パネテリア・ロト内覧会

レジデンス日進につばめが2羽帰ってきました。とても若々しく、美しいつばめでした。
昔からつばめが巣作りする家は栄えるといわれています。

つばめは稲を食べる虫を食べてくれます。
お米さえあれば後はわずかな野菜や魚、時々の卵で生きてゆけたわけですから、お米を守るつばめを大切にするためにそうした格言が生まれたのでしょう。
また人が多く行き来する玄関は木の枝も取り払われて蛇などの恐ろしい天敵も少なく、雨露もしのげ、つばめにとってもいごこちのよいところなのでしょう。

でも私はそうした行動の成り立ちよりも
つばめは大きな建物の中でも玄関という人の出入りの多いところに巣作りをして家を守っていると考えてしまいます。
また知らず知らずのうちに人を守っていることで、つばめ自身も知らず知らず守られていると考えるのです。
知らず知らずのうちに、知らず知らず支えあう。それが生きているもののあり方。何事にも感謝することが大切と考えてしまいます。

そうした考えとはぜんぜん関係なく、レジデンスの利用者さんたちはつばめが来るととても喜んで眺めていました。
利用者さんのほうが一枚上手です。

パネテリアロトの内覧会が今日(18日)行われました。
家族会が対象で、各施設のお母さんたちが沢山来てくださいました。
「とても明るい感じ」
「おしゃれ」
「広い」
「車椅子トイレまである」
「コーヒーもおいしい」
「ランチがあるといいね」
「駐車がたくさんできる」
「ここで何か催し物ができる」
「役員会をここでしようよ」
「赤池から4人でタクシーに乗ると150円。くるりんバスより安い」
などなど、とても好評でした。沢山来てくださってありがとうございました。
ボランティアさんもたくさん来てくださって助かりました。
傑作なのは一般の若いカップルまで入ってきてお母さんたちのずらり並んだ圧力に押されてそのまま帰って行かれたことです。

利用者さんたちはいつもより楽しげにクッキーつくりの作業をしていました。
お弁当も、ボランティアの皆さんと一緒に楽しく食べました。
さあ、明日は利用者さんたちが来てくれます。私もがんばらなくっちゃ!!

2008年4月21日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

はまなすの家族会総会

はまなすの家族会総会に出席させていただきました。久しぶりの出席なので、とても懐かしく思えました。
いつも所長からグループウェアやメールで利用者のヒヤリ・ハットをはじめ、その他の報告を見ていますので、だいたいはわかっていましたが、久しぶりに家族会の皆さんのお顔を見てみんなとってもお若く、美しいのには驚きました。

この影には所長さんの細かいひごろの配慮と利用者本意の療育が反映しているからだと思いますが、親さんたちの和気あいあいといった雰囲気が伝わってきてとても心が和みました。

無事総会を終え、昼食は尾張旭市のきりやまで迎えのバスで出かけました。

私の一挙手一投足まで誰もが気遣ってくださり、とても嬉しく思いました。
食事の間にはメイトウ・ワークス立ち上げの頃の苦労話、グレ希望の家の話まで飛び出して、30年の歴史の重さを感じ、みんなで協力して運営して言っている名東福祉会の特徴をつくづく感じました。

はまなす周辺の地域は施設が建つ前は強い反発がありましたが、施設が開所して以来、徐々に、徐々に反発が薄まりつつあります。
住民の人たちから建設の同意を得るため、当時は、深夜まで何べんも何べんも深夜12時ごろまで町内の人たちと話し合いました。
一軒一軒訪問して、ご理解を求めて説明したあのころのことがよみがえってきます。
当時、地域の自治会と取り交わした40項目の協定書を守り続けてくださった所長さんたち、そして家族会のみなさま、ありがとうございました。

昨日は
「バザーなどもやりたいね」
「裏のアパートに空き部屋がありますので、借りてグループホームにしたらどうか」
などと前向きの話も出ました。

30年というのは親も子も確実に歳をとる年月です。これからますます悩みが増えますが利用者の幸せを願ってどう準備していけばよいのかいっしょに考えてゆきましょう。

2008年4月17日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

名東福祉会は家族参加型の社会福祉法人だ。名東福祉会の家族会の法人に対する協力は県下でも第一級であると自負している。

この協力があるのは家族会の要望に職員諸君が答えてきたことによる。要望になんとか答えようとする職員がいるからこそ、家族も要望を出し、家族会の協力も生まれる。

家族会と職員が連携して知恵を出し合い、協力しあいながら現場を良くしていくことは本来望ましいことだ。
これだけの法人ができ、県下でも評判が良いサービスを実現できているのもそうした循環があればこそだ。

ただ、だからこそ家族会のひとりひとりが要望を提出することには抑制的である必要がある。
要望を実現するにはどんな小さなことでもそれなりのコストの移転が発生する。
言い換えればどこかに資源を投入すればどこかが削られる。常に合理化ができ、無駄がなくなればよいがそうではないことが多くなっている。

人件費が70%を超えるような現場では、経営的に見てギリギリの状況である。
そうしたなかで、名東福祉会は正職員化を進める、給食の内容を改善するなどの努力を続け、ケアホームを建設するなどの計画も進めている。

障害者自立支援法が改善されて、直ちに倒産するというような危機はとりあえず去ったとはいえ、政策の中心は自己負担の軽減だった。法人の収入はそれほど伸びていない。
現在も経営的な危機は続いている。この危機を乗り切るためには家族会の良質な協力が必要なことは変わりない。

家族会はモラルを自ら高め、職員に協力すべきは協力して利用者の幸せの向上に常に努力すべきである。
そうした努力が職員の熱意を高める。

行き過ぎた権利意識

このところ様々なニュースで「障害」ということばが使われる。
行動障害、対人障害、人格障害、パニック障害、境界性人格障害、社会不安障害、適応障害・・・・・
症候群ということばもよくつかわれる。

まだその実態さえわからないにもかかわらず使用されている言葉も少なくない。国際的に定義された「知的障害」のようなことばや概念とは全く異なる。

問題はそうした言葉を発信している人と、受け取っている人が同一の定義に基づいて理解し合っている状況はほとんどないということだ。いったん「言葉」として流布してしまうと、安易に使われ、つぎつぎに別の意味が込められて広がってしまう。あわせて、「障害」という概念や連想もまたどこまでも広がっていく。

本来、「障害」というからには、健常者がサポートすべきであることを暗に示唆する。社会福祉法人が存在するのもそのためだ。しかし安易な「障害」の広がりは際限なく「健常者」の義務を広げることになり、ゆくゆくは「健常者」の障害に対する拒否や拒絶に結びつく。

昨今では道徳の破壊を生み出しているのは「行き過ぎた権利意識」だという指摘がされるようになってきた。これだけ「障害」や「権利」がやたらに使われれば当然の批判だ。

知的障害者や身体障害者の生活の質や社会参加を促進する上で、社会からの協力が不可欠だ。したがって、知的障害、身体障害のサポートを職業とする私たちは、安易に「障害」の概念を広げることを慎まなければならない。

障害者の権利を主張することについて、私たちはより注意深く、深慮して行動する必要があるのではないだろうか。

桜は散るときがいちばん美しい

4月8日、このところレジデンス日進の前の数本の桜が満開でとても美しい景色でしたが、今日は新しい年度の入学式に参列するらしい、着飾った3人連れの親子の上にハラハラと桜が散り始めました。えもいわれぬ美しい景色でした。

先日、グループで座談会をした親さんたちの中に発達障害のお子さんを持つ方がおられました。
そのなかには巣立ちへの不安を語られた親さんも居られました。
新しい学校での不安は、もっともと思いますが、どうぞお母さんたち、ピリピリと過敏にならず、お母さん自身がゆったりとおおらかに暮らしてほしいと願います。

障害がある子どもの子育ては望みすぎてもあきらめてもいけません。
「ほどほど」という言葉はいちばん難しいかも知れませんが、一日ひとつはよいことを見つけ、いただいた喜びに笑顔を忘れないようにしましょう。

いつも心豊かに子育てをしてほしい。そのためには美しい桜の散るのをゆったりと眺めて豊かな心を忘れないこと。
これからいっぱいつらいことと出会いましょうが、そんな時は美しい花を見ることが一番です。

2008年4月8日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

暫定税率を廃止して環境税

道路特定財源を廃止して一般財源化を進め、環境税とするという首相の提案は民主党も自民党も反対。福田内閣としては珍しく改革路線の政策だったが・・・。今後も混乱が続きそうだ。

道路特定財源の一般財源化は障害者福祉にとってはプラスなのではないか。この時点で環境税の中身がわからないが、「車に過度に依存しない生活と街づくり」はハンディをもった人たちの暮らしにはプラスになるように思える。

「環境税」の使途目的として高齢者、子ども、障害者にとって住みやすい町をつくることを目指す。歩いていけるところに生活に必要なすべてのものがそろう街をつくる。大きな矛盾はないはずだし、具体的に国民の理解を得られる使途を考えるならば、そうした方向性にならざるを得ない。

福祉サービスを提供する側からしてもそうした街づくりは費用対効果に優れている。

もっとも真に必要な政策を進めるために2大政党が存在しているわけではない。小沢民主党にも自民党にもそうした改革を進めていくという意識はなく、低空飛行を続けなければならない障害者福祉にとっては不幸な日々が続く。