楽しい施設ライフをつくる

■「正の強化」で利用者のQOL向上をめざそう

障害者自立支援法で日中生活の場と生活の場が分離しました。今は施設の建物は昔のような規制はありません。国庫補助金を使って建物を建てるのではなく、町の店舗や民家を利用して地域の中の資源を利用していくことができます。でも、どうせやるなら楽しくやりたい。こんな時代だからこそいろんな人たちを巻き込んで、毎日を楽しく明るく過ごすことが大切だと思います。
楽しく活動できる場を増やしていくことがこれからの日中活動の場作りのポイントとなると思います。

「楽しさが増すこと」は、支援技術の世界では「正の強化で維持される行動の機会を増やす」ことと考えます。
行動には3つの側面があります。A:先行事象(きっかけ)→B:行動→C:後続事象
C:がBに続いて起こるとBがだんだん増えていく。これが正の強化です。

施設の中に、「正の強化で維持される行動の機会」をふんだんに設け、増やしていくことが支援の目標です。
別のいいかたをすると「罰によるコントロールがない施設ライフ」をどうやってつくっていくかです。
「楽しさ」とはやや趣を異にしますが就労継続支援や移行支援についても報酬という正の強化があります。
いずれにしても利用者も職員も、罰をさけるためにその活動に参加するのではなく、それをしたいからやる。楽しいからやる。そういう機会をいたるところに設け、そのなかから活動を利用者に選んでいただく。これが楽しい施設ライフです。そうした施設環境の生活は自由も感じることができます。

特定の利用者は楽しいんだけれど、まわりにいる利用者は迷惑千万では困ります。いわゆる問題行動ですが、問題行動についても正の強化で維持される望ましい行動を増やすことによって問題行動を減らすことができます。施設ライフを利用者も施設職員もみんながエンジョイできる活動-それが楽しい施設ライフであり「正の強化で維持される施設環境」です。

■「わいがや」で楽しい日中活動を

先日、メイグリーンの跡地をどうやって利用するかについて話し合いがもたれました。
天白区でパン屋さんをやっていた稲熊さん、支援スタッフが集まりミーティングが始まりました。そこへたまたま立ち寄ったケーキ教室を主宰している林さんも加わり、「わいわいがやがや」となったそうです。
いろいろと楽しい企画が検討されました。パン屋さん、ケーキ屋さん、ボランティアの集会所や行動療法の研修会場など多彩なアイディアが出ているとのこと。知的障害者のための魅力ある日中活動拠点として大いに期待されます。

現在、日本の各地でこうした企画が進んでいます。
京都市伏見区の知的障害者通所授産施設「ぐんぐんハウス」では冷やした焼きいものスウィーツを販売しています。焼き芋づくりは14人の利用者が担当。
材料のサツマイモを水洗い、塩水に浸し、グリルで焼き上げ1本150円。注文を受けて届けたり総合支援学校に販売しているそうです。

埼玉県の身障害者地域デイケア施設「工房森のこかげ」では手作りのパンの販売を始めています。老人センター、JAが協力して特産のコマツナを練りこんだ小松菜食パンやクルミ食パンなどを販売。
人気は「こまちゃんゴマあんぱん」(120円)で黒ゴマあんにクルマ入りだそうです。

社会福祉法人「時津町手をつなぐ育成会」(山内俊一理事長)が経営する障害者多機能型事業所「エリア21」ではレストランのほか、作業所や農園でも研修を積み、実社会での就業を目指しています。
レストランの営業は午前11時から。手作りの和食料理(1200円と2000円の2種類)や子ども向け(650円)の料理を日に30~35食用意しているとのこと。飲食店経営は難しいのですが、自分たちがもっている資源をうまく活用し運営に生かされているようです。

障害者自立支援法時代を迎え、これからの施設づくりはこれまでとは違うノウハウが必要になってきます。
人材難や財政難があります。こうした時代を乗り切るためには魅力ある「場」づくりが必須でしょう。多くの協力者を必要としています。できるだけ楽しい活動を展開し、協力者を得ながら地域活動を展開していくことが私たちに与えられた課題であると思います。

愛知県心身障害者コロニーの地域移行推進課の主催で現地見学会がこれまで3回開催されています。
私はなんでも体験したいたちなので参加しています。
今回は社会福祉法人みなと福祉会です。
市営住宅の1階を改装してグループホームにした「みなとホーム南陽」
昨年7月に開所した知的障害者通所更生施設「うろじの家」
毎日、ホテル食パンやフランスパンなど30種類以上のパンを焼いている「ぱんだふる」などをまわりました。
お弁当を作って地域の高齢者に宅配をしている「しおかぜ作業所」についてのお話も伺うことができ、みなさん感心されていました。
愛知県コロニーの入所授産施設からこちらに移動してきた人の生き生きとした顔に、今も愛知コロニーを利用者しているお母さんたちは驚き、かっての旧友に再会できて手を取り合って喜びました。
ほんとうに楽しそうに暮らしている姿を見ると、受け入れて下さった施設側のいろいろな努力が忍ばれました。
愛知県では愛知県心身障害者コロニー再編計画が打ち出され、コロニー利用者の人たちが地域の社会福祉法人へ移動していきました。
これまで40年間、地域の中にとけ込んで生きていく愛知県心身障害者コロニーになれなかったことが悔やまれます。

2007年7月20日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

昭和42~3年ころの話だったと思います。この頃の親の願いは知的障害があっても学校教育を受けられること。養護学校義務化の法案が通り、名古屋ではすでに多くの特殊学級ができていました。

でも、せっかく通えるようになった学校ですが、特殊学級は学校の中で孤立しているというのが親たちの間で大きな問題になっていました。孤立しているのは生徒たちだけではなく、先生も親も孤立していて、ほとんど交流はなかったのが実情です。

それでも非常にユニークな「名物」の特殊学級担任がたくさんいらっしゃいました。学校での特殊教育が楽しく実りあるものになるためには他の生徒さんたちとの交流が非常に大切であることを、その当時から特殊学校の担任の先生たちはご存知であったのです。反面、特殊学級に配属されたことを非常に落胆され、どう手をつけていいのか考えあぐねている先生たちも多くいらっしゃました。

名古屋手をつなぐ育成会の事務局長をしていた関係で、特殊学級に在籍している親から相談を受けたことがあります。
「PTAの役員になって特殊学級の先生たちを孤立させないようにしたり、生徒を暖かく迎える雰囲気作りを特殊学級の親たちが率先してやってほしいのです」
と切り出しました。
「でも、学校では特殊学級の親はPTAに入っていません。だから役員にはなれません。」
「校長先生と話をするような機会はありません。」
そんな答えが返ってきました。どんなに自分の子どもが悪いことでもすぐに校長先生に怒鳴り込む今の時代とは全く違っていました。

特殊学級の担任がおかれている厳しい孤立感や疎外感、親たちが感じている悩みをいろいろな人々にお伝えしているうちに、私は名古屋市の教育長とお話をすることになり、結局、学校校長会で特殊学級の実情を話す羽目になりました。

その後、知恵遅れの人たちをなんとかしなければならないという雰囲気が生まれ、「ちえの友鉛筆」という鉛筆の共同購入運動を学校を通してやっていただけることになり、手をつなぐ育成会の収益となり、その後の障害者授産施設建設のためにたいへんありがたい結果となりました。ただ、ちえの友鉛筆の運動は特殊学級担任自身の反対者もあり、知的障害がある子どもたちが支え合って健やかに生きていくという目的には遙かに遠い道でした。

2007年7月15日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

参議院議員の山本保事務所の武田秘書と雑談してきました。参院選のまっただ中であったため、ほんの20分ほどの会談でしたが、いろいろと有意義な雑談を交わすことができました。

武田さんは先進国の主な政治的テーマは福祉になると考えています。日本の首相も最近では小泉さん橋本さんなど厚生大臣を務めています。民主党の菅さんも厚生大臣のときに人気がでました。
阿部さんの場合には当選回数も少なかったので、厚生労働大臣は務めていませんが厚生委員会を経験しています。
日本の場合にはまだ憲法を見てもわかるように先進国的な政治体制がまだ整っていない段階なのでこれからなのかもしれませんが、10年という単位で見れば厚生労働行政が国の主要な政策になることは間違いありません。

話はプレッシャーグループ(圧力団体)の話になりました。福祉施策を変えるためにはどうしてもプレッシャーグループをつくることが必要です。

政治連盟といえば日本医師会と自民党との関係が有名です。障害者自立支援法をきっかけに、日本知的障害者福祉協会も政権与党を対象に政治連盟をつくる方針を打ち出しました。
しかしこれまでのような特別な人のための特別な人がつくる「閉じた空間」だけでいいのかは疑問です。へたをするとこれまで問題となってきた利益誘導のための政治活動にとどまる恐れがあります。

武田さんは自民党に対するアンチテーゼとしてのプレッシャーグループを作るよりも、与党に入って福祉改革を進めていく方がより現実的な戦略であると言っておられました。公明党の立場です。

福祉をやっている人もより透明性を高め、より幅広いプレッシャグループを形成することが必要だということを武田さんは指摘されていました。これからの福祉活動はより透明性を高め、よりオープンに多様な人を巻き込んで活動していくことが求められるという意味です。ディスクロージャー(情報開示)は単に領収書の開示ではなく、開かれた福祉活動になることを意味します。

もう少し具体的にいうと、福祉分野以外の企業、医療現場、教育現場などいろいろと連携してよりオープンに活動をした方がよいということです。

こうした人たちとの連携はやっていなかったわけではありません。福祉現場でより質の高い実践を行おうとすればかならず他領域との連携が必要になるからです。でも、私たちにはプレッシャーグループを形成するという目的意識があったとはとてもいえません。名東福祉会として反省すべき点であると思いました。

今、国の医療政策では急性期病院と回復期・療養型病院の機能分離政策が進んでいます。終末期医療や回復期や療養期に莫大な費用がかかるため、医療は急性期だけを対象とし、他は他の福祉的分野にだんだん渡していこうという政策です。

療養病床は現在医療型が25万床、介護型が13万床、合計38万床あるというふうに言われています。2012年(平成24年)には医療型を10万床減らし15万床にし、介護型は全廃するという計画になっています。
こうして療養期や回復期の人を病院から減らすと言っても、追い出すだけではだめでその代わりとなる受け皿を用意しなければなりません。福祉現場がこれらの人々の受け皿となる必要があるのです。

企業に対する就労やより工賃を高めるための就労支援活動は企業との連携無しには成功しないでしょう。
幼児の療育活動を行えば、必ず学校教育との連携が必要になります。
社会福祉法人よりも株式会社が提供するケアサービスの方がふさわしい福祉分野もあるかもしれません。そうした事業所と連携した方が利用者の幸せに近づけることはあきらかです。

知的障害者の人たちがよりよく生きていくためには、こうした連携先に今の制度の問題点を相互に報告していく活動が必須です。
知的障害者の支援には、そもそも支援活動の問題点を社会に対して報告していく活動が含まれることを改めて確認できた会談でした。

7月2日 「花」というグループがあります。日進市を中心に活動をしている障害児の母親のグループです。
この会が主催で豊明市のメイツの理事長、三浦さんの講演がありました。テーマは全国組織の手をつなぐ育成会のこととか豊明メイツの活動の内容です。
若いお母さんたちは自分の子どもたちの学校教育修了後、卒業後の進路をどうするのかが最大の関心事。
今どんな進路があるのか、その進路に進むためには今何をしておくべきなのか、みんな真剣です。
こうして法制度が動いているときはなおさらです。

明けて3日と4日は長野県松川の奥にある大鹿村というところに行ってきました。
山奥に昔の庄屋さんの家を借り、米をつくり、畑を耕し、陶芸や絵を描いている人がいます。
夏にはおおぜいの人が訪れるので自炊をして夏を過ごすとよいとのこと。
紹介して下さったのは日進市にある精神障害者の授産施設ゆったり工房のK先生。
「遠いので私が行くときさそってあげますよ」
とK先生。でも、そんなことを聞いたらいてもたってもいられない私は友人をさそって出かけました。

南アルプスの青いケシの花を見に、山のてっぺんまでえっちらおっちら登り感動したまでは良かったのですが、
思いもかけず山の中で道に迷い、予定の時間が来ても目的地へ着けません。簡単なハイキングでもさすがに大自然の中。侮ることなかれです。さんざん苦労したけれど楽しかった。とても良い体験となりました。

いろりで鮎を焼き、国産大豆の豆腐を食べ、とてもいいお食事でした。でもやはり、昔の庄屋さんの家。やっぱりバリアフリーとはいきません。私の長男には無理だとわかりました。

2007年7月6日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

6月26日は麦の会の一年に一度の例会がありました。
麦の会とは重度重症の子どもを持つ親の会です。
結成されてから50年ほど経過し、ご主人を亡くされた人、障害の子が亡くなってしまった人などいろいろと変化がありました。

みなさんの近況報告から障害者自立支援法の成立により、愛知県コロニーの今後について議論が沸騰しました。
「50年間苦労してきて、最期まで看てよ」と声を荒げる人もいれば
「いろいろ考えると、今後は名東福祉会に頼りたい」という発言もでます。
「親が亡くなった後も我が子が地域の中で楽しく暮らしていく様を垣間見てから死にたいね」という発言もあります。

振り返ってみれば、私は麦の会の友達と知的障害者が少しでも楽しく生きていけることを夢見てこれまで生きてきました。
名東福祉会に対してたいへん大きな期待を寄せられる声をお伺いし、ずしりと責任を感じた一日でした。

我が子が障害を持つようになり、自分を責めて責めて責めぬいた時期、
悔し涙に明け暮れた日々
障害があることをあきらめはじめた日々
麦の会の人たちと出会い、自分だけではないことを知り安堵した日々
同じように悲しみをもった人たちのために役立ちたいと思い始めた日々
福祉行政を進めるために役所の人たちといっしょに懸命に制度をつくろうとした日々
困難を与えられたことがかえって幸せに思えるようになった日々

思えば前に進んだと思えば、あとにもどったりです。
麦の会の人たちはそうした私の思いとまったく同じような心情でいっしょに過ごしてきました。
この友人とともに歩めたことを深く感謝しています。

2007年7月5日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝