地域福祉を進めるためにはさらに改革を進めることが必要

2008年は改革が中途半端な状況でストップしてしまった年です。介護や障害者支援事業の改革を進め、新しい介護の市場をつくりここに人材が集まるようにしなければなりません。

ところが、社会福祉は前にも後ろにも進めない状況の中で停滞しています。そもそも社会福祉法人が行ってきた事業は今はNPOがあり、株式会社も参入できるようになっています。
多様な経営主体が参入し、それぞれの得意分野でサービスを競い合うことが社会福祉法人改革の目的でした。
現実には報酬単価の低下や補助金のカットが先行して実行され、新しい参入者が激減してしまいました。その上、株式会社が参入するから不正が起きるというニュアンスの報道があいつぎ、改革のイメージが故意に歪められたと思います。

改革の大きな要素として地域福祉があります。地域福祉を進めるに当たって、施設解体という誤った考え方ではない新しいパラダイムに基づく地域福祉の推進政策が必要です。

これからは地域の生活実態に合わせた地方行政ができるように、思い切って地方に任せる政策が必要だと思います。本来、人間の生活を単一のサービスでくくることはできません。都市と農村地や山間部、水産業の盛んなところでは生活様式も異なります。

地域福祉を進めるには地域に産業があり人が戻ってくる政策が必要です。
具体的には農業振興、水産業や山林業の振興などを行うことが必要です。
そうした生活の糧があって、地域の福祉サービスも生き生きとしたものに生まれ変わります。

地域の伝統を受け継ぐことは那(国)を誇りに思うことであり、
那(国)のために働くことは人のために働くことです。
人のためになることは生きがいを持てる豊かな人生を送ることであり、生きがいを持てる生活を応援することが福祉の本質です。

地域で株式会社、NPO、社会福祉法人がそれぞれの役割を地域の実情に合わせて協働できる環境の整備が望まれます。
そのためには、そうした多様な経営主体が参入できるビジネス環境が必須です。

現状では改革がストップしているために経営努力をしているとは思えないような法人も市場から退出していきません。
同時に株式会社やNPOの介護ビジネスは青息吐息で目の前にいる利用者のために、使命を忘れることなく懸命に介護を続けています。

人材不足も依然として深刻です。派遣労働者が8万5000人契約を打ち切られるということが話題になっていますが知的障害者の分野の応募状況は改善されていません。
やはり介護報酬や支援費報酬の少なさが問題です。魅力あるビジネスにするためには報酬単価を<抜本的に>見直していただきたいと思います。

「地域福祉を進めるためにはさらに改革を進めることが必要」
これが2008年の改革の揺れ戻し実験の結論だと思います。

天皇陛下から御下賜金を賜りました

12月23日の天皇誕生日に際して天皇陛下からメイトウ・ワークスに御下賜金がいただけることになりました。本日25日には名古屋市役所におきまして伝達式がありました。
伝達式には私と豊田所長とレジデンス日進の浅井所長も同行して局長室へ参りました。

何年かに一度、全部の福祉関係者から愛知県で1箇所だけ選ばれるので、めったにいただけない賞だとお聞きしこよなく名誉なことと恐縮の極みでございました。

もちろん、メイトウ・ワークスの職員はじめ家族会の皆さんが利用者の幸せを願って30年近く営々と築き上げてきた実績といえると思うのですが、よくやってくれた!!と感謝の気持ちでいっぱいです。

所長たちが
「メイトウ・ワークスが開所したころから施設を開放したり、地域の人たちと色々な行事をやってきましたが、当時はまだ他の施設があまりそういうことをしていませんでした。奈々枝所長が地域を大切にしましょうと口癖のように言われ、そうしたことをいろいろやってきたことを懐かしく思い出しました。」
と言っていました。

「こちらから住民の人たちにはこんにちはと言わなくてはいけないよ」とか
「何かあったらすぐに地域の人のところにお伺いしなさい」とか
メイトウ・ワークスのやきもの祭りを地域の皆さんにお礼の気持ちで続けたこと・・・
いろいろなことがことを積み重ねてきたことが今日につながっているのだと思いました。所長たちが「職員に伝えていかないといけませんね」と言ってくれたのはとても嬉しかったです。

まだまだやるべきこと、やり残していることは山のようにあります。利用者の人たちがしっかりと地域の中で暮していけるよう、そして親も元気で毎日を楽しく充実した気持ちで暮していけるようこれからもがんばらなければならないと決意を新たにしました。

2008年12月25日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

寂光院のちりもみじ

12月2日、メイトウ・ワークスの家族会の皆さんに同行させていただいて、
犬山の寂光院、有楽荘などに行き、秋たけなわの風情を充分に楽しませていただきました。

寂光院は山のてっぺんにありますので、私は登って行けません。
下の駐車場で充分、美しい紅葉を見ることができましたし、織田有楽斎の茶室では素朴な中、高価な抹茶茶碗でお茶を味わうことができました。
お昼ごはんも美味しかったです。
繁雑な日常から遊離して、優雅な世界にひととき身をおくことは大切なことだと思います。

その優雅さについつられ、
昔、たびたび京都の大石順教尼の庵を尋ね、全教尼(順境尼の弟子)のお話をお聞きしながらお茶を頂き、心洗われる思いをしたことをメイトウ・ワークスのお母さん達に披露しました。

大石順境尼は芸子であったとき、父親に両腕を切り落とされました。
それでも父親を憎むことをしなかった。人を憎まず、自分を愛して生きてきたからこそ幸せであったとのことです。
その後、順教尼は仏の道に入り修行しながら尋ねて来る身体障害者の面倒をみながら仏に仕えられました。
京都の山科にある観修寺の中にある仏光院と可笑庵は順教尼のゆかりの庵です。

この頃は京都に行く機会もなく、心は少々くたびれてきましたが、
お母さん達と一緒にお茶をいただき、有楽苑の庭を散策して、ちりもみじを受けながら優雅なひと時を過ごすことができたことは、ありがたいことでした。

2008年12月13日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

司法判断をしなければならない時代

知的障害者の犯罪が起こりました。マスコミの注目度はやはり高いものがあります。

裁判員制度が始まります。すでに裁判員候補通知が送付されています。
日本の裁判員制度は世界でも特異な制度であるらしく、
1 量刑として死刑を含むこと
2 事実認定と量刑を含む制度
3 職業裁判員と選挙人名簿から無作為で選ばれる裁判員が司法判断を行う
など、いろいろな点で世界の制度とは異なっているそうです。

殺人事件ともなると非常に長い時間の審理が必要となります。
素人にもわかりやすく説明せねばならず、時間がさらにかかりそうです。
時間の長期化を避けるため、これまで職業裁判員が行っていた審理とは違い、いいかげんな審理にならないか心配です。
重大な事件になれば報道が裁判員の判断に大きく影響しそうです。裁判員の判断がこうした報道から自由でいられるか疑問です。

一般の人たちがこうした重大事件の審理に長く参加することに耐えられるかもありますが、
素人の私たちが今回のような知的障害者が犯した犯罪について、死刑という判断をすることの重みに耐えられるのかについても疑問があります。

人が人を裁きその結果に人の命がかかわる・・・これは重大な判断です。やはり職業裁判官だからこそ正しい判断ができるというものです。

裁判員が死刑の重圧を避けるため、どんな犯罪を犯したとしてもこうした被告に対して無罪という判決が増え、結果として知的障害者や精神障害者に対する不当な差別が増えてしまうのか、
あるいは、西洋の「魔女狩り」を連想させるような、とてつもなく暗い時代に入ってしまうのか。

誰かこの制度をとめてくれる政治家はいないのかと思います。

新たなビジネスモデルの構築を

この1年、世界は不景気の時代に入り、しばらくの間は地方自治体の財政難から知的障害者福祉についても危機的な状況が続くと思われます。
名東福祉会はこうした厳しい時代の中にあっても、利用者の満足の探求を続けていかなければなりません。

現在の障害者福祉は横並び、官主導で運営されていて、まさに「古いビジネスモデル」で経営が行われてきています。
こうした体制のもとで緊縮的な財政政策がとられると、それにつれて、最も末端の下請け作業を行っている授産施設などの障害者福祉サービスもジリジリと衰退してしまう傾向があります。
障害者雇用や就労支援などのしくみが崩壊してしまわないよう行政によるなんらかの手当てが必要であることはいうまでもありません。

その一方で、私たち社会福祉法人の経営についても、自ら変革していくことが必要です。
社会福祉法人が長期的に安定して利用者の満足を追求し、新たに地域のニーズを掘り起こして地域に根ざした組織として定着していくためには、
私たちが社会福祉法人の中核的な競争力、すなわちコア・コンピタンスを持てるように変わって行くことができるかどうかにかかっているといっても過言ではありません。

世界的な不況により、今後も数年間は国内の産業構造が大きく変貌していくことが予想されます。
企業は生き残りを掛け、雇用の調整など様々な分野で流動化が起こり、それにあわせて新しい競争力をもったサービスが創出されることが考えられます。
これらの中には、従来福祉的な分野に限定されて提供されてきたようなビジネスモデルも出てくることが予想されます。

いわゆる企業内に設けられる障害者就労支援センター、
高齢者ホームと障害者ホームの複合モデル、
障害者多数雇用農業法人モデル、
企業内保育所、
企業連合的なNPO組織が経営する障害児療育センター、
企業や自治体を顧客とした障害者多数雇用事業所、
など、新しい福祉モデルがその芽を吹き出しつつあります。これまでは実験的な試みであったものが、確固たるビジネスモデルとして福祉分野に進出してくるはずです。

また、そうしたビジネスを支える基礎技術の分野の進展も見逃せません。
介護ロボット産業の進化、
通信技術の進化と遠隔地の生活支援技術、
電気製品のインテリジェント化とネットワーク化による見守りシステム、
福祉事業・医療関連ソフトウェアの進化、
都市における自動車利用のしくみ
福祉ケア付きマンション
行動科学の進展
など、新しい福祉ビジネスモデルの創出を支える産業技術も育ちつつあります。

人の流動化、社会資源、基礎技術の進展により、これまで考えられなかったような新しい福祉ビジネスモデルが生まれて来るのではないかと予想しています。
肝心なのは世界的な経済の変動に連動して流動化した雇用を吸収しつつ、行き場を失った資金を集めて福祉ビジネスの進化が始まるのではないかと思われる点です。

私たち障害者福祉分野の人間は、この数年の間、障害者自立支援法ショックに翻弄されてきました。
新しい福祉ビジネスモデル創出へのムーブメントについては、障害者福祉分野では工賃倍増計画がいくつかの福祉大会で提案された程度で、ほとんど意識もされていないのが現実です。

私たち社会福祉法人は旧来からの古い福祉モデルにしがみついているわけにはいきません。すなわち横並び主義・要求行動至上主義・天の声待ちの体制から、
新技術に積極的に関心を持ち、
地域ニーズと利用者満足の追求のために、新たな展開を求めていくことが必要であると思います。

一時の現象でしかない規制強化への揺れ戻し施策や、福祉予算への一時的財政出動に気を緩めることなく、今後10年のスパンで社会福祉法人の改革を継続していくことが必要です。
厳しさが増す今こそ、新しい時代に向け、社会福祉法人の持てる力を結集していくことが必要なのではないでしょうか。

ノーマライゼーションは障害者を不幸にしていないか

近年、ノーマライゼーションや権利擁護についてこれまでとは全く異なった角度から批判が強くなってきているように思います。

特にインターネットの世界では一般の人たちからのノーマライゼーション批判が強くなってきています。なかには目に余るような汚い言葉使いで知的障害者をののしったり、不当な恐怖を煽るような書き込みが増えています。

ノーマライゼーションの考え方は障害者団体の「錦の御旗」でした。もちろん名東福祉会もこの理念を掲げて30年が経過しています。

ここで確認しておかなければならないことは、ノーマライゼーションは福祉サービスを低下させたり縮小したりすることではないということです。入所施設を解体することがノーマライゼーションであるかのように喧伝する人がいますがこれは誤りです。

本来のノーマライゼーションは、障害がある人に必要なケアを提供し、必要なサービスを自由に選択することができるようにすることです。知的障害がある人の教育や支援は、幼児期や学齢期に最適な方法であたれば、その後の人生のすべての問題が解決するわけではありません。むしろ、適応行動はまわりの人たちの継続的な働きかけによって改善されますが、不適切なかかわりかたで不適応行動も増えていくのが行動の原則です。支援や教育をなくすことが自立支援ではなく、適切に継続していくことが自立支援であり、継続的自立支援の行き着く先がノーマライゼーションなのです。

最近、知的障害がある男の殺人事件が報道されました。関係した方々の失意を思うと胸が痛むばかりです。

こうした事件が起こるたびに、知的障害のある人たちにサービスを提供しているものとしては、地域ケアのしくみが圧倒的に不足していることを感じます。名東区生活支援センターのリポートにもあるように、知的障害者が主体的に地域で生活し、明るく健やかに人生を送るためには、選択できる福祉サービスが不足しているのです。

地域福祉時代といいながら、一対一の母子関係に強く依存した閉じた生活を強いられる状況に追い込まれている事例が多いのです。行政の担当者や専門家は、セルフアドボカシー(自己権利擁護)というような難解な言葉を導入して、何もしない、何もできない状況を是とすることはあってはならないことです。

一方、現在の法曹界に広がる権利擁護運動についても首を傾げたくなるような事例もないわけではありません。障害者だから責任がないということについてもそれが果たして権利擁護といえるのかについても考えていかなければならないと思います。たとえ知的障害があっても同じ人間として<罰を受ける義務や権利>もあるのではないか、それが本来のノーマライゼーションではないかと思う事犯も多くあります。

私たちのように障害者福祉を実践する団体も、そろそろノーマライゼーションという言葉について考えなければならない時期に来ているのではないでしょうか。

今年はみかんが大豊作だそうだ。

岐阜県養老山脈のふもとにある南濃町はみかんの一大産地。山中、みかん色にきれいに染まっていて壮観だそうだが、このみかんがまったく収穫できない。

収穫しても費用がかかり価格があわないそうだ。農家の高齢化の問題もある。収穫できないみかんはそのまま完熟になって下に落ちたり、鳥がついばんだりしている。

こうしたみかんを施設の親の絵がみかん狩り観光も兼ねて収穫できないものだろうか。2トントラックをバスに併走させ、バスに乗った人たちが収穫する。名東福祉会の新しい焼き菓子の店「ロト」
ここには駐車場があるのでみかんを並べてバケツ1杯100円で販売できたら面白い。

農業にはこうした当たり年や不作の年がある。名東福祉会は都市と農村地帯の境にある。都市と農家を結ぶサービスとして日中活動を企画しやすい。こうした地の利を生かせば地域とのつながりも自然に深まるし、様々な意味で利用者の生活の質もあがるのではないだろうか。

あいさんはうすの竣工式

11月28日は愛燦会が建設された障がい者センター「あいさんハウス」の竣工式にお招きを受け、
名東福祉会の関係者とともに列席させていただきました。

建物はとても明るく、便利で、4階建てのすばらしい施設です。
いろいろな工夫があり今後の活動にご期待申し上げます。
理事長の中野さんのごあいさつの中で、
「あなたが楽しいと、わたしは嬉しい」
をスローガンに歩んでこられたとのこと。私はジーンとしました。

まわりの人たちの幸福を喜び、まわりの人たちの苦しみを悲しむ。
人と人が支えあい、お互い様、おかげさまで生きていく。
人としてのもっとも大切な生き方を教えられたようですがすがしい気持ちで帰ってきました。

2008年12月3日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝