水仙の花

水仙の花が真っ盛りになりました。病院の行き帰りの道にいっぱい咲いているのが見えます。雨の上がった我が家の小さな庭にも水仙の花盛りが見えましたので、10本ほど切ってきて、テーブルの上に飾りました。よい香りがそこはかとなく漂います。

そこへ財団法人菊葉文化協会から「天皇皇后両陛下-ご結婚五十年をお迎えになって-」というビデオが送られてきました。

昨年は、「ご下賜金」を頂戴し、地道に障害者の福祉増進に取り組んで来ることができたことは、職員あってこそであり、また家族会や講演会の協力の賜物であると、私は病床から感謝していました。このビデオは約2時間かかりますが、またみなさんと一緒にビデオを見ましょうね。

水仙の花は、益々部屋中に漂います。去る日、亡き母と北陸の旅をした時、母が海岸で水仙を摘んできたので私が母をしかったことなども思い出されました。花好きな母は川柳をたしなんでいましたが花の句ばかりです。「われもこう」という小さな一冊です。ご希望の方には差し上げますのでもらって下さい。

2010年1月29日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

連携

地域福祉では「連携」が大切だといわれています。

連携とはもちろん形式的な契約に基づくものではありません。目の前の障害がある人に対して「自分たちは、いったいどんな貢献ができるのか」をそれぞれの組織の立場から、相互に確かめる行為です。

具体的で象徴的な共同作業が象徴的な事例となって、お互いが連携していることが確かめられます。施設間の連携を例に挙げましょう。

例えば、通所の利用者に家庭の生活環境の問題があって、入所施設の一時利用を行う場合、入所施設を一時利用している間に、通所施設のスタッフは利用者の生活環境整備を行うことが期待されるでしょう。入所施設はこれを行い、通所施設はこれを行って利用者の課題を解決していくという相互の行為や覚悟が示されます。

入所施設の利用者が通所施設の作業を行うというような場合、普段の生活で、比較的うまくいく接し方や、問題が拡大する接し方に関する具体的な支援情報や環境の設定方法をアドバイスすることも連携のひとつです。

生活支援センターを通じた他の法人との連携や、障害福祉分野を超えて企業や医療機関との連携となると、連携はさらに難しくなります。ですが具体的な連携行動の積み重ねが連携を維持するために重要であることは変わりません。

家庭と施設の連携も同じです。家庭ですべきこと、施設でなすべきことを情報交換してお互いに分担していくことが必要で、これも連携のひとつです。

このように、お互いに実行すべき行動や情報を交換し、粛々とその行動を実行することによって、初めて相手が自分たちと連携していることを確認できるのだと思います。

換言すれば、「連携」はもともとフォーマルな関係ではなく、一つ一つの象徴的な行動の積み重ねや小さな成功体験の共有によってのみ維持されるものだと思います。連携する相手に対して脅したり、命令したり、その他ネガティブな行動は連携を破壊しても維持することはありえません。支援計画や契約はもちろん必要ですが、それを交わしたからといって連携は形成されることはないのです。

「ガンバルよ」

長い病院生活から抜け出して、透析の通院生活に代わり、少しずつ慣れてきました。いろいろと食事制限や水の制限がある他、人口心臓弁を使っている薬の関係で、糖尿病で壊死した足先から出血するとなかなか血が止まらないことなどいろいろあって、人生、健康でいられることがどんなに大切なことか、毎日身につまされています。

こんなとき、突然、通所施設に通っていた人の母親が心臓病で急死されました。残された子とその年老いた父親を思い、どうしてあげれば良いのか・・・つくづく考えました。

施設へ入所することは子どもを捨てることではなく責任を放棄することでもありません。困り果てたあげく親子心中をと考えるのではなく、残された子ども、年老いた父親も共に生きて命を全うしてほしいものです。私の病状があまり芳しくないので、そばで励ましてあげることもいろいろと手助けすることもできませんが、生きてこそまた良いことに出会えると思います。どうぞ頑張って下さい。

私の長男は長いコロニー生活からレジデンス日進にかわって参りました。とたんに私が病気になり、入院し、娘の世話になっています。長い間顔を見ていないので、ほんの少し面会に行きました。顔を見たとたん真っ赤な目をして涙があふれそうな顔をしていました。でも泣かずに
「ガンバルよ」
といて、別れ際は笑顔で送ってくれました。

親子の縁は死してなお続きます。天上で見守れば良いのです。施設と本人の縁はずっと続きます。少しでも良き縁となることができますよう、あれやこれや考えてみましょう。

2010年1月27日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

バランスの良い現物給付と現金給付

本日の衆議院本会議で鳩山首相は「これからは現物給付と現金給付をバランスよく支給していく」と述べました。社会保障施策が現実的な対応になってきたと思われます。

民主党はこれまで、これからの社会保障施策について、現金給付を中心に政策をすすめると述べてきました。子ども手当てや農家の個別保障はその典型的なものです。

現金給付については、評論家が指摘しているように、その財源が確保できるのかという問題はもちろんなのですが、その前に、その施策が目的としている福祉サービスを利用者の立場に立って効果的に維持・発展できるかどうかについて問題があります。例えば子育て支援を目的として現金給付が行われた場合、実際に子育てに使用されるかどうかはわかりません。貯蓄や家のローンに回ることも考えられます。

現金給付は本来は、現金を受け取る人の生活の質を高めるためにある政策であるはずですが、現金給付を重視しすぎると、かえって地域福祉の衰退を招き、往々にして失敗をすることが多いと思います。例えば、ドイツでは高齢者福祉に現金給付が行われました。その結果、大幅に現金が高齢者の家庭にプールされ、結果的に高齢者福祉サービスが縮小し、地域福祉の衰退が起きました。日本でも高齢者福祉や障害者福祉でこうした方法がとられれば、より安く、より効率的な経営を行っている施設-つまりそれは大規模施設のことですが-に利用者は集中します。

つまり大規模な社会福祉法人は成長し、それとともに、地域の小規模な施設は衰退していきます。そうなると地域社会の多様性や連携による問題の解決力は失われ、「お金のかからないご近所の問題解決力」は失われてきます。そうなれば国全体としてみたとき、かえって高コストな福祉となりかねません。現金給付は一時的には利用者にとってありがたいのですが、しっかりと地域に根ざした現物の福祉サービスが存在しないとかえって悲惨な結果を招きかねないのです。

福祉の場合、やはり地域の中でバランスよく公共的なサービスの提供を行うことが必要になります。利用者の利便性を高め、いわゆる現物給付をバランス良く残すことが必須なのです。特に、遠く離れた大規模施設に行くのではなく、小さな地域社会の中で生活を維持することができる仕組みを構築する方法についてその方向性を指し示すことが必要となります。

今回の鳩山首相の「静かな方向転換」はとりあえずは良いことであると思います。

将来不安を払拭するためにも消費税の議論を

障害者福祉施設を安定した形で運営するためにはその財源を確保することが必要です。2006年の財務省の統計データを見ると、日本の国民所得に対する税と社会保険料負担の割合、いわゆる国民負担率は40.0%。でした。これはOECD加盟国29カ国中25位で、先進国の中でも低い方です。

財務省:国民負担率のグラフ

この中で主要な国を拾い出してみましょう。

デンマーク 70.9%(68.1%)
スウェーデン 66.2%(49.0)%
フランス 62.4%(37.8%)
イタリア 60.3%(42.1%)
フィンランド 59%(42.4%)
ニュージーランド 58.8%(57.1%)
ドイツ 52.0%(29.1%)
イギリス 49.2%(38.5%)
カナダ 44.4%(38.3%)
オーストラリア 44.1%(44.1%)
日本 40.0%(24.8%)
韓国 36.9%(28.5%)
アメリカ 34.7%(26.1%)
スイス 33.1%(25.1%)

特徴的なのはわが国の税負担率の低さです。わずか24.8%しかありません。よく「日本は税金の負担が高い」といわれますが、日本はOECD参加国29カ国の中で28位ですから、むしろ「日本は税が安い国」といえると思います。このデータは2006年のものですが、未曽有の金融危機で税収が落ち込みましたから、ひょっとすると、2010年のはOECD参加国の中で最低かもしれません。

税収入を確保するには消費税が優れていることは論を待ちません。消費税は法人税と比較して景気に左右される事が少なく、圧倒的に安定した収入となるからです。そこで、各国の消費税率を見てみましょう。

スウェーデン 25.00%(12%)
イタリア 20.00%(10%)
フランス 19.60%(5.5%)
オランダ 19.00%(6%)
イギリス 17.50%(0%)
中国 17.00%(17%)
ドイツ 16.00%(7%)
オーストラリア 10.00%(0%)
韓国 10.00%(10%)
アメリカ合衆国 8.25% 州ごとに異なる
カナダ 7.00%(0%)
日本 5.00%(5%)

()内は食糧品に対する消費税率です。

これを見るとわかるように、消費税についても日本は低い方です。

財政破綻は過去長い間放置されてきました。小泉構造改革においても、その後の政権においても、計画においてすら消費税を上げることを明言した内閣はありませんでした。これは安定した社会保障の仕組みを考える上で大問題です。責任ある政治を行うならば、消費税を上げることに言及しなければなりません。

消費税には逆進性があるといわれています。消費税を上げる場合、社会的な弱者に対する配慮、特に、障害者に対する配慮は絶対に必要です。世界各国の消費税のしくみを見ると、食料品に対する課税率がその他の商品とは別となっている場合が多いことがわかります。消費税率を上げる場合、食料品の消費税率については障害者に配慮する方式の導入をすることが必要です。

長期的展望に立って国の方向性を指し示すこと。それがなければ何時まで経っても社会福祉施設やそれを利用する障害者の不安は拭えません。消費税の論議はその始めの一歩だと思います。

ありがとう

昨年の11月末に愛知医大付属病院を退院し、近くの病院で月水金と透析を受けるようになり、暮らしは一変しました。

心臓と糖尿病と腎臓病と血液の病気ですから、食べるもの、飲むものに気をつけなければいけません。

水を飲むと透析時間が長くなる関係で、水は一日に飲める量が決められています。
ほんとうは汗をかくのが体に良いのですが、風呂に入ると糖尿病の関係で壊死した足先から血が出ます。
足から血がでると、人口心臓弁の関係で飲む薬のせいで血がとまりません。
少しでも動くといいのですが、先日、ひとりで動いて新聞を取りに玄関まで動いていったら転倒し、ひどくぶって危うく骨を折るところでした。

娘にも世話になりながら、生きている意義をどうしても考えてしまいます。ついつい早く楽になりたいと、死を願う私があります。

そこへハガキが一枚。お見舞いのハガキですが、
「35年程前、一番困ったとき、短期里親制度で娘を預かってもらい、一家が救われたことは終生忘れない。早く良くなるよう祈っています。」
との事。この方はお会いするたびに同じ言葉をいただける方で、これまでも、ほんとうにいつまでも感謝してこられる方だと感心してきたのですが、今回は、自分がへこたれているときだけにたいへん身にしみました。

おかげで、いつまで命があるかわかりませんが、生きている限り、何か人のお役に立ちたいと思うようになりました。今年から、私のほうがありがとう!!です。

2010年1月17日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝