戦略は細部に宿る

細部の設計がなければ、どんなスルーガンも失敗に終わるでしょう。

地域福祉も同じです。
「地域福祉」、「ともに生きる」、「人権擁護」、「障害者差別の撤廃」、・・・こうしたスローガンも、具体的な中身が明らかにならならなければ、夢のまた夢。何もしゃべっていないのと同じです。

例えばケアホーム。

どのような居室をケアホームと認めるのか?
施設設置の補助金はどのようなケースに交付されるのか?
職員の配置基準は?
職員の資格要件は?
ケアホーム利用の報酬体系は?

ケアホームの利用規約も、地域福祉の中身を左右します。
誰がいつ、どのように建設し、どのように利用認可され、どのように利用できるのか。
入所施設との関係はどうなのか。
通所施設との関係はどうなのか。
利用している際の日常的な生活方法は?
利用者の居室の構造は?設備は?食事は?
入所施設からの移行はどのように促進されるような手立てが打たれるのか。
就労している人はどのように利用できるのか。
利用の際に、ケアマネージャーや相談支援者、あるいは日中の施設職員は利用者とどのように関わるのか。
利用料は?

これらの運営の根幹に関わる細部について、現行の制度から今後どのように変えていくべきなのかによって、これからの地域福祉の中身が決まってきます。そして、同時にスローガンの中身も明らかになり、スローガンがスローガンとしての機能を果たすようになります。

細部は多数決では決められません。
あるいは、経営トップの独断で決めるものでもありません。
地域と利用者の実情に応じてユーザーニーズを徹底的に調査し、何度も何度も擦りあわせをしてよりよい形式の
「細部」を決めていくことが必要です。

人権擁護はもっと難しい。
何をもって人権というのか、人権を侵害されている状態とは具体的に何を表すのか。

差別の撤廃はさらに困難で、具体的に考えれば考えるほど泥沼に入りこみやすい命題です。

こうした問題を解く鍵は、となりのブログの論点で取り上げられているような「本人の笑顔」に象徴されるように、具体的な生活場面の具体的支援であったりします。

そのように考えていくと、地域福祉は具体化に向けた共同プロセスと客観的な評価と継続的な修正作業がとても重要であることがわかります。

マスコミや政治家に地域福祉の具体化作業を求めても仕方がないのかもしれません。他地域の優れた実践に学ぶことは重要ですが、やはり最後は自分達で決めていかなければ成らない事だと思います。

もっといえば、ひょっとしたら
「スローガンは絶対ではないかもしれない」
「自分達は間違っているのかもしれない」
「新しいシステムがあれば、今の議論はご破算でもいいかもしれない」
という謙虚な態度が福祉には必要なのかもしれません。

オンザジョブトレーニングについて

前回の理事会が終わった時、家族会の会長が
「最近では教育が悪いから、建築現場でも辛くて苦しいことはみんな外国人にやらせようとしてしまう。それでみんな技術を持っていかれてしまい、若者が全然育たない。日本中の若者がそういう状況にある。福祉はたいへんだ。」
とおっしゃっていました。その通りだと思います。同じ日本人として、障害がある人と障害を分かち合うことができなければ、障害がある人はそれを福祉とはみなしはしないと思います。同じ論理で、地域は地域に住む障害がある人を支える必要があると思います。さらに、家族や学校や企業や商店街や友人同士など、地域を構成する単位もその中でお互いを支えあう必要があります。それが私たちの国の伝統でもあります。こうした何層にも重なってつながっている絆は、「場」によってもたらされます。私たちが所属している場が絆をつくっているのだと思います。

前回の記事で小島さんがオンザジョブトレーニングについて書きこんで下さいました。前段で述べた「絆」はもちろん横の絆だけではなく、縦の絆もあります。私たちの国には、親から子、師から弟子、先輩から後輩へ伝えていくものを大切にする文化があったと思います。業を習う「場」には過去から未来にかけて流れ伝わっていく技術があります。終身雇用をはじめとする伝統を守るシステムがあったからこそ、日本は世界最高の技術を誇ることができたのだと思います。もちろん、その下地となる教育も優れていたと思います。

もちろん、戦前の福祉が優れていたといいたいのではありません。ここでいいたいのは、今の閉塞的な福祉の状況を抜け出すには、むしろ日本人が大切にしてきた「和」、すなわち先人の言葉や経験を大切にする「場」の絆を深めることを見直すべきではないかということです。

オンザジョブトレーニングというと何かしゃれた訓練方法があるように思われますが、実際には
「やってみて、言って聞かせて、やらせてみて、褒めてやる」
という世界です。現場のリーダーが現場で範を示さねば訓練そのものが成り立ちません。基本的に福祉施設は広い意味での生活の場であるため、そこでの生活を楽しみながら、あるいは共に悩みながら、その生活の支援に範を示すことが現場リーダーの役割となります。例えば、高度な専門性が必要とされている自立支援協議会を考えてみても、自立支援を協議するだけの専門というものは存在しえません。日常の中で対象者と向き合っているものだけが問題を論じ、解決の糸口を見出すことができます。

私は福祉は本質的に保守的であるべきであると考えています。
保守的であることは必ずしも変化を嫌うということではありません。むしろ、保守的であればあるほど、現状をよりよくしていくという継続的な改善活動に熱心になります。過去の歴史を尊重し、未来との連続を意識して今の生活の支援方法を模索します。

日本人は伝統的に「和」を大切にしてきました。「和」を大切にするということは、障害がある人とない人の垣根を溶かします。和気あいあいに声をかけながら困ったことを聞きあうという雰囲気も生み出します。

支援技術の伝搬を過去から未来に向かって見据えていくという意味においても、福祉は「和」の伝統を大切にすることが重要であると考えます。

すり合わせが地域福祉の質を左右する

昨日は、組織の機能を考えることがケアの質に直結しているという話をしました。今回は、すり合わせによる組織の力について考えてみたいと思います。

戦前の日本の強みは組織の中のすり合わせにあったといいます。企業の中で職人が集まり工夫に工夫を重ね、とてつもなく優れた製品を生み出していました。戦後はこのすり合わせを市場との間でもやるようになり、高品質な製品を数多く生産することができるようになりました。現在でも日本のものづくりの実力は世界一であると言われています。

福祉分野においても現場ですり合わせができる組織は強い組織です。利用者を市場というのはやや語弊がありますが、本質は同じで、現代の強い福祉組織は、利用者とのすり合わせができる組織です。

地域福祉とは、組織の中だけではなく、その施設が存在しているまわりの地域とすり合わせを行って提供するケアを決定する福祉と定義すべきなのかもしれません。上記のように地域福祉を定義するとこれまでの地域福祉が全く違ってきます。
形の上で入所施設のまわりにケアホームやグループホームが配置されていても、その施設が存在している地域(=市場)とのすり合わせができていなければ、地域福祉とはいえないことになります。逆に、形の上では旧法の入所施設であっても、地域とのすり合わせによって利用者の生活が成り立っている施設は地域福祉施設となります。

すり合わせは目の前の問題を共有することが大前提になります。利用者の問題解決について、職員間で行動を共有するときに得る知識や経験は、どうしても感覚に近いものがあり、なかなか数値では言い表すことができません。問題を扱う際の笑顔とか、声の調子とか、話すときの間合いとか、問題解決の際のコミュニケーションにも多くの情報が行き来するものだと思います。ましてや、対象の利用者や対象の利用者が生活している「場」にはそれぞれ固有の条件がありますから、「場」を共有しないものには解りえない伝統が存在するはずです。

してみると、強い組織とは、「場」にかかわる人たちの間で自由で闊達なすり合わせができる組織のことだと思います。最近はやりの福祉施設の経営論では、どうしてもリーダーシップが主要なテーマになりがちです。また昨日述べたように、技術論にも走りがちです。しかし、今日お話ししたように、地域福祉の実践では
1 場を構成する人たちをいかに増やしていくのか
2 構成する人たちの間のすり合わせをいかにうまく行うのか
3 共同の行動によって得た知識や体験をいかに蓄積・拡大するのか
といった、「場」の経営がより重要なのかもしれません。