名古屋市北区で起きた事件について

今月23日、報道にもありますが、名古屋市北区で、自閉症の25歳の息子を50歳の父親が手にかけるという事件が起こりました。息子は搬送先で死亡しています。父親は自ら110番通報し、逮捕されています。

今日は名東区障害者自立支援連絡協議会の全体会でしたので、当然、この話題も挙がりました。当然、名東区でも起こり得る前提となりました。

私自身、この間自分なりに考えて、どう言葉にしてよいやら悩みましたが、何らかの形で言葉にして残すべきだとも考え、以下に。

今、「乱反射」(貫井徳郎)を通勤の間に読んでいます。相変わらず、たまたまBOOKOFFの100円コーナーにあったからで、貫井氏の作品はたぶん、初めて手に取ったのですが、あらすじに魅かれて購入しました。もうすぐ読み終わるのですが、幼児が事故により死亡する・・・そこに至るまでに地域の様々な人たちの小さな「無責任」「配慮のなさ」「自分勝手」「過失」が重なっていて、「主犯」は特定し難いが多くの人たちの行動の堆積が明らかに幼児の死を招いている・・・そんなあらすじかと思います。

私は、北区の事件の詳細までは把握できていませんが、たまたま北区で起こったと考えると、詳細=個別性よりも、結果から何を導くかの方が大切な気がしています。「誰が」「どこが」ではなく、この家族を取り巻く誰もが、応分の責任や後悔を感じるべきではないかと思うのです。そしてそれを、他地域でも自覚するべきではないかとも。

時期的に、全体会でも来年度に向けての制度・施策の共有も行いましたが、属人的な支援の限界は明白だとしても、仕組みさえあれば課題解決する訳でもありません。大切なのは、仕組みを担う「人」が目的を一つにすることかと思います。そしてその目的の達成のためには、「みんな」が少しずつ無理をする、我慢することも必要かと。

「我が事、丸ごと」と言われます。少し前までは、「お節介をし合うことが嫌で個人主義に走っておいて、今更そう言われても」と正直思っていましたが、実効性のある「我が事」とは、みんなが問題解決のために少しずつ無理をする、我慢することかとも考え直しました。そしてそれが、回り回って自分のためにもなる・・・みたいな。様々な小さな無責任や自分勝手が大きな悲劇を生むのだとしたら、反対に小さな無理や我慢が悲劇を防ぐことも可能ではないかと考えるに至りました。

とは言え、「絵に描いた餅」という言葉もある通り、言葉は行動に移さないと実を結びません。まして、福祉は行動です。

基幹センターでも、連絡協議会でも、行動に移したいと思います。

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