マイケル・サンデルの白熱授業

ハーバード大学の教授のマイケル・サンデルという人がいます。この人が行う事業は、「ハーバード白熱事業」という形でNHKでも放映されたそうです。
この授業では、サンデルが正義に関する究極の質問を学生に投げかけるという手法で、正義の在るべき姿に迫っていきます。

個人的には
「随分荒っぽくて日本人には違和感のある無理筋の質問の投げかけ方だなあ」と思うのは別として、共同体の成員が迷うような具体的な事象を例に挙げ、共同体として意思決定すべき内容を取り上げ、あらかじめ成員同士で考え、話し合うことは正しいことだと思います。たとえ結論は出なくとも。

サンデルが取り上げた殺人のような極端な話はだけではなく、福祉施設の実践では全ての支援内容についてそれが「正義」なのか「悪」なのかを考える題材にすることができます。

例えば

・ひとりになりたがる利用者を個人の選択としてそのままにする事は正義か
・職員1対利用者1の散歩に出かける事は正義か
・散歩にでかけ、利用者の年金を使って利用者がコーヒーを飲む事は正義か
・工賃を稼ぐために職員が代わりに働いて利用者の収入を稼ぐ事は正義か
・障害の重い人を受け入れたため、全体としてケアの効率が下がり、既存の利用者がそれまで普通に受けることができたサービスが受けられなくなったとしても、それは正義か

逆に悪についても

・一人暮らしの知的障害がある人について個人情報の利用に関して本人の許可が取れないまま、地域ケア会議に資料提供したことは個人情報保護の観点から悪となるか
・重篤な糖尿病の患者である知的障害者に求められるまま施設のフェスティバルで提供された焼き肉を大量に食べてもらった事は悪かはたまた正義か。
・利用者が道路に飛び出す事を防ぐためにドアに鍵をかける事は悪か
・自傷が激しく、生命の危機を感じるほど頭を打ち付けてしまう利用者に対して頭を打ち付けても安全な部屋に入ってもらう事は拘束か(つまり虐待か)

サンデル自身はなかなか正義とは何か、その事例はどっちが正しいのかについて答えません。しかし、実際には障害者施設では毎日こうした問題が生じていて、私たちは常になんらかの答えを出さなければなりません。
知的障害者の福祉施設に限って考えると、職員、家族、利用者、地域の人々という地域共同体の成員を成す人がともに考え、合意し、さらにその地域の風習をも加味して考え、選択し、さらにいい方法を見つけるために不断に議論と模索を続ける法人が正義の法人なのでしょう。実際のところ、間違えてもしょうがないような事ばかりなのですから。少なくとも、疑問を持ったまま職員として悶々と悩むのは体に悪いのではないかと思います。