1990年代からすでにノーマリゼーションに対する反省は始まっている。
ノーマルな生活様式により幸せになるというのは本質的な議論、すなわち自己決定の議論を欠落している。
アメリカでは1980年代、イギリスでは1990年代にシフトが始まったが、日本では障害者福祉の主要な理念はノーマリゼーションにとどまり、世界的な潮流から約20年の遅れとなっている。

エンパワメントは自ら決定する体験を積み、自ら選んだ生きがいを見出すように支援することだ。
典型的な障害者エンパワメント論では
1 障害は本人の悲劇ととらえるのではなく、社会的疎外ととらえる
2 障害の克服は本人の問題ととらえるのではなく、社会の課題としてとらえる
3 個人の治療にとどまるのではなく、社会に包含される環境作りを行う
4 治療優先からセルフヘルプを優先する
5 本人の経験と学習環境、学習体験の尊重
6 本人の適応状態を延ばすとともに社会の意識変革を重視する
というように障害をとらえている。

もう少しかみくだいた表現に変えると、
1 障害は地域の人たちの協力のしかたやふれあい方で問題が大きくかわります。
2 障害がある人たちとの交流の場を設けたり、障害がある人の役割ができるような場面を地域の中に作りましょう。
3 施設では意味のない訓練ではなく、小さなことでもよいので人の役に立つような仕事を行うことができるようにしましょう。
4 まわりの人が全部助けるのではなく、できるだけ本人が自分ができることを増やすように練習したり、本人が生活しやすいようになる工夫をみんなでしましょう。
5 これまでに経験したことや人との交流で学んだことが新しく本人の糧になり力となり、障害を克服するエネルギーになります。
6 本人ががんばる以上に、まわりの人たちの意識がかわるよう地域社会に対して訴えていきましょう。
ということだ。

自分の体にもいたわりを

暑中お見舞い申し上げます。
毎日たいへんな暑さが続いていますが、皆さん体調はいかがでしょうか?
私は、実は皆さんから傘寿のお祝いをしていただく数日前から体調をこわしていました。せきが出て、多分クーラーのあたりすぎによる風邪の状態で、愛知医大でレントゲンをとって頂いたところ、私自身もびっくりするほど肺のほとんどが網の目のような白っぽさで映し出されていました。
即入院と先生に告げられて私は一瞬たじろぎましたが、すぐに
「コロニーの息子が夏休みで帰ってきますので、入院しておられません。」と言いました。
言っている自分がいやになるほどおかしい言葉だと自分で悲しくなり、ショボンとしていると、先生は
「この2~3日しっかり寝てて下さいよ。」
「息子さんのことはわかるけど、貴女の体が丈夫であってこそですからね」
と念を押されました。まったく先生のおっしゃるとおりで<いつ死んでもいい>と常日ごろから豪語していた自分の浅はかさを悲しく思いました。

時も時、利用者さんのお母様が肺がんでお亡くなりになり、今後どうするのかが福祉会の中で検討されました。これからドンドン出てくる課題です。レジデンス日進を建設したものの定員という枠があり、これでいいというはずはなかったのです。そして、ケアホームももうじき建ちますがたがが10名です。「地域に生きる」といっても、地域の中で今まで通っていた作業所すら通いにくい現実が目の前に出てきました。

親も子も生まれてきた自分の人生をより輝かしい終末にしたいとみんな思っているのですが、私自身ももう一度深く掘り下げて考えねならないと思いました。
おかげさまで、名東福祉会の嘱託医の福嶋先生がいろいろと気遣ってくださって、このところもちなおし、私は少し元気が出てまいりました。
すると、ムクムクと今後のことが考えられ、どこかへすっ飛んで行きそうですが、「待て待て」と自制しているところです。
気遣ってくださった方々に申し訳ないことはいたしません。

2008年8月5日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

自立支援の評価

障害者自立支援法はその理念において誤っているわけではない。問題は自立支援に必要な予算を十分につけられていないことにある。

支援法ができて名東福祉会では
1 支援センターでニーズアセスメントを地域で行うことができるようになった
2 地域の社会資源間の連携が進んだ
3 児童デイサービス制度を利用して「たけのこの家」で行動療育を行うことができるようになった
4 緊急時になんとか対応できる道が開かれた
5 現在利用している施設を継続利用しながら別に生活の場所を利用することができるようになった
6 補助金の規格に適合した施設を作るために、現場のニーズに合わない設備にお金を使わなくとも良くなった
などができるようになった。これだけの効果はやはり支援法がなければ達成できなかった。

障害者自立支援法の問題はこれまで
1 障害者本人負担の問題
2 障害程度区分判定の問題
3 激変緩和の問題
などの問題に焦点があてられてきた。安部内閣に続き福田内閣の支持率の低下に歯止めをかけるという政治的意図も手伝って、障害者自立支援法による激変を緩和する交渉が「成果」をあげてきたが、そのたびに支援法らしさが薄まり、結果的として自立支援法の本来の精神から離れ、措置の時代に回帰して行ったことは否めない。
この問題は関係者がもう少しシンプルに障害者福祉予算の問題として協議できることが必要だと思われる。

予算の協議がみのりあるものとなるためには、肝心の自立支援の効果をどうやって測定するのかという根本的な議論を避けるわけにはいかない。
従来の評価は従来型の施設サービスからより地域福祉とみなされるサービスに移行することに絶対的な価値を置くため、移行しないことが不当に評価が低くなる。
たとえそれが本人のQOLの向上にとって必要欠くべからざるものであっても入所施設利用を継続することは「悪」となる。

これは自立支援法を設計した段階で意図的に仕組まれている。一部の学者や施設経営者が施設解体をレポートし、入所施設を絶対悪のように述べることがそうしたからくりを正しいもののように錯覚させてしまう。

支援法ができてからの名東福祉会における6つの効果を述べたが、これらは施設の「移行」とは無縁だ。
本来、本人のQOLの向上は施設や働く場を「移行すること」とは無関係だ。QOLの向上は本来、本人のニーズをどれだけ実現できたかで問われなければならない。その意味では障害者本人もサービス提供者も地域社会も行政もともに本人のQOLの向上を認め合うことができる共通の「指標」を開発することが急がれるのだと考える。予算はそうした指標のもとに編成されるべきだ。

障害者自立支援法の見直し時期まで残された時間は後わずかしかない。