し、地域との<絆>を深め、会長の遺訓に応える時だと思います。

東日本大震災

戦後最大の震災がありました。M9.0は世界でも4番目の大きさだったそうです。

救援が始まりましたが、被災地の方は依然として厳しい状況に置かれています。また福島第一原子力発電所の事故はまだ安定した状態にはなっていません。一刻も早く復興体制が整い、安全が確保される事を願うばかりです。

今日(16日)の段階で死者・行方不明者は11000人を超えています。また避難生活を強いられている人は45万人にも上るといいます。その中でこれまでに自衛隊や消防の方々が救助した人の数は2万5千人以上となったそうです。危険を顧みず救助に向かう人たちの存在は、ほんとうにありがたく思います。

日ごろあまり見ないテレビですが、現地からの映像を見ますと、被災地の方が、少ない物資を分け合い、お年寄りや子供たちをいたわり、助け合いながら生きている姿を見ますと同じ日本人として深い感銘を受けます。横浜や東京では昨日より計画停電が始まりましたが、みなさん「東北の人たちを助けるため」と冷静に対応しています。

愛知の名東福祉会としても、自分たちが今できる事は何か、これからすべき事は何かを真剣に考えたいと思います。こうした時は、会の団結を深め、内部の改善に努めるとともに、これから起こってくるだろう様々な問題に、ひとつひとつ丁寧に対処していきたいと思います。会員の皆様方にはご協力をお願いいたします。

ネットワーク型

知的障害者の人たちの支援を本人の夢に沿う形で行うならば、網の目のように張り巡らされた支援者の関係をもって支援するしかありません。

これまで福祉システムの経営論を考えるとき、ひとつの考え方としてトップダウンかボトムアップかといった、やや表層的なgironn
が行われることがありました。現代の福祉システムで最も求められているのは、そのどちらでもなくネットワーク型です。トップダウン、ボトムアップは所詮組織の枠内から外に出ていない議論であるためです。

福祉施設は自己完結していてはなりません。さまざまな人たちが様々な夢を持ち、様々な考え方の元に、色とりどりの生き方を求めています。ひとりひとりの夢に合わせて支援を行おうとするならば、多様な支援システムの長所や短所を認め合った上で協働するしかありません。その意味では知的障害者にかかわりのある親、教師、福祉施設職員、企業の指導員、専門家の人たちの出会いが大切です。

インターネットはもともと国防のシステムとして生まれました。ひとつの情報伝達ルートが破壊されてもいろいろなルートで通信を維持する事ができる網(ネットワーク)を構築すれば、破壊に耐えるという発想から生まれました。ちょうど同じ事が福祉システムにもいえます。単独の福祉システムが提供する支援は脆くて危うい。
私たちは、支援のネットワークを、生活の場に細かく張り巡らされたネットワークから、地域レベル、県レベル、国レベルに広げていく事が必要です。もちろん国がしっかりとした福祉の方向性、あるいは国の形を描いていないとネットワークの構築のしようがありませんが。

住まいの政策

福祉は、もちろん、目の前の当事者のために今できる事は何かを追求する仕事ですが、将来の安心も考えなければと思います。人間には未来があります。私の兄はもう60歳を超えていますが、
「大きくなったら○になりたい」
といいます。彼には確かに「未来」という時間があり、そこを見て生きています。ところが、今の政治家からは、将来が不安になるような言葉が次々と吐き出されてくると思いますがどうでしょうか。

あなたは、次の言葉は正しいと思いますか?
・外国人の介護人が入ってくれば、介護の担い手に困らなくなり、将来の不安がなくなります。
・税を下げると、市場が活性化され、失業中のお父さんの仕事が仕事に就く事ができます。
・高速道路で人が自由に移動できるようになると、新しい出会いが増えて地域の絆が深まります。
・公営や社会福祉法人営の住居を減らせば、障害がある人や高齢者の人は自由に住居を選べるようになります。
上記のスローガンは嘘がばれやすいように、わざと下手に書きました。でも、ここ20年くらい、政治は本質的には上記のような嘘を言葉巧みに私たちに浸透させてきたのではないでしょうか。最近のTPP議論が典型的なものです。

障害がある人の生活のうち、もっとも基本的な問題は「住まい」の問題だと思います。住まいは、単に家がぽつんとあるだけではなく、ご近所の人たちを含めた場の一部とみなされます。あまり人が動いてまわりの人が知らない人ばかりになると、障害がある人にとっては生活の質が下がります。

名東福祉会も障害がある人の仕事として、食品を扱っていますが、外国から入ってくる食量よりは多少高いかもしれないけれども、安全でおいしいお菓子やお米をいつも買ってくれる人がご近所さんだったらいいのにと思います。

障害者の住宅政策を行ってほしいと思います。
名東福祉会のケアホームは広いと言われていますが、カナダやアメリカのグループホームは個室を超えて、個人に複数の部屋が割り当てられていてとても広いです。名東福祉会のホームページに掲載してあるデンマークのホームはとてもとても広いものでした。日本でも、もっと公営や社会福祉法人やNPO立のケアホームに力を入れてくれるといいのにと思います。そうすれば、経済ももっと元気がでるでしょうに。

これまで、橋や道路、公共事業をずっと悪者扱いしてきましたが、本当でしょうか。例えば生活圏の道路を整備する事は、一般の人たちが自然に話をする機会を増やし、子どもや老人や障害がある人たちが楽しく安心して生活することに繋がります。ほんとうはまだまだ道路が足りないのではないか、と思います。

住まいを基本とした福祉政策をじっくり語る事ができる政治をお願いします。

地域福祉は主体的な参加によって実現される

先日名東福祉会の家族会主催でシンポジウムが行われました。コーディネーターは地域生活支援センターの小島所長、シンポジストは各現場の所長たちということで、たいへん有意義なシンポジウムとなり良かったと思います。家族会が参加して福祉目標について研鑽を深める事ほど地域福祉にとって重要な事はありません。

生活の質(QOL)を高める事が最も基本的かつ重要な福祉目標です。ところが生活の質はとらえる事がたいへん難しい概念でもあります。

生活の質は本人の行動だけではなく、生活にかかわる人たちの行動や法律、政策によっても影響をうけます。さらに本人が働いている職場や施設など組織の行動にも影響を受けます。近年、本人の生活の質を調査する場合には、できるだけ本人とかかわりのある人たちが参加して情報を得ることが望ましいとされるようになりました。障害者福祉の現場ではそれだけにとどまらず、家族会や地域の社会資源のスタッフも参加して本人の生活の質を考える事が必要であるとされています。

名東福祉会では、伝統的に「家族と職員が協働して本人の生活を考える」という事を大切にしてきました。家族が施設の目標設定に参加する事は、目標が広がり、何を実現すべきなのか多様になりすぎて経営が難しくなる恐れもあります。

もちろんいちばんよくないのは家族や職員の参加がない状況で経営方針が決定される事ですが、参加者の意見が広がり、優先順位が決められずにリストアップされた問題点が全て目標となってしまう事も経営に害を及ぼします。

本人のQOL向上について、よくよく話を突き詰め、予算や資源の状況に関して相互に理解を深めていくと、自然に今やるべき重要事項が絞られ、優先順位が決まってくるという事があります。名東福祉会の30年の実践がその事をよく語っていると思います。

ここで家族会活動のプロセスのあるべき姿について簡単に述べておきます。
1 家族会による生活の質向上のための運動の高まり
2 家族が掲げたニーズ(QOL)は現場の問題と関係があるのかを調査・選択
3 何を優先させるべきなのかを専門家を交え、委員会・理事会で対話検討
4 理事会・評議員会による計画の立案と決定
5 福祉サービスの実行開始と社会資源の横断的調整
6 新しい福祉活動の開始
7 本人のQOLの変化の測定
8 新しいニーズの出現と問題の意識化
9 より多くの参加者によるニーズ調査
10 資源開発のための家族会活動の拡大

もちろん、今では歴史が長い法人になってしまった名東福祉会の場合であっても、まだまだ各プロセスがスムーズに運用されているわけではありません。改善すべき点は多々あります。

これから、家族会と職員が、ますます協働してこのプロセスのひとつひとつをより洗練されたものにしていく事が必要です。それによって本人のQOLを改善していきたいと考えています。

平成の開国?

アメリカの圧力で始まったTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)は民主党の「平成の開国か鎖国か」を争う選挙となるかもしれません。これは小泉構造改革のときの郵政民営化選挙を思い出させます。

・金融の解放
・弁護士の拡大
・サービス分野のいっそうの開放

要するに、日本の高齢者が保有している金融資産をいかに奪取するのかを目的とした動きに思えます。日本がTPPに加盟しても、アメリカはドル安に誘導しますから加盟しても輸入は増えません。中国が加盟しないのは素人目に見てもおかしな話です。なおいっそう「じじばば店」が消え、「シャッター通り」が増えていくのだと思います。そうなれば小さな町の小さなお店でみんなが集まる場という障害者の就労支援の典型的なモデル店も夢のまた夢。

サービス分野の開放は何を意味しているのでしょうか。現在規制がかけられているサービスといえば、
・医療
・福祉
に違いありません。特に福祉分野に国際的な垣根をなくしていく事が重大なインパクトを与えるはずです。外国の労働者が福祉分野で働けるようにする事は以前から何度も挑戦されています。今回のTPPは明らかに農業分野に特化された議論が展開されていますが、本当はサービス分野の規制緩和が目的ではないかと思います。「開国か鎖国か」といったあまりにも感情的な議論ではなく、もっと慎重で客観的な議論が必要だと思います。

もし安易に「開国」されれば、「平成の開国」は時を経て障害者福祉分野のサービスの在り方に影響を与えていくでしょう。障害者自立支援法の改正もその意義も吹っ飛ぶ話です。誰か止めてくれる人はいないのでしょうか。

もちろん障害者福祉分野にもある程度競争は必要だと思います。でも競争には土俵の公正さが必要ですし、競争相手との格差がありすぎても競争になりません。幕内力士と幕下力士が相撲をとならないように。高齢者福祉と障害者福祉は大きな格差があり、障害者福祉の中でも知的障害者の福祉はいつも厳しい状況に置かれています。

遅まきながら明けましておめでとうございます

今日の福祉情勢は「寒中の日だまり」のような日々です。アメリカと経団連の圧力で、昨年末に突然降って湧いてきたTPPのように、長期間にわたるデフレ政策がまたまた採られようとしています。デフレになると
・物価が下がるので障害がある人の生活は割と楽になる
・施設は当面の人件費が上がらないのでなんとか経営を維持することができる
・土地代が下がるので場所を確保しやすくなる
など、障害者福祉にとっては寒空の下、日だまりの中に佇むことができるような状況があるため、福祉関係のみなさんがあまり政治に対する怒りが湧いてこないという問題があります。でもこのままでは障害がある人も支える人も先が見えない不安のある日々を過ごさなければならない事になります。

障害者福祉が目指すべき道は、
1 障害があっても一般の職場で働く
2 生活はいつでもどこでも福祉サポートを利用できる
というのが理想です。そうした役割の分担を容易にするため、家庭と働く場と生活の場を統合的につなぎ、高い技術力を持った
3 個人の生活史を通した教育福祉機関
が必要です。現在の政策を続けていると企業が弱くなり障害がある人が働く場がありません。障害がある人の生活力が低下するため福祉サポートには利益が出ません。その上に成り立つ教育福祉機関の充実もありません。

そうした長年にわたる福祉不況の中、名東福祉会は、新しい時代にふさわしい新しい入所施設づくりにとりくんできました。これからもケアホームをつくり生活の場の充実に努めていきます。

就労の場については就労支援をベースとしつつ、農作物や食品、飲食店経営や企業連携など、地域の中でしっかりと根付いた活動に力を入れていきたいと考えています。

そして最悪の環境の中ではありますが、児童の行動療育と成人の相談事業を通じて教育福祉に力を入れていきます。この分野は制度が変わったからといってすぐに対応できるものではないため、今から力をいれていかなければなりません。

今は厳しい時代ですが、これに耐え、研鑽の努力を惜しまず、時代が変わった時に一気に羽ばたけるよう力を蓄えていきたいと考えています。

本人と家族の相互関係の支援

インターネットサイトで障害者関連の論文を読んでいると、自己決定に関する論調の変化に気づかされます。昨日も、本人と家族の相互関係に対する支援について記述された論文が目に止まりました。その論文は、現在、世界的な潮流となっている「本人を中心とする支援計画」から、「本人と家族の相互関係を中心とした支援計画」へ移行することが必要である事を指摘した論文でした。インターネット時代は日本だけではなく、海外の論文も購読することができるのでたいへん便利です。

1980年代の半ばで、世界的に「本人中心の支援」というパラダイムチェンジが起こりました。1980年代は、ノーマライゼーションの理念が広がり、一般的な生活への統合が一応完了した時代です。そのような地域生活でより重要となったのは、生活の質(QOL)でした。単に形の上で施設を小さくして施設から地域生活に移行しても、ノーマライズという課題が解決しない。本人が望む生活をしなければだめだということになり、自己決定が非常に重要視されるようになりました。

ところが、自己決定を重視し、本人を中心において支援していけばいくほど、家族、友人、職場の人々、支援者など、本人をとりまく人たちの支援が必要になってくる事がわかります。生活の場面で人が人とかかわる場面では、常に言語行動が発生します。うろうろしたり、何かしてほしいという身ぶりをしたり、表情をゆがめたり、奇声を発したり、果ては暴力に訴えたり・・・ありとあらゆるチャレンジングな行動が「要求」という言語機能を内在した言語行動といえますし、そのような行動に対して次々とまわりの人たちの行動が広がります。それらが全て本人のQOLに影響を与えていきます。

本人中心の支援計画を立案するといっても、実際には、本人と生活を共にしているまわりの人たちや地域や行政に対する支援や働きかけを考慮することです。特定の課題は本人とまわりの人たちの共同の課題である事がほとんどだからです。紹介した論文はアメリカのものですが、「生活の課題はお箸を使うようなものである。本人だけではスパゲッティをつまむ事ができない」という表現がほほーアメリカでもお箸ですかと思い、ちょっと笑えましたが。

現在のように、支援計画を立案する際に、「本人中心の支援計画」といいすぎると、支援が空虚なものになりかねません。もちろん、日本では、地域福祉の理念が家族中心の支援計画からやっと本人中心の支援計画に移行したばかりであるという事もあります。「本人と家族の相互関係を中心とする支援」という理念はひょっとするとトーンダウンしてしまうのではないかという危惧が専門家の間にあるのかもしれませせん。しかし、この論文でみられるような「本人とそのまわりの生活者に対する支援計画」という論点で支援計画を立案するセンスがあれば、より実際的な支援システムを構築する助けとなる可能性があります。知的障害者の支援に関する研修においても、本人と支援者あるいは本人と家族の関係に対して、第三者がどのようにアプローチすべきなのかについての研修や研究が望まれていると思われます。

本人が生活する場に対する支援という概念を、そろそろ日本でも醸成しなければ先に進めないのではないかと思います。

人に喜んでいただくことは人生をゆたかにする

障害者自立心法は、小泉構造改革の影響で、福祉予算の削減のための法律に変質してしまいました。しかし、その原理は、もともとヨーロッパ発の雇用政策の潮流に乗っかろうとした法律です。イギリスの「支援付き雇用ワークブック」(2002)という本に「就労支援の原理」がありますのでそれを紹介してみましょう。

支援付き雇用(Supported Employment)の原理は
1)自己決定
2)相談者中心 提供できるサービスから見た計画ではなく、相談者の目標や希望や技能を中心に計画しよう
3)一般的社会での普通の経験、家族、友達、知人、仕事、経験をめざそう
4)自立をめざす
5)仕事をしたいと願っている人はみんな能力に応じて働く事ができる
6)失敗することや友達づくりや技能の向上は働く場でしか学べない

とあります。悪名高き「障害者自立支援法」ですが、その原理はこうした考え方を踏襲していると思います。この「就労支援の原理」はもちろん施設の活動にも適応されます。

WehmanとKregelは「働く事(work)は個人のQOLを定義するとき、中心的な役割を果たし、人生経験そのものである」(1998)と述べました。ここで彼らは就労(employment)という言葉を使っていません。より広い意味のworkという言葉を使っています。働くという字も人のために動くという意味です。施設であろうと企業であろうと、「人に喜んでもらう事は人生をゆたかにする」という原理で人は動いています。尊厳や自己決定は、働く事を中心とした人生において実現するのだと思います。働く事がQOLを決定するという考え方はユニバーサルです。

収益を上げなければ働く事にならないというわけではありません。お金儲けは難しく、お金を儲けようとすればするほどかえって人に喜ばれるということができず、案外儲からないという結果になったりします。逆に、お金儲けを目指すのではなく、人に喜ばれることを目指していたら儲かってしまったと、多くの事業家はいいますよね。

ものが売れない時代に人に喜んでいただくためには・・・難しいですが、やっぱり食べ物に携わっていく事はまず重要ですよね。食べる事以外にも「人に喜んでいただくこと」はたくさんあるはずです。そうした原理に基づいた実践の成功例をみんなで共有することが、より人に喜ばれる支援システムをつくります。

今回も小島さんのブログを受けて、障害者自立支援法における就労支援の原理について触れさせていただきました。

やりとりの深化をめざす

自己決定の権利はヴォルフエンスバーガー(1980年代)の時代からある考え方で、ノーマライゼーションの究極の概念でした。このころは最終的な目的が「脱施設」とか、「統合教育」というような形の上で「普通」が求められていました。本質的には個人の自由を保障する権利の問題となります。

そのころ、「普通の時間にお風呂に入る」とか「個室が普通」とか「3食が普通だ」とかいうように、「一般的な生活習慣」を福祉実践へ導入する事がノーマライゼーション実践として重要視されました。1990~2000年ごろの話だったように思います。もちろん、今も知的障害者の福祉施設では継続されています。

しかし、「普通化」という実践は、もちろんそれだけでは物足りなくなり、行き詰まりを見せました。アメリカでは、その後、Quality of Life(QOL)の原理へ移行します。「いくら形が普通でも利用者本人が不満があったらだめでしょ。満足を追求しなければ」ということになりました。日本では「グループホームをつくったはいいけれども、中身は小さな入所施設じゃないか」というような形にやや囚われた批判が続きます。

ところがQOLの概念が登場すると、本人の意思確認よりも「本人の満足」が課題となります。これは、「個人の自由とか人権」といった概念や知的障害者本人が政策提言したり、知的障害者福祉協会や育成会で本人部会ができるといった自己決定実践報告ともからみあってやや過激に深化していきました。

ただ、現場においては重度の知的障害者が多く、ましてや福祉施設における満足にとどまったため、「自己決定」を支援するだけでは必ずしもQOLの向上につながるとは限らないという問題が生じたと思います。「食べすぎちゃってもそれは自己決定」とか「他害行為や自傷行為をする事もそれは自己決定か」というように迷路に入り込んだりしました。所詮、施設の中で限定的に満足を充足しても、地域社会とのつながりの中で満足が実践されなければままごと的な
議論に終わってしまうという問題が露呈してきます。

そしてその議論は成年後見などとも絡んでいかにもややこしい議論を続けています。そもそも自己決定できない人の自己決定支援ですから言葉自体がパラドックスを抱えて現在に至ります。

どうもノーマライゼーションという教室の「個人主義」というホワイトボードの上で、権利という概念を横軸にして、自己決定を立て軸にして福祉実践をすると、現場は混乱するばかりで最後には「机上の空論」の議論に陥ってしまいがちなのではないかというのが僕の感想です。「権利」と「権利擁護」は違うというご質問もこうした前提の上で展開された図表の上でいくらでも違いを論じることができます。でもノーマライゼーション教室の外にいた人は
「どうでもいいんじゃね」
となりかねません。

そこに昨今のように、「行き過ぎた戦後個人主義やポピュリズムが福祉を拡大し、国をだめにしているんだ」という議論がからんでくると自己決定はいったい何の話をしていたんだっけということになり、現場はどうすればいいのかわからなくなってしまうわけです。

ここで、私たちの福祉現場の理念を、自己決定(self determination)支援や自己権利擁護(self advocacy)という外国からの借り物の概念ではなくて、「家族や共同体のなかでのやりとりの深化」という目標にする必要があるように感じています。これはもともと我が国で伝統的に実践されてきた「和」の福祉概念でもあるように思います。

知的障害者の言語訓練や就労現場での訓練や生活の質の向上を目指したあたりまえの実践が、これまでの権利とか自己決定とか権利擁護とか自己決定ができない人のための成年後見とか、ややこしい議論を回避することができます。しかもその瞬間から、目の前にいる人とともに「生活の質の向上」に向けた実践につなげる事ができるのではないかと思うのです。もともと障害は社会的なものですし、本人が抱える課題としての側面もあります。教育と福祉の融合というとちょっと大げさですか?

コミュニケーション行動の場合、本人の訓練だけではおさまらず、必然的にまわりの人たちの変化も要求しますから、結果としてまわりも変わらなければならないし、まわりが変わる事によって本人も変わる。やりとりは行動的ですし、やりとりの深化や、そのための支援であれば、家族や共同体や国をつなげる概念とも統合することができ、これからの福祉実践に組み入れていくこともできるのではないかということで、

「自己決定を権利擁護の文脈でとらえるのではなくて、本人とまわりの人とのやりとりの深まりという文脈でとらえる必要があります。この例のように。」とコメントさせていただきました。言葉足らずで、どうも。

生活圏での意思決定

地域の実情にあった意思決定の問題は知的障害者にとって決定的に重要な問題です。この場合、地域ってどこの事なのかをはっきりとさせていかなければならないなと感じています。僕にとって、地域の実情というのはいわゆる「地域主権」の地域とは違って、当事者の生活圏といった小さな地域です。生活圏というのは本人が移動できる範囲ということです。

名東福祉会の場合、名古屋市という日本でも大きい方から3番目か4番目の大都市の場合、ちょっと話がややこしくなります。大都市には地下鉄とかバスとか自由に利用できます。ですから、実際には地下鉄を利用するならば地下鉄の駅員さんとか、途中で立ち寄るコンビニの店員さんとかも生活圏の人々に入るかもしれません。生活の場面でで会う人たちとの間で、うまいこと折り合いをつけ、個性あふれる個別の支援プロセスを経て、本人の具体的な生活をどうするかに絞った意思決定が行われます。

ところが、昨今、話題となっているような「市民後見人」というときの「市民」は特定の町の特定の生活圏とは無縁であることがむしろ普通でしょう。一種の市民運動ですから、やはりそれなりにプロフェッショナルが出現します。支援が進化すればするほど広域でネットワークを形成するでしょうから、最終的には個別の生活圏とはかけ離れた後見にならざるを得えません。そうなると、全国レベルの同様の活動と連携し、さらに外国の諸団体とも連携することも可能性として考えられるわけです。すなわち、もともと市民後見人における「市民」の意味は行政や国と対峙するという意味での「市民」であることが分かると思います。

もちろん市民後見人そのものを否定するというわけではありません。むしろ権利擁護は特定の生活圏で支援センターが単独で解決されるほど簡単な問題ばかり扱うわけではありません。権利擁護においては戦略的に広域のネットワーク団体と連携する必要がある場面もあると思います。ただ、ここで確認しておきたいのは、生活支援センターが生活圏で生活する様々な人々とのやりとりから離れ、本人の意思決定の支援をすることはあり得ないという事。その作業ではえらく面倒で、時間のかかる地道な作業です。常に個人情報の保護とか、権利関係の確認とか、権限の確認とかを強いられます。いいかえれば生活支援は、生活圏の人々の個人の権利と常に衝突する要素をはらんだ仕事なのだということです。権利擁護はもろ刃の剣なんだと思います。

結局、支援センターは本人の権利を尊重した個別のケアプランを策定するといいながら、意思決定プロセスにおいて、その背景となっている<個人主義>を地域の中でどうやって乗り越えて行けるのかが今日的課題だと思うわけです。僕は支援センターの人たちには生活圏の住民から、個別の権利を乗り越える力が付託されていると思っています。たいへんですけども。

前回の記事のコメントです

前回の話題は小島さんのコメントが鋭いのでコメントで答えるのは苦しい。そこで、記事でコメントです。

支援センターを時代劇に例えると、銭形平次のようなもの?ですね。奉行所の同心は官僚。銭形平次の子分のガラッ八は、支援センターのスタッフか、地域のおせっかいなボランティアかな。

「岡っ引き」は官僚ではありませんし、実際には平次のように専業でやってけるほど給金は出てはいなかったそうですが、ガラッ八に至るまでそれなりの権限をエンパワーメントされていることは間違いなかったようです。

もちろん江戸時代に社会福祉など概念もありませんけれども、大都市の安心・安全を支える下部構造が江戸時代には既にできていたのだと思います。また大都市であっても、長屋というスタイルの井戸端共同体もありました。江戸は当時から世界有数の大都市ですから現代の都市問題をすでに抱えていて、それをそうした下部構造の支援ネットワークで補完する知恵があったのだと思います。

社会福祉法人はそうした日本の歴史的流れを使命感をもって担ってきていました。いわれなくとも必要だと思ったことをやるというもの。滅私奉公ですね。それが障害者自立支援法というか、その前の介護保険制度でメニューに基づく限定された福祉サービスに整理整頓されてしまい、歴史的に日本が保有していた支援ネットワークに関する構造がスポッとなくなってしまったということでしょう。その反省のもとに支援センターがあり、地域共同体から政治の世界までをつないでいく支援センターを充実させていくとするならば、話はよくわかります。

奈々枝会長の話を持ち出すのもなんですけれども、奈々枝会長は以前市役所の福祉課の片隅に、奈々枝専用の机があったそうで、毎日に近いくらい市役所に出かけて行って話をしていた時期があったそうです。それだけ市役所の官僚の人たちとは密接な連携をとっていたそうです。僕にはそんな真似はできませんが、支援センターが地域と行政をつないでいる役割をエンパワメントされればとは思います。

ただ、今のように権利擁護や牽制(たとえそれが「バランスのとれた」とか、「健全な」ということばでマイルドな印象を持たせていただいたとしても)西欧の階級闘争から生じた概念を正面から負わされてしまうと、支援センターまわりにガラッ八がいなくなってしまいません?

日本人が大切にしてきた生活スタイルをモデルとして、長屋生活をモチーフにしたような支援付きマンションとか、老若男女が集ってなんでも相談できるような場所があって、それぞれがネットワークを形成しつつ官僚組織まで直結するようにするといいと。

反面、欧米的な商業主義+権利擁護や社会資源の相互牽制となると、肩が凝りそうで重たい気分となってしまうのは僕だけ?もっとも、権利擁護は現代社会福祉の理論的な支柱ですから僕のような事をいうのが側にいると小島さんもたいへんです。

名古屋の場合、地域委員会はどうなるんでしょうね。一見似ているので、これがあらぬ方向に行かねばいいのですが。

ああ、話がどんどん明後日の方向に。このテーマでシンポジウムとなるとなかなか終わりませんね。

支援センタースタッフの充実

経済が熟成し、国がいわゆる「福祉国家」となるに従って、政治家の役割と、官僚の役割は次第に重なり合ってくると言われています。別の言い方をすると、政治家が意思決定を行い、行政がそれを遂行するという政治主導といわれる単純な構造は現実的でなくなってくるのです。

障害者福祉の場合を例に考えると、政治家は障害者福祉現場を回り、その問題について体験する必要があります。また官僚についても、地域のニーズを先読みし、学識や経験で適切な政策立案をする事が求められます。

今の日本の現状を考えると、障害者福祉に関心を寄せる政治家はほんとうに数が少ないと思います。一方、官僚についても、日本の官僚は先進国の中で数が最低だと言われています。これでは現場で、どういった問題が起こり、どういった政策が必要なのかを的確に判断しながら政策を立案する事が難しいといわれてもしかたがありません。

従来、日本では地域のニーズをつかむために、行政の内側と外側の両方の領域で活動することを期待して社会福祉法人が設立されました。社会福祉法人が生まれた経緯は行政の補完的な役割だったと思います。

ところが、現在の社会福祉法人のイメージは「老人ホーム」に代表されるように、施設経営と強く結びついています。官僚の仕事を地域密着型で遂行するという行政マンとしてのイメージとはちょっと異なると思います。平成に入り、失われた10年を経て、小泉構造改革以降は社会福祉法人が市場の中でサービスを競い合うような新自由主義的な福祉へと向かうようになりましたから、行政も社会福祉法人も「社会福祉法人の職員は行政マンである」と考える人はほとんどいなくなったと思います。

しかし、本来の社会福祉法人の役割が「行政から委託を受け、地域に密着しながら福祉施策を実効的なものにすること」であるとすると、現在のように、株式会社と社会福祉法人が同じような福祉サービスを提供する実態とはもう少し異なった機能が求められるはずです。私は今後ますます強まってくる福祉国家としての要請に答えるには、住民と福祉施策の間のギャップを埋める「実戦部隊」が充実したものにならなければいけないと思います。動く人がいなければ地域の実際的なニーズもつかめないし、ニーズがわからないから高度な知識と経験を持った官僚の潜在力も発揮できないし、官僚から情報が上がらないために政治家の感心も高まらないと考えています。

いいかえれば、これからの社会福祉の課題は、いかにして行政と地域のギャップを埋める実戦部隊を増やしていくかだと思います。私はその「実戦部隊」こそが障害者支援センターのスタッフだと思います。障害者支援センターの職員は名東区10万人の人口に対してたったの3名。これでは世界一少ない官僚の数を補う事にもなっていません。まずは各センターの職員数と予算の拡充が望まれます。

奈々枝さんを追悼して

多くの人にご会葬いただき、誠にありがとうございました。

母、奈々枝は兄が障害を持って以来、56年間、障害がある人の幸せを願い、一日たりとも休まない人でした。休日で旅行に行ったとき施設の見学を怠らず、お土産屋や食堂に入っても授産製品のヒントを探していました。起きている時の話題はすべて福祉に関する事ばかりで、正に障害を福祉に捧げた人であったと思います。

奈々枝さんは昭和3年に東京で生まれました。奈々枝さんの父はもともとは伊勢神宮にゆかりのある英虞湾に面した村のある小さな神社の宮司の家系の人でした。奈々枝さんの育て方は奈々枝さんが長女であったこともあり、たいへん厳しかったようです。奈々枝さんの母は93歳まで生きた方ですが明治生まれの武家の人でしたから、ひととおりのたしなみを身につけるためにこれまたたいへん厳しい育て方をされたと思います。

戦争時代に入ると、奈々枝さんの父は病死し、兄は陸軍の学校に志願した後、戦争で亡くなり、奈々枝さんは兄弟を背負って戦争の中を家族を守って生きる立場になりました。奈々枝さんは看護学校に入り、戦争中は看護婦の見習いとして奮闘しました。住んでいた大阪の和泉市が焼夷弾で攻撃されたとき、なすすべもなく死んでいく人たちの看護はとてもたいへんだったとのことです。

戦争が終わり、兄が生まれてからの障害者福祉に関する奮闘ぶりはここで紹介するまでもないことですが、正に筋金入りの日本女性だったことに違いはありません。

奈々枝会長の功績は、前半の30年はわが子の障害の治療や教育を通じ、社会の問題と向き合った時代でした。この時代に、名古屋市に様々な福祉制度が生まれましたが、ほとんどの障害者福祉制度にかかわりを持ちました。特殊教育の関係機関とも強い連携を持ちました。また名古屋手をつなぐ親の会の創設にかかわり、社会福祉法人化を成し遂げるまで発展させたことは大きな功績だったと思います。名古屋市の福祉施設に対する民間福祉施設運営費補助金についても、親の代表としてかかわりを持ちました。里親制度や相談事業、いこいの家など、当時としてはとても進んでいたもので、この制度によって優れた人材が名古屋から多く排出されたことは否めないと思います。

後半の30年は理想とする地域福祉の実現に向け、名東福祉会を創立し、地域の先頭に立って実践を継続したことだと思います。メイトウ・ワークス、天白ワークス、はまなすと次々に通所施設を建設し、障害がある方の学校卒業後の対応にあたりました。また、親の高齢化に備えレジデンス日進や上の山ホームを創設しました。
活動の場は変わりましたが、60年近くの長きに亘って、仲間の親と力を合わせ、わが子が地域の人たちとともに生きていくことができるよう命をかけた人生だったと思います。

戦後日本の障害者福祉の歴史とともに歩みましたから、福祉の実践家としても第一人者でしたが、いろいろな大学で福祉講座を持つなど一流の教育者でもあったと思います。しかし本人は母親という立場を意図的に離れないようにしていました。親としてあるべき姿を常に追求していたといってもいいと思います。

武勇伝も数多くありました。まだ日本に障害者の施設が数えるほどしかなかった頃のことです。複数の人たちとともにある入所施設を利用する事がありました。障害児の療育がうたい文句の施設でした。子どもを預けたものの、どんな「療育」を受けているのかが気になり、入所して数週間経ったころ、施設をこっそりと訪れたそうです。その施設の処遇を裏庭から見ると、療育とはかけ離れた生活がそこにありました。愕然とし、即座に「集団脱走」を実行したそうです。その当時の入所施設は予算的にも人材的にもまったく不十分でしたし、そもそもその頃の福祉には社会からの隔離という概念しかなかったものと思われます。その時、その施設から抜け出した人たちとは終生関係を持ち続けました。

子どもたちの療育に対する強い感心は早い段階で生まれていたのです。その後、名古屋の特殊教育の充実にたいへん熱心に活動しました。たまたま私たちの家庭があった中学校区に川崎先生という優れた特殊学級の先生が赴任していましたので強い絆が生まれました。養護学校や特殊学級と親の会の関係の構築に尽力し、そのときの活動が現在の名古屋市の親の会の教育参加意識に繋がっていると思います。

手をつなぐ親の会の社会福祉法人化の際には、厚生労働省まで乗り込み、「認可を受けるまでは死んでも帰らない」という態度だったようです。そうしたバイタリティや純粋さは多くの協力者を生みました。

そうした武勇伝を聞くと、いかにも好戦的な女性だったかのように思えますが、実際にはまったく静かな穏かな人でした。争いごとを好まず、人の話を聞く事を好みました。会って分かれるときや電話で話した時には最後に「ありがとうね」と必ず言いました。失敗しても落ち込まないで「なーんとかなるわ」と節をつけて言うのが口癖でした。

立派な先生に会えると本当に感謝しました。そうした先生のお話を聞く場合には必ずノートをとり何度も何度も読み返し、私に教えてくれました。そうした謙虚さも最後まで併せ持った人でした。

障害者福祉の世界はもちろん、楽しいことばかりではなく、毎日事件が起こります。その度に、親同士の反目があります。それに対してどうしたらよいのかを毎日気に掛けました。争い事は仕方がない事ですが、争いを乗り越えて皆が和(なご)むことが奈々枝さんの願いでした。「親が範を示さねばならない」と、地域の人たちに力を合わせる姿を示すことができるよう、バザーをやったり、喫茶店を経営したり、いろいろチャレンジしました。そうして次第に地域に溶け込んだ生活がもたらされるようになったのです。

これは「大和(やまと)心」といってもいいかもしれません。それぞれの地域には地域独特の結束力のようなものがあり、伝統があります。地域の習慣を無視して利用者の生活はあり得ません。奈々枝さんは日進市に居を構えて20年以上になりますが、「まだ地のものではないと言われる」と、決して地域の一員としての生活に気を緩める事はありませんでした。

私はこの「和(なごみ)」の世界に、個を大切にする生きかたも、権利擁護も、社会参加もすべての福祉理念が包含されると思うようになりました。

会葬が終わり、遺骨はレジデンス日進の役員室に帰ってきました。奈々枝さんの本来の終の棲家はレジデンス日進であると思うからです。レジデンス日進の屋上からは日進市を見渡すことができます。彼女がまだ元気だったころ、ハーブが咲き乱れたレジデンス日進の屋上に上がり、夕日に輝く美しい景色を見る事をこよなく愛していました。これからも私たちの母として、レジデンス日進に佇み、いつまでも私たちを見守ってくれればと思います。

戦略は細部に宿る

細部の設計がなければ、どんなスルーガンも失敗に終わるでしょう。

地域福祉も同じです。
「地域福祉」、「ともに生きる」、「人権擁護」、「障害者差別の撤廃」、・・・こうしたスローガンも、具体的な中身が明らかにならならなければ、夢のまた夢。何もしゃべっていないのと同じです。

例えばケアホーム。

どのような居室をケアホームと認めるのか?
施設設置の補助金はどのようなケースに交付されるのか?
職員の配置基準は?
職員の資格要件は?
ケアホーム利用の報酬体系は?

ケアホームの利用規約も、地域福祉の中身を左右します。
誰がいつ、どのように建設し、どのように利用認可され、どのように利用できるのか。
入所施設との関係はどうなのか。
通所施設との関係はどうなのか。
利用している際の日常的な生活方法は?
利用者の居室の構造は?設備は?食事は?
入所施設からの移行はどのように促進されるような手立てが打たれるのか。
就労している人はどのように利用できるのか。
利用の際に、ケアマネージャーや相談支援者、あるいは日中の施設職員は利用者とどのように関わるのか。
利用料は?

これらの運営の根幹に関わる細部について、現行の制度から今後どのように変えていくべきなのかによって、これからの地域福祉の中身が決まってきます。そして、同時にスローガンの中身も明らかになり、スローガンがスローガンとしての機能を果たすようになります。

細部は多数決では決められません。
あるいは、経営トップの独断で決めるものでもありません。
地域と利用者の実情に応じてユーザーニーズを徹底的に調査し、何度も何度も擦りあわせをしてよりよい形式の
「細部」を決めていくことが必要です。

人権擁護はもっと難しい。
何をもって人権というのか、人権を侵害されている状態とは具体的に何を表すのか。

差別の撤廃はさらに困難で、具体的に考えれば考えるほど泥沼に入りこみやすい命題です。

こうした問題を解く鍵は、となりのブログの論点で取り上げられているような「本人の笑顔」に象徴されるように、具体的な生活場面の具体的支援であったりします。

そのように考えていくと、地域福祉は具体化に向けた共同プロセスと客観的な評価と継続的な修正作業がとても重要であることがわかります。

マスコミや政治家に地域福祉の具体化作業を求めても仕方がないのかもしれません。他地域の優れた実践に学ぶことは重要ですが、やはり最後は自分達で決めていかなければ成らない事だと思います。

もっといえば、ひょっとしたら
「スローガンは絶対ではないかもしれない」
「自分達は間違っているのかもしれない」
「新しいシステムがあれば、今の議論はご破算でもいいかもしれない」
という謙虚な態度が福祉には必要なのかもしれません。

オンザジョブトレーニングについて

前回の理事会が終わった時、家族会の会長が
「最近では教育が悪いから、建築現場でも辛くて苦しいことはみんな外国人にやらせようとしてしまう。それでみんな技術を持っていかれてしまい、若者が全然育たない。日本中の若者がそういう状況にある。福祉はたいへんだ。」
とおっしゃっていました。その通りだと思います。同じ日本人として、障害がある人と障害を分かち合うことができなければ、障害がある人はそれを福祉とはみなしはしないと思います。同じ論理で、地域は地域に住む障害がある人を支える必要があると思います。さらに、家族や学校や企業や商店街や友人同士など、地域を構成する単位もその中でお互いを支えあう必要があります。それが私たちの国の伝統でもあります。こうした何層にも重なってつながっている絆は、「場」によってもたらされます。私たちが所属している場が絆をつくっているのだと思います。

前回の記事で小島さんがオンザジョブトレーニングについて書きこんで下さいました。前段で述べた「絆」はもちろん横の絆だけではなく、縦の絆もあります。私たちの国には、親から子、師から弟子、先輩から後輩へ伝えていくものを大切にする文化があったと思います。業を習う「場」には過去から未来にかけて流れ伝わっていく技術があります。終身雇用をはじめとする伝統を守るシステムがあったからこそ、日本は世界最高の技術を誇ることができたのだと思います。もちろん、その下地となる教育も優れていたと思います。

もちろん、戦前の福祉が優れていたといいたいのではありません。ここでいいたいのは、今の閉塞的な福祉の状況を抜け出すには、むしろ日本人が大切にしてきた「和」、すなわち先人の言葉や経験を大切にする「場」の絆を深めることを見直すべきではないかということです。

オンザジョブトレーニングというと何かしゃれた訓練方法があるように思われますが、実際には
「やってみて、言って聞かせて、やらせてみて、褒めてやる」
という世界です。現場のリーダーが現場で範を示さねば訓練そのものが成り立ちません。基本的に福祉施設は広い意味での生活の場であるため、そこでの生活を楽しみながら、あるいは共に悩みながら、その生活の支援に範を示すことが現場リーダーの役割となります。例えば、高度な専門性が必要とされている自立支援協議会を考えてみても、自立支援を協議するだけの専門というものは存在しえません。日常の中で対象者と向き合っているものだけが問題を論じ、解決の糸口を見出すことができます。

私は福祉は本質的に保守的であるべきであると考えています。
保守的であることは必ずしも変化を嫌うということではありません。むしろ、保守的であればあるほど、現状をよりよくしていくという継続的な改善活動に熱心になります。過去の歴史を尊重し、未来との連続を意識して今の生活の支援方法を模索します。

日本人は伝統的に「和」を大切にしてきました。「和」を大切にするということは、障害がある人とない人の垣根を溶かします。和気あいあいに声をかけながら困ったことを聞きあうという雰囲気も生み出します。

支援技術の伝搬を過去から未来に向かって見据えていくという意味においても、福祉は「和」の伝統を大切にすることが重要であると考えます。

すり合わせが地域福祉の質を左右する

昨日は、組織の機能を考えることがケアの質に直結しているという話をしました。今回は、すり合わせによる組織の力について考えてみたいと思います。

戦前の日本の強みは組織の中のすり合わせにあったといいます。企業の中で職人が集まり工夫に工夫を重ね、とてつもなく優れた製品を生み出していました。戦後はこのすり合わせを市場との間でもやるようになり、高品質な製品を数多く生産することができるようになりました。現在でも日本のものづくりの実力は世界一であると言われています。

福祉分野においても現場ですり合わせができる組織は強い組織です。利用者を市場というのはやや語弊がありますが、本質は同じで、現代の強い福祉組織は、利用者とのすり合わせができる組織です。

地域福祉とは、組織の中だけではなく、その施設が存在しているまわりの地域とすり合わせを行って提供するケアを決定する福祉と定義すべきなのかもしれません。上記のように地域福祉を定義するとこれまでの地域福祉が全く違ってきます。
形の上で入所施設のまわりにケアホームやグループホームが配置されていても、その施設が存在している地域(=市場)とのすり合わせができていなければ、地域福祉とはいえないことになります。逆に、形の上では旧法の入所施設であっても、地域とのすり合わせによって利用者の生活が成り立っている施設は地域福祉施設となります。

すり合わせは目の前の問題を共有することが大前提になります。利用者の問題解決について、職員間で行動を共有するときに得る知識や経験は、どうしても感覚に近いものがあり、なかなか数値では言い表すことができません。問題を扱う際の笑顔とか、声の調子とか、話すときの間合いとか、問題解決の際のコミュニケーションにも多くの情報が行き来するものだと思います。ましてや、対象の利用者や対象の利用者が生活している「場」にはそれぞれ固有の条件がありますから、「場」を共有しないものには解りえない伝統が存在するはずです。

してみると、強い組織とは、「場」にかかわる人たちの間で自由で闊達なすり合わせができる組織のことだと思います。最近はやりの福祉施設の経営論では、どうしてもリーダーシップが主要なテーマになりがちです。また昨日述べたように、技術論にも走りがちです。しかし、今日お話ししたように、地域福祉の実践では
1 場を構成する人たちをいかに増やしていくのか
2 構成する人たちの間のすり合わせをいかにうまく行うのか
3 共同の行動によって得た知識や体験をいかに蓄積・拡大するのか
といった、「場」の経営がより重要なのかもしれません。

これからの研修に期待

本日で平成21年度の名東福祉会の活動が終わります。明日からはまた平成22年度が始まります。

今年も名東福祉会の職員の研修が行われました。大きな成果を生み出しつつあり、来年度に向けてもさらに期待するところです。

研修担当者の努力を考えれば本来、コメントはさしひかえなければなりませんが、職員の研修に関し来年度について、もう少し奮闘しなければという点がありますので、少し書いてみようと思います。

気になる点としては、研修がややもすると福祉の技術論や学術的な論理に関心が強く向いてしまっている点です。ケア技術の具体的な方法論、ニーズのアセスメント論、会議の仕方やプレゼンテーション論をいくら身につけても越えられない壁があります。

もちろん、個別の技術論は重要です。しかし、それ以上に、研修ではその職員が組織にどれだけ貢献する行動をとれるようになるかという点について、口を酸っぱくして伝えていく必要があります。

名東福祉会が強くなれば、それだけ利用者のケアが良くなります。これは至極あたりまえのことで、ひとりではできないことを組織行動でカバーするために組織化する・・・これが社会福祉法人が存在している根本的な理由でもあります。

弱い社会福祉組織が利用者のQOLを向上させることはできません。いわんや地域福祉の質を向上させるなどできようはずがありません。地域の自立支援協議会、手をつなぐ親の会運動や障害者団体の活動、自治体と事業所の相互連絡などなど、すべからく組織行動を強化するためにあります。

ところが、こうした組織行動を強化することを正面から教えることは、これまで福祉業界の一般的な研修ではタブーであったように思います。例えばケアマネージメント資格のように、常に、個人に還元される援助技術に終始してしまう傾向があります。また、研修に参加させる動機づけとしても個人の資格をちらつかせる傾向があります。(もちろん、ケアマネの研修も最終的には組織行動に収れんしていきますが)

私自身、国の研修にも参加した経験があります。その研修会でも、援助行動が組織に対してどのような利益をもたらすのかといった組織行動的な論点についてはまったく触れられていませんでした。

組織は規模の大きさではありません。組織の強さは組織の固有の使命感の共有の度合いです。言い方が悪ければ、理念の共有が障害がある人にとって役に立つ組織と役にたたない組織を色分けします。たった数人の組織でも使命感を共有して、数百人の組織よりも立派な仕事をする例は世に多々あります。

1 何のために組織が存在しているのか、
2 誰のために組織行動を起こすのか、
3 その組織行動は、援助の対象となる人と組織にどんな利益をもたらしたのか、

を職員は常に考えることが必要です。言いかえれば、どんな支援行動にも組織としての機能が問われています。それぞれの状況でどんな<結果>を出力する必要があるのかを考え、常に組織的に動くようになれること。来年度はそうした名東福祉会の理念を常に確認し、行動の基礎とするような研修が求められていると考えています。

子ども手当はおかしい

平成21年が終わろうとしています。今年、名東福祉会の授産施設で障害がある人たちが働いて得た収入は全体で、11,368,000円でした。

メイトウ・ワークスの売上は年間を通じて4,020,000円。
はしおきをはじめとする伝統的な陶芸作業や変身ぬいぐるみシリーズの縫製作業が中心です。他に下請け作業や委託作業を行っています。

天白ワークスの売上が7,348,000円。病院の陶壁の受注をはじめとする本格的な陶芸の他、クッキー作業や下請け作業を行っています。

みなさん、障害にめげず、明るく懸命に働いていますが、この不況下、なかなか収入は伸びません。売上から製造費等の経費を差し引いた収益は本人の工賃として本人に支給されています。しかし一人当たりにすると微々たるものになってしまいます。

施設の職員の給料は少なく、なかなか人が集まるわけではありません。障害者施設の経営は、高齢者福祉のそれと比べて、やはり不十分と言わざるを得ません。

その一方で、正式に法律としてスタートした「子ども手当」に外国人が殺到しているそうです。子ども手当は、その国籍にかかわらず、親が日本に居住していれば日本に居住していない外国人の子女にも支給されるといいます。そのため、「kodomoteate」と書いたメモを手に外国人が役所に殺到しているといいます。
足元の国民を見ることができない、あるいは見ようとしない現政権。これは時間不足とか、経験不足といったたぐいのものではないでしょう。博愛は衆に及ぼしてこそ博愛です。まずは同胞の命を守っていただきたいものです。

家族会の役割

先日の常任理事会で家族会の役割について確認が行われました。家族会の役割について明確にしてほしいというご意見があったということが議論の背景にあります。そこで、このブログをお借りして、名東福祉会の家族会の役割について確認をしたいと思います。

私は、名東福祉会の家族会は伝統的に非常に結束の強い会であり、名東福祉会を強力に支えてきたと思います。それが今日の名東福祉会の礎を築いたと確信しています。さらに、いったん名東福祉会に危機が訪れたときには積極的にこれを助け、それぞれの危機を乗り越えてきた歴史があります。
こうしたことから、障害者のための社会福祉法人の家族会の役割は、私としては次のようにまとめることができると思っています。

第一に、名東福祉会の利用者の家族の成員がお互い仲よく協力し合い、また、家族どうしの交流を深めてお互いの家族を支えあい、自らの力に応じた役割をみつけ、障害がある人の支えとなり、障害がある人の人生を実りあるものにする活動を行うことです。

第二に、障害がある人が生き生きと生活するために、地域福祉が必要であることを地域に訴え、率先して地域福祉の実践の理念を語り、力を結集して、障害がある人にやさしい街づくりに貢献することです。

第三に、そうした活動が実りある活動となるよう、常日頃から自身を磨き、家族会員の相互の研鑽に努め、様々に興味深い楽しい活動を企画し、相互の交流を深化させ、進んで研修を企画・実践していくことです。

以上が名東福祉会家族会の役割であることが確認されました。

社会資源開発の新しい流れ

エスノグラフィーといわれるマーケティング手法があります。このマーケティング手法では商品ユーザーの「生活場面」に入り込んで徹底した「観察」を行います。エスノグラフィーの手法を用いて製品開発された商品例として、アップル社のiPhone、マイクロソフトのウィンドウズビスタ、掃除機のダイソンなどが有名です。そしてそれらの製品は大成功を収めたため、エスノグラフィーはマーケティング分野で注目を集めるようになってきました。

エスノグラフィーの特徴は調査をするときに仮説を立てないこと。仮説を立てないで「リアルな生活場面」を観察するので、開発担当者が「思いもよらない」ニーズを発見することがあります。エスノグラフィーでは企業側の論理ではなく、できるだけユーザー側に歩み寄ってユーザーを徹底的に観察し理解することが求められます。そうした立場で開発された製品はときとしてたいへん魅力的な商品となります。

このエスノグラフィーの手法は地域福祉の分野でも応用可能です。例えば社会資源開発担当者が障害がある人の家庭を訪問し、一定期間の間、障害者の生活状況の観察を行うことが考えられます。顧客(障害者)が朝何時に起き、何時に家を出て、通勤途中でどんな困難に会い、職場や施設でどんな生活を行っているのか。その中で対人関係でどんな困難を経験しているのか、あるいは生活環境に対してどのような言語行動を発しているのか、そして環境はどんな反応をしているのかをビデオ等を用いて観察し、リアルなニーズを掘り起こしていきます。そしてそうしたマーケティングを元に、新しい社会資源のあり方を開発するということが考えられます。

従来、こうした社会福祉分野を対象とした観察と商品開発は新聞やテレビの役割だったのかもしれません。ただ、マスメディアは最終的に行政に対する要求言語行動という形になり、主体的な商品開発(福祉サービスの提供者になる)という視点にはなりえません。あくまで問題提起で役割を終えます。それに対し、エスノグラフィーは地域福祉の分野で福祉サービスの提供者が行うことがポイントです。もっとも、マスメディアの場合には強い仮説があって取材を行うため手法的にはそもそもエスノグラフィーの手法とはかけ離れています。

あるいは、かっての親の会活動は一種のエスノグラフィーであったのかもしれません。確かに家族会と行政の担当者が頻繁に会話を積み重ね、新しい福祉制度の創出に向けて動いた時代がありました。
ただ、それはあくまで福祉制度設計上の調査であり、福祉事業者が多様なサービスを創出し、競争を行い、障害者が商品としての福祉をその質で選択する時代に入るとエスノグラフィーを含め、マーケティングは行政サイドの役割から離れます。

障害者自立支援法が制定され、さらにそれが改定されようとしている今こそ、福祉サービスの提供者側が顧客の側に徹底的に立ったたマーケットの観察と障害者ニーズの開発を事業化すること-まさにエスノグラフィーの考え方こそ、これから最も注目が集まる社会資源開発手法になると思います。

連携

地域福祉では「連携」が大切だといわれています。

連携とはもちろん形式的な契約に基づくものではありません。目の前の障害がある人に対して「自分たちは、いったいどんな貢献ができるのか」をそれぞれの組織の立場から、相互に確かめる行為です。

具体的で象徴的な共同作業が象徴的な事例となって、お互いが連携していることが確かめられます。施設間の連携を例に挙げましょう。

例えば、通所の利用者に家庭の生活環境の問題があって、入所施設の一時利用を行う場合、入所施設を一時利用している間に、通所施設のスタッフは利用者の生活環境整備を行うことが期待されるでしょう。入所施設はこれを行い、通所施設はこれを行って利用者の課題を解決していくという相互の行為や覚悟が示されます。

入所施設の利用者が通所施設の作業を行うというような場合、普段の生活で、比較的うまくいく接し方や、問題が拡大する接し方に関する具体的な支援情報や環境の設定方法をアドバイスすることも連携のひとつです。

生活支援センターを通じた他の法人との連携や、障害福祉分野を超えて企業や医療機関との連携となると、連携はさらに難しくなります。ですが具体的な連携行動の積み重ねが連携を維持するために重要であることは変わりません。

家庭と施設の連携も同じです。家庭ですべきこと、施設でなすべきことを情報交換してお互いに分担していくことが必要で、これも連携のひとつです。

このように、お互いに実行すべき行動や情報を交換し、粛々とその行動を実行することによって、初めて相手が自分たちと連携していることを確認できるのだと思います。

換言すれば、「連携」はもともとフォーマルな関係ではなく、一つ一つの象徴的な行動の積み重ねや小さな成功体験の共有によってのみ維持されるものだと思います。連携する相手に対して脅したり、命令したり、その他ネガティブな行動は連携を破壊しても維持することはありえません。支援計画や契約はもちろん必要ですが、それを交わしたからといって連携は形成されることはないのです。